【長編ミステリィ】間宮宙のスランプ 第1話
創作大賞2023の中間審査を通過しました。たくさんの応援をいただき本当に有難うございます🙇♀️💖
<こんな人におすすめ>
イケメン、オカルト、ラブストーリィ、ミステリィが好きな人
気軽に読みたい人
でもワクワク、ハラハラしたい人
日常にイケメンとスリルが欲しい人
切ない気分、キュンキュンしたい、スッキリ、爽快な気分を味わいたい人
芸術に興味がある人
人間関係や人間心理に興味がある人
ユーモア、笑える会話が好きな人
第1章 華麗なる変人
第2章 恋愛不適格者
第3章 呪いの儀式
第4章 元カノ
第5章 魔女の正体
以下、本文です。
第1章 華麗なる変人①
「きみは誰も愛さない」
まず最初に間宮宙という人は、こう答えた。品のいい身なりに優雅な所作。その佇まいからは目が逸らせない。それが間宮宙を初めて見た時の僕の第一印象だった。後に知るその鋭い洞察力も、今思えばどことなくその瞳から溢れていたように思う。頭のいい人間は眼差しが違うのだ。
でもでも……。僕は、この人物から早く逃げだすことだけを考えていた。
「そんなことないわ」
やや不満気な様子で「誰も愛さない」と宣言されたその女性が否定した。当然だ。いまこの女性は「好きな人がいる」と話していたのだから。
「今、山崎さん(どうやらそういう名前らしい)は、お前に恋愛相談をしているんだぜ」
そばにいる白衣姿の男性も穏やかにそういった。そのとおり。と僕も内心大きく頷いた。
すると間宮さんはカウンタの上にカップとソーサを置いた。たったそれだけの動作もとても絵になっている。間宮さんは続けた。
「恋愛を成就させたければ、まず自分という人間のパーソナリティを知る必要がある。自分のパーソナリティを分かっていない人間は、いつまでも間違った相手を選び続けたり、同じ失敗を繰り返す。
例えば、毎回浮気する人間を選んだり、暴力を振るう人間を選んだり、絶対に自分を好きにならない人を選んだりするのは、自分のパーソナリティを理解していないからだ」
山崎さんの連れの女性二人も心当たりがあるのか大きく頷いている。
「じゃあ、私のパーソナリティは何ですか? 分かるんですか?」
山崎さんが聞くと「分かるとも」と間宮さんが答えた。
「じゃあ教えてください」
山崎さんは、薄笑いを浮かべ挑戦的な目つきで間宮さんを見た。
な~んか嫌な予感。こんなところに来るんじゃなかった。僕は早くも後悔し始めていた。
僕の名前は橘慈雨。高校二年生。何でこんな険悪な場面に立ち会わねばならなくなったのかをまず説明しておこう。僕は三十分ほど前にここに一人でやって来た。
***
ここは東京の目黒通り沿いにある Lab & Gallery Cafe SPACE 。
たしか、ラボって研究室だよな。そう思いながら店内に入った僕は、白衣を着た店員がフラスコを使ってコーヒーを淹れている姿を見て、ラボと称する理由が分かった。
これって研究室プレイ? 奇妙な光景とフラスコにつられて思わずカウンタ席に座ってしまったが、コーヒーを飲みに来たわけではなかった。そのときは、目の前にいる白衣の男性と僕と三人の女性たちだけだった。三人のうち一人は、三十代半ばの山崎さんで、あとの二人は二十代半ばくらい。
僕は白衣の男性に話しかけたいのだが、いつも山崎さんが話していて、話のきっかけが掴めずにいた。以前からの知り合いであるらしく、山崎さんは白衣の男性に恋愛相談をしている。声がもの凄く大きいので、話の内容がコの字型の大きなカウンタの端にいる僕のところまで丸聞こえだ。
会社の同じチーム内に、彼女が狙っている年下のイケメン社員がいて、その彼と随分前からかなりいい雰囲気なのにイマイチ関係が進展しない。どうすれば関係が進展するのか? という女性誌の読者相談の欄に載っていそうな内容だった。彼女たち三人は、会社の同じチームで仕事をしている先輩後輩という間柄らしい。
