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空想のなかみ。

無人の駅があることを東京の人は想像できないという。私の実家の最寄り駅は、数年前に駅舎が取り壊された。その後、バス停ほどの小さなプルハブが建てられた。

市街地にはもちろん駅舎があり、駅員さんもいる。帰省したら一番最初に使う駅は、地元で一番大きな駅。考えられないかもしれないが、改札はない。全て手作業。切符を駅員さんに渡し、スタンプの押されたものを受け取る。チャージなどの便利さはないが、鳥の鳴き声はしない改札もいい。

最寄り駅に着くと、相変わらず大きな声を出していた。「お金を入れてください」としか言葉を発さない機械が、お金を飲み込み、切符を吐き出すのである。あまりに大きいそれを見ているうちに、汽車と呼ばれる乗り物は、激しく揺れて、田舎の畦道を進んでいった。

面白いことに、歩いていれば、「あの子迷子かしら?」と心配されるような視線が、車の中から飛んでくる。歩く人があまりに少ないのである。普段は、行進のように群がり、歩道を早足で歩いている。それがいきなり私だけ。車だけの世界に閉じ込められたようで、謎の高揚を覚えた。

想像できなかった満員電車の窮屈さにも慣れ、標準語で接客できるようにもなった。しかし、地元の畑から聞こえる虫のリズムや、風に揺れる緑の音が恋しくなる。

これから、母はこの逆をたどる。もうすぐ飛行機が着くだろうか。到着を待つ間に、新宿のカフェで空想の帰省を味わった。ストローを食めば、コーヒーの氷はすべて溶けてしまっていた。

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