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全てを白紙に 第二章 イホノ湖動乱 七、エティハの願い

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 あの少年は、軍によって人生を狂わされた。ルネイと呼ばれていた彼を振り返り、ヘイズは帰路に就きながら臍を噛んでいた。あの大乱に軍が関わらなければ、少年の人生は大きく変わらなかったかもしれない。体の周囲に粒子を張り巡らせている姿は、彼が外の刺激から身を守ろうとしているのだと予想させる。あそこまで五感が過敏になることも、軍の関わりさえなければ――そう思いかけて、ヘイズは首を振る。生まれ持っただろう性質まで、自分たちのせいにして何になる。
 あの大乱は、確かに国民を脅威に晒すものだった。それを認めて、ヘイズは大魔法使い側に抵抗したのだ。燃え盛る首都から、戦いとは無縁の人々を助けたかった。しかしその後に訪れたものは、誰もが戦い得る世の中だった。銃や弓を手に、シランや「白紙郷」と対峙していた少女たちが浮かび、思わず目を閉じる。
 首都へ戻ると、ヘイズはイホノ湖で捕らえた「白紙郷」団員三人を警察へ送還した。いずれも傷を負っており、警察病院で治療を終えてから逮捕に踏み切るという。
 部下の回収した「虹筆」の解析も行った。資料には、あの筆が魔力によって構成されていると記されていた。ヘイズは左上で止められた紙束をめくり、窓からの日が薄暗くなっていく部屋に佇む。もう夕方近くだというのに、例の協力者は来てくれた。
「やはり私の推測通りだったでしょう。『虹筆』は人の思いによって、形を成しているのです」
 部下に指示して、エティハには茶を出させておいた。机を挟んで向かい合い、自慢げに「虹筆」を語る教授をヘイズは見据える。イホノ湖で作戦を果たす前に調べていたことを、ここで確認しておきたかった。
「貴方が大学に入る前、工業学校で武器製造を学んでから軍事工場に勤めていたというのは、如何なる所以でしょうか?」
「ほぅ、そこまでよく調べましたなぁ」
 白く湯気の立つカップを置き、エティハは椅子の背に深くもたれ掛かった。もうすっかり、防衛省の雰囲気には慣れたらしい。やがて教授は姿勢を正し、足下に置いていた鞄を探りだした。
「国のためになりたくて、それに有効な武器の開発をしたいと考えていたのですよ」
 その武器は、一体どのような点で「国のためになる」のか。こちらのカップに手を付けもせず、ヘイズは眉間に皺を寄せてエティハの挙動を見守った。彼が鞄から取り出したのは、一つの論文が書かれた紙束だった。博士論文というそれは、消却神話を主題としていた。紙面から目だけを上げ、ヘイズは茶を喫する男へ思い出したように問う。
「そういえば貴方は、魔術が苦手だと仰っていましたね。ライニアに魔術の扱いが上手くない――もとい、使えない人はどれほどいるか、ご存知ですか?」
 再びエティハが、論文を渡してきた。調査結果には、魔法も魔術も使えない者が国民の一割さえ存在しないと書かれていた。教授は彼ら「一割未満」のためにも何とかしてやりたいと零す。それが先ほど言っていた「国のため」とも結び付くのか、ヘイズは考える。そこでふと、エティハと同じく魔術が使えなかったという少女が思い出された。彼女はシランやフュシャに指摘され、初めて自分の魔法を知ったようだった。
「あの消却爆弾を止めた方も、以前は魔術が使えなかったそうです。今回になって、突如発現したとのことですが――」
「ああ、レンとかいった人でしたか」
 エティハは興味を持ったように、こちらへ身を乗り出してきた。よりレンを詳しく知りたがる教授に、ヘイズは記憶にある限りの情報を話す。自分たち軍を罵ってきた口ぶりからして、彼女は大乱の首謀者に憧れていると見えた。それを明かすと、エティハはカップを持ったまま小さく俯く。
 考え込んでいるらしい彼へ話すのをやめ、ヘイズは日の落ちた窓の外へ視線を投げる。教授に興味のないふりをして、彼をさらに調べようと心に決意する。今日までに分かった経歴は、ごく一部だ。彼の書いた論文なども精査すれば、おのずとその目的は見えるだろう。現に消却神話について論じているなど、ある意味では怪しいとも取れるではないか――。
 部下が慌ただしく部屋に入ってきたのは、その時だった。いつになく顔色の悪い彼は、各地に設置された消却爆弾の起動停止に出動していた部隊が、消却に巻き込まれたと早口でまくし立てた。これ自体は何度か耳にしてきたが、今度は事情が違うという。部隊が爆弾を回収した後、起動を止めるべく回路を凍結したところ、逆に爆発したのだと。
 ヘイズは思わず、向かいの教授を見た。彼が消却爆弾の件で万能なはずなどないと思う傍ら、縋るように目を向けていた。対して教授は、冷静な態度で推測を述べる。
「向こうもこちらの対策を把握したのでしょう。爆弾を改良したに違いありません」
 軍の起爆解除法を逆手に取り、「白紙郷」はより強力な爆弾を製造した。以前よりも消却範囲が広くなったという爆弾を、ひとまず起動停止に踏み切らないよう、ヘイズは部下に命じた。そして再び客人と二人きりになったところで、両腕を机に載せる。今後はより一層、被害が拡大していくのではないか。部隊が消却爆弾を回収している途中で、起爆でもしたら。強く下唇を噛むと、血の味が口内に広がった。
「随分と心配されているようですが、よくそこまで事態収束へ熱心になれますね?」
 カップを空にして凝視してくるエティハに、ヘイズは当たり前のように返す。
「ライニアに平和をもたらすためです。軍はそのためにあるべきですから」
 大乱後、職場の過酷な環境に耐えかねて軍からの脱走を企てた仲間がいた。彼を捕らえようとして、こう言い返されたのだ。もはや誰もが武器を持つ個人重視の時代で、軍の存在など意味がない。軍は国のために何も出来ていない、ただ「人殺し」の点だけが強調され、罵られているだけではないか。
 ヘイズももちろん、その現状を理解していた。だからこそ、真の意味で軍を人の役に立たせたい。別に軍自体に思い入れがあるわけでもなく、組織の名誉を回復させたいとも思っていない。ただ自分が、ライニアのためになりたいだけなのだ。
 エティハと似たことを思っていると、ヘイズは気付く。彼はこの国をどうしたいのか。尋ねると、一大学の教授には釣り合わないような答えが聞こえた。
「私はライニアを、誰もが活躍できるようにしたいのです」
 魔法が使えない者も、「誰もが」に含まれているのか。ヘイズは問おうとしてやめ、教授の書いた二つの論文を返した。手元には「虹筆」の解析結果だけが残る。
 神話通りにライニアを再構成する力を持つ筆を、これからどう使うべきか。緊急で議会が開かれたものの、消却された議員も多数いる上に、国土全体が消されてしまう前に決議が間に合うかも分からない。やむを得ない場合を想定し、ヘイズは頭が重くなる感覚に苛まれた。しばらく見る気になれない「虹筆」の資料を裏返しに机へ置き、大きく天井を仰ぐ。そして客人の存在も忘れ、星も見えない夜の風景を窓からぼんやり眺めていた。

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