飲み会を企画して誘えば彼は来るし、お目当ての彼と今ここにいる後輩女子とほかの男子達を交えてほぼ毎週のように一緒にご飯を食べに行ったり、遊びに行く。自分の誕生会も彼を含め後輩みんなで開いてくれた。
それだけではない。山崎さんは、同じ後輩連中を率いて何度か国内外へ旅行にも行ったというのだ。社内ではどの女性よりもプライベートで長く一緒に居るのは間違いない。とにかく誘えば来るし、彼もまんざらではなさそう。
「にもかかわらず、二人きりでは抜け出せない?」と白衣の男性が聞いた。
そりゃもう彼女がいるんだろう。そう思ったが当然口には出せないので、余計にフラストレーションが溜まる。
「いつまでもグループ交際で関係が進展しないってパターンか。そのいつも一緒に遊んでいるメンバはみんなきみより年下なの?」白衣の男性が聞いた。
「そう」
「後輩に好かれるんだね」
ガハハハハハハ! と山崎さんの嬉しそうな笑い声が、高い吹き抜けの天井に響いた。
「海外ってどこに行ったの?」
「ハワイ」
「遠いね」白衣の男性は驚いた。
「あのときは三泊五日の超強行軍でみんなキツかったよねえ」と連れの女性二人のうちの青いブラウスを着た女性が、もう一人の黄色いワンピースを着た若い女性に向かって言うと、黄色いワンピースの女性も少し困ったような表情を見せながらも、小さく頷いた。
「海外に行けたんだからいいじゃない」とすぐ山崎さんがいい返した。
かなり強引な人のようだ。
「そんなに大勢で一斉に休みを取って、仕事に支障はなかったの?」
「平気、平気。気に喰わない部下に仕事を押し付けてやったし。あいつは普段から仕事を舐めてるからいいの」
「その彼って、そもそもイケメンだし、実は彼女がいるんじゃない?」
ようやくここで僕も考えていたことを白衣の男性が聞いてくれたので少しスッキリしたが、いない、いないと、このときばかりは三人が口を揃えて否定した。恋人はどうやら本当にいないらしい。
「ゲイでもないし」と山崎さん。ほかの二人の女性も頷く。
「じゃあ、奥手なのかな。彼女はいなくても好きな人がいるとか?」
「やっぱ山崎さんのことが好きなんじゃないですか~?」
青いブラウスの女性が本気なのか、機嫌を取っているのかわからないが、そういった。
「ええー。それは分からないよぉ」
と、口では否定しながらも、山崎さんは、嬉しそうに青いブラウスの女性を見たので、どうやら自信はあるようだ。山崎さんは色白で割と綺麗な方だと思う。けど目つきが意地悪そうで怖い。
「多分藤井さんは自信がなくて誘えないんだと思いますよ~。山崎さんの方が立場が上だし、これまで弁護士とかじゃないと付き合ったことないっていつもいってるし」と青いブラウスの女性が続けた。
「嫌だぁ。もう~、挑んでこいっつーの。ホント気がちっちぇえ」
山崎さんがまたガハハハハと大声で下品に笑った。そう、この人なんだか下品なのだ。
「まあ、社内恋愛は失敗すると気まずくなるし、女性が年上だと年下男性はどう誘っていいか分からないってのはあるよ」白衣の男性がフォローした。
「今どきの男ってホント小っちゃいのよねえ。ガハハハハハ」
山崎さんの笑い声がまた反響した。
いつまでこの話は続くんだ。うんざりしていた僕はバレないように小さくため息をついて、天井を見上げた。天井はかなり高い。今のところ店員さんはこの白衣姿の男性一人だけ。
ていうか、この人なんで白衣? ほかには誰もいないのだろうかと店内を見まわした。
天井はかなり高く、なんといっても象徴的なのは、広い店内の中央部分にある巨大な吹き抜けと、その大空間に宙に浮いたように見える指令室みたいな部屋だ。あの部屋の大きなガラス窓からも一階が見下せるのだろうけど、ブラインドが下りていて部屋の中の様子までは見えない。
さっきからその部屋が気になっていた。なんというか、秘密基地というか、隠れ家的というか、とにかく面白そうで、入ってみたいという衝動に駆られていた。
あの部屋は何に使うのだろう? 個室だろうか。
そのとき、その部屋のブラインドが少し動いた気がした。今誰かがブラインドの隙間からこっちを見ていたような。あの部屋に誰かいるのか? そうだ。この人たちの恋愛話を聞きにここに来たのではない。
僕は吹き抜けの空間に浮いているように見える二階の部屋の窓をもう一度見上げた。もう何の動きもない。
「何で誘ってこないのかな?」
山崎さんの声で、僕の意識は一階に引き戻された。
「自分から誘ってみれば?」白衣の男性が提案した。
「いやだ~もう。絶対イヤ。ガハハハハハ」
いかん。このままではいつまでも話ができない。しびれを切らした僕が思い切って「あの……」と白衣の男性に声をかけたそのとき、ガチャンとドアが閉まる重たい音が二階から聞こえた。
すぐにコツンコツンと誰かが階段を降りてくる足音が聞こえ始め、広い店内に響いた。僕たちは一斉に階段の方に顔を向けた。
お店に入ってすぐ右手にある、大人二人が余裕で並んで歩けるほどの広い緩やかな階段を降りてくる、よく磨かれた黒い皮靴が見え、やがて男性が現れた。その人物はフロアに降りると、流れるような動作でこちらに向かって歩いて来た。
爽やかな青いシャツを着て、とても品のある出で立ち。背は高く、ちょっとだけ耳にかかった黒い髪の毛先に軽くウェーブが掛かっていて、やや色白で目元はキリッとしていて鼻筋も通っている。ツッコミどころの全くない「超」がつくイケメンだった。
テレビで見るイケメン俳優よりよほどイケメンではないか。僕の横を通り過ぎるとき、一瞬チラッと僕の方に視線を投げた気がしたが、すぐ白衣の男性の方に向かって行ってしまった。
この人だ! 僕にはわかった。
「ちょうどいいところに来た」
白衣の男性が「こちら、間宮君」と女性陣にそのイケメンを紹介した。
間宮さんが現れると、さっきまで自信満々で饒舌だった山崎という女性が委縮した感じになり、大人しくなった気がする。山崎さんは案外人見知りなのかもしれない。
「もしかして話、聞こえた?」白衣の男性が間宮さんに聞いた。
「ああ。全部上まで聞こえた」
間宮さんは低くて良く通る声でそう言いながら、人差し指だけを二階の部屋に向け
「随分盛り上がっていたからね」と答えた。
それを聞くと、女性達は恥ずかしそうに顔を見合わせてクスクスと笑った。でも僕の胸は人知れずドキドキと大きく脈打っていた。
「じゃあ話が早い。なんかアドバイスない?」と白衣の男性。
「ない。僕は恋愛カウンセラでも占い師でもない」
随分そっけない返答だった。
「そんなこと言わずにさ。イケメンの気持ちは、イケメンが分かるんじゃないの?」
「彼の気持ちは彼に聞かなければ分からないさ。そうだな。僕に分かるのはきみのことくらいだ」
間宮さんが山崎さんに言った。山崎さんはちょっと驚いた表情を見せたが「何が分るんですか? 教えて下さいよ」となったわけだ。
その答えが冒頭の「きみは誰も愛さない」なのだ。
***
間宮さんはカップの乗ったソーサを白衣の男性の方にそっと差し出してから、こう説明した。
「きみは非常に自己愛の強いパーソナリティだ。きみの中に等身大の自分は存在しない。著しく貧弱な自己か、肥大化した自己しかいない。恐らく今はステイタスの高い仕事についているのだろう。
今は仕事に自信があるから肥大化した自己と共にいる。だから自分は特別な人間で、弁護士クラスの人間しか釣り合わないと思っている。しかし心の底では自分に自信がない。
僕がさっきここに来たとき委縮したことからも分かる。人見知りは自分にコンプレックスがある、または自己肯定感が低い人に起こるからね。いつも目下や年下の人間ばかりを引き連れていることからも明らかだ。縦の繋がりでしか人と付き合えないんだ。
おそらく社内に同年代で対等な付き合いをする横の繋がりの人間はいないはずだ。また自己愛型の人間が愛しているのは自分だけだ。全ての人間は、自分を称賛し、自分の価値を認めさせ、目的を達成するためのツールでしかない。
狙った男を落とすためなら、後輩に会社を休ませてでも三泊五日の強行軍のハワイ旅行に連れて行き、毎週末呼び出す。なんて迷惑な話だ。
誕生日会もみんなが開いてくれたのではないだろう。きみがそう仕向けてみんなに開かせたに過ぎない。きみがもうすぐ自分の誕生日だと騒げば、後輩は誕生会を開かないわけにはいかないからねえ。
きみは自分以外を愛さない。以上がきみのパーソナリティだ」
シーン。僕は懸命に聞こえていない振りをして、カフェ・ラテを一心不乱に飲んでいるふりをした。
「ちょっとぉ。なにこのひと?」山崎さんは目を吊り上げて立ち上がった。「超最低」
そういって財布から千円札を一枚取り出すと、カウンタの上にバーンと叩きつけ、バックを持ってものすごい勢いで出て行ってしまった。残された後輩二人も慌てて会計を済ませるとカフェを出て行ってしまった。
僕と白衣の男性と間宮さんだけが広い店内に取り残された。
最悪。よりによって、僕はこの人に会いに来たのだ。母の弟、つまり叔父である、この間宮宙に。
目の前に三角フラスコが三つ綺麗に並んでいる。フラスコに入ったお水がコポコポと沸騰し始めると、白衣の男性が何事もなかったように落ち着いて、慎重にフラスコを持ち上げて、すぐ隣にセットしてあるドリッパーにお湯をゆっくりと少しずつ入れ始めた。
たっぷりと時間をかけてお湯を全て容器に移し終え、ホッとした表情を浮かべた。実験成功とでもいいたげに満足した様子。コーヒーカップにコーヒーを注ぐと、そっと間宮に差し出した。
叔父さんだけど、こんな人呼び捨てで上等だ。
ありがとう、といって間宮はコーヒーを飲み始めた。けどやっぱりその姿は優雅だ。何度見ても飽きない。母からの数少ない情報によるとこの間宮宙は二十六歳。母と間宮は、年が割と離れているのだ。
しかもこの人は実年齢よりさらに若く見えた。
「甥の慈雨です」と心の中ではいってみたものの、どうしても声を掛ける気にならない。
僕は夏休みの間、叔父の家に滞在するようにと母にいわれて来た。そこから都内の予備校の夏期講習に通えと。でもこの叔父に会ったことがない上に、この人のことをほとんど知らないので不安だった。
母は昔からあまり自分が育った家や家族や子供時代の話をしてくれなかった。
「どんな人?」と母に聞いても「会えば分かる」とだけいってそれ以上教えてくれなかった。
「先入観持たない方がいいでしょ」といっていたけれど、本当は忙しくて僕には構っていられないのだと思っていたのだが、今は「会えば分かる」と母がいった意味が分かった。
この独特のオーラというか、目が離せなくなる存在感。母と似ている。でも不安は的中した。こんな人と一緒に夏休みを過ごすなんて絶対無理だ。なるべく自然な感じでこの店から撤収することを決め、急いでカフェ・ラテを飲み干した。
「いやあ。今のは言い過ぎたんじゃないの?」白衣の男性が間宮にいった。
「教えてほしいと言ったのは向こうだ。それにお前こそ人が悪い。一緒に旅行に行くくらいなら、いくら奥手で年下でも、相手にその気があればとっくにデートくらい出来ているはずだ。それくらい分かるだろう?」
間宮にそう言われると、白衣の男性はポリポリとこめかみを掻いて「まあね」と言った。
「いつまでも話が終わらないから僕が降りて来たんだ。それにあのタイプには、何を言っても効き目はない。『自分は人気者』という自作自演のファンタジーの中に一人で生きているんだ。
自己愛型の人間は、割と社会的に上手くいくことがあってね、周りが被害に合うだけで、自分は自分の問題に決して気付かない。あの二人の後輩の女の子は、これまで散々太鼓持ちをさせられ、いいように使われてきているはずだ。
他人のことは『仕事を舐めている』と言って責めておきながら、自分はその他人に仕事を押し付け、後輩を休ませて遊びに行く。他人に厳しく自分に甘いのもあの手の女性に多い特徴だ。
おそらく、気に入った人間や自分に尻尾を振ってくる人間だけを可愛がって囲い込み、グループを分断させるタイプだろうな。いるだろ? そういう奴」
白衣の男性は、なるほどねえ、といってまたコーヒーを淹れる準備を始めた。
今なら逃げられる。そのタイミングで僕は急いで財布をカバンから取り出した。
僕が急にごそごそし始めたせいか間宮がチラッとこちらを見たのが分かったが、僕は目を合わせないようにした。財布から小銭を出そうとした手がちょっと震えている。
何でこんなにビビっているのか自分でもよく分からなかったが、とにかく関わりたくなかった。
何しろ僕は超平和主義者なのだ。地味に、目立たず、控えめに生きてきた。こんな人と関わったらどんなトラブルに巻き込まれるか分かったもんじゃない。母さんは一体どういうつもりで僕をこんな人のところへ寄こしたのだろう。
あとで文句言ってやる。僕は五百円玉を用意して席を立つと、レジの方に歩いて行こうとした。
「お金は払わなくていいよ」という声が後ろから追いかけてきた。
え? 僕は驚いて振り返った。
カウンタ前の椅子の背に持たれかかった間宮とこのとき初めて目が合ったが言葉に詰まった。
なんて美しい顔だろう。黙っていれば神が創った芸術作品。そんなことを考えてしまった。でもやっぱ見るだけにしておけばよかった。
君子危うきに近寄らず。触らぬ神に祟りなし……のはずの僕の平和な日常は、以後この華麗なる変人に振り回されることになったのだから。
「あれ? 知り合い?」白衣の男性が驚いて間宮に聞いた。
「僕の甥の橘慈雨だ。確か高二」間宮が答えた。
ば、バレてる~。僕は絶望的な気持ちになりながらも微塵も態度には出さず、思わず「はじめまして」と言ってペコリと頭を下げた。
うわーしまった。シラを切って店を出るという手もあったのに、反射的に挨拶してしまった。愛想のいい自分が憎い。
「うっそぉ? 宙の甥?」
白衣の男性は文字どおり鳩が豆鉄砲を食ったように目を見開いて、僕の顔をまじまじと見た。
「姉の息子だ。でも今日が初対面。こちらはここの店長の加瀬」
間宮は僕に白衣の男性を紹介した。
「はじめまして。橘慈雨です」
僕は加瀬君にも頭を下げた。
「はじめまして。初めて会うのによく彼が甥だと分かったな」
「分かるさ。今日辺りそろそろ来るだろうと思っていたから。彼がここで困っていそうだったから降りてきたんだ」
「そろそろって、お姉さんも随分アバウトだな」
加瀬君は少し笑った。
「姉はそういう人。恐らくきみも僕のことなんて大して知りもせずに来たんだろ? 住所を教えられたくらいで」間宮が僕に聞いた。
「はい、そうです」
「で、姉さんはどうしろって?」
「あの、夏休みの間、叔父さんのところでお世話になりなさいって」
「オジサン……」
加瀬君がクスッと笑った。
「オジサンと呼ぶのは止めてくれ」間宮が言った。
「じゃあ何て呼べば……」
「宙でいい」
「ああ、はい」
「で、姉さんは?」
「えっと、ヨーロッパに演奏旅行に行きました」
「なるほど。自分が子供の頃にされたように、今度は自分の子供を放ったらかしか」
それは……当たっている。
「あの指揮者も一緒か?」
「父さんのことですか?」
「ほかに誰がいる?」
「一緒です」
父さんのことを何故そんな呼び方をするのだろう? 嫌いなのかな? 僕の心にどんどん不安が広がり始め、ますます逃げ出したくなった。
「お前のお姉さん何者?」
加瀬君は僕だけではなく母さんのことも知らないようだ。つまり間宮にとって僕たち一家はタブーなのかもしれない。そう思うと僕の心はさらに沈んだ。
「姉夫婦は揃ってクラシックの音楽家だ」
「うわ、すっげえオシャレ。その話、初めて聞いた」
「あの。オ……宙君は心理学者ですか?」
逆に僕が気になっていたことを質問した。
「ハハハハハ」
途端に加瀬君が大笑いした。
「姉さんは本当に何も言っていないんだな」
間宮は少し呆れたような表情を浮かべた。
「はい、何も聞いてなくて」
「僕は画家だ」
「画家? 絵描きってことですか?」
「そうだ」
「こう見えて、若手の新進気鋭の画家として少しは名が売れているんだよ」
加瀬君が教えてくれた。
「『少しは』は余計だ」間宮はムッとした。
「へえ」
僕は一瞬間宮を尊敬しそうになった。芸術家には憧れる。
「かなり売れている」間宮が続けた。
やっぱ尊敬するのはやめた。だが次の「でも今は一枚も描いてないけどね」という加瀬君の言葉に驚いた。一枚もってどういうこと?
「加瀬、それこそ余計だ!」
「はいはい。慈雨君、さっきの宙の話、驚いたでしょ?」
「ええ。まあ。さっきの人たちは知り合いですか?」
「黄色いワンピースを着ていた子は、一か月くらい前に初めてここに来たんだけど、俺のコーヒーが気に入ったとかで、以来何回も来るうちに知り合いになった。あとの二人はその子に連れられて二回くらい来たことがあるかな。三人とも宙と会うのは今日が初めてだけど」
「友達と仲が悪くなりませんか?」
「まあ、大丈夫でしょう」
「でもお客さんが減ったら、困りませんか?」
「そうなんだよね。でもここは宙の店だから」
「え? ここが? そんなに絵が売れているんですか? でも一枚も描いてないんですよね?」
三杯目のコーヒーを飲もうとしていた間宮は、少しむせた。
「ハハハ。さすが宙の甥だ。宙に向かってそんなこと言うなんて」
「あ、すいません」
僕はちょっと下を向いた。間宮は少し姿勢を正すと
「ここは父の、きみのお爺さんからの遺産の一部で建てた。二階がカフェとギャラリィになっているから後で案内するよ」といい、コーヒーを飲んだ。
「ギャラリィ? じゃああの部屋は何ですか?」
僕はずっと気になっていた二階の秘密基地を指した。
「あそこは僕の仕事部屋だ。思索に浸ったり構想を練ったりする場所。気に入ったカフェがないし、よそのカフェに行くのは面倒だし、だったら仕事場兼ギャラリィ兼カフェを作ってしまおうと思ってここを作った」
なんちゅう贅沢。
「というかさ。お前、甥にこの店の経営を心配されているぞ」
「心配無用。加瀬の淹れるコーヒーが絶品だから、お客さんは来る」
「そうなんですか。でもあんなこと言って、大丈夫なんですか?」
「大丈夫とは?」
「だから……何ていうか。人に嫌われるというか」
「きみは人に嫌われたくないのか?」
「それは……誰だってそうでしょう」
「他人に嫌われたくないと思って生きている人間は、死ぬまで他人に利用され続ける。僕のことを嫌う人間は二種類だ。みんなに嫌われている人間か、何か内面に隠し事がある人間だ」
なんかすごい自信。まあ若くして画家として成功してイケメンでお金持ちだから当然か。でも…。僕はさらに間宮に疑問をぶつけてみた。
「さっきの人たちですけど、後輩の女性が太鼓持ちさせられているって言っていましたけど、子供じゃないんだから本当に嫌なら旅行まではついて行かないんじゃないですか?」
「きみなら断るのかい?」間宮が逆に聞き返してきた。
「僕は……」言葉に詰まった。
行ってしまうかもしれない。断ることによって角が立つかもしれないし、もう誘ってもらえなくなるかもしれない。それが怖い。そんな僕の考えを見透かしたように間宮はいった。
「断れる相手じゃないね、あれは。気に入った人間は可愛がるが、気に入らない人間は徹底的に攻撃するタイプだ。おそらく飴と鞭の使い分けであの二人も洗脳されている」
「洗脳? 本当に?」カルト教団じゃないんだから。
「さっきの年下の彼女たちは、自分たちが話すたびに、チラチラとあの山崎という女性の顔色を見ていたことにきみは気付かなかったのか?」
「いえ、全然」
「全く、きみは何も見ていないんだな」
間宮は呆れたようにいった。もしかしていま「鈍い」っていわれたのか? 僕は少し首をひねった。
「自我が脆い人間ほど自己愛型の人間に見抜かれて取り込まれやすい。そういう人間は、利用されていることを『認められている』と勘違いする」
「はあ、そういうもんですか」
でも宙君のいうことが本当かどうかは、それこそあの人たちに聞かないと分からないじゃないですか。と、思ったけど口には出せなかった。
そのとき急に、カフェの前の大通りを走る車の騒音がどっと店内に流れ込んできた。振り返ると先ほどお店を出て行った黄色いワンピースを着た女性が入ってきたので驚いた。
やっばいよ。これ、ぜったい文句をいいに来たパターンだよ。心臓がまたドキドキし始めた。
「あれ? 白石さん、忘れ物?」
加瀬君は慌てる様子もなくひょうひょうと聞いた。この人も間宮と付き合っているだけあってハートが強いに違いない。
「いいえ」
白石さんという女性が答えた。
「山崎さん、どうした?」
「怒って帰っちゃいました。もう一人の子が同じ方向だったので一緒に帰りました。私は別の方向なので駅で別れて、ここに引き返してきました」
「やっぱ、そうだよね」
ハートが強くても人の心は分かるみたいで加瀬君は申し訳なさそうにそういったが、当の間宮は悪びれる様子もなく、平然とコーヒーを飲んでいるのだから神経を疑う。
「あの……。間宮さん?」いきなり白石さんが間宮に話しかけた。
来た! ここはやっぱ、他人の振りしかない。僕は緊張して、彼女と目が合わないようにカップの底をじっと見つめる置物を装った。
「あなたにお願いしたいことがあって」白石さんがいった。
へっ? 思わぬ言葉に顔を上げた。
これには間宮も驚いたようで、コーヒーカップを口元に運ぶのをやめた。
「僕に?」
「ちょっと最近怖いことが続いていて。それを間宮さんに突き止めて欲しいんです」
「あの……。何か勘違いしているかもしれませんが、僕は単なる絵描きであって、探偵でも警察でもありませんよ」
「分かっています。けど間宮さんのことは前から加瀬さんから聞いていて、なんか間宮さんなら出来そうだなと思っていたんです」
「加瀬から何を聞いたか知りませんが、僕は役に立てませんよ」
「そんなことないと思います」
白石さんは自信ありげにいった。
「何を根拠にそんなことをいうんですか?」
「だってさっきの間宮さんの指摘、全部当たっていたんです」
白石さんはそう答えた。
「間宮宙のスランプ」はAmazonとの契約の関係で、2話以降は非公開とさせていただきました。特に創作大賞2023の審査期間中は、たくさんの方に読んでいただき本当に有難うございました🙇♀️。
◇2話以降(応募規定により、2話以降は更新の度にここに貼り付けていきます。)→現在非公開のため見れません。
第2話 https://note.com/ikeda_chloe/n/n0a4dda58d837
第3話 https://note.com/ikeda_chloe/n/ndab089356ae7
第4話 https://note.com/ikeda_chloe/n/n09217f3ffac9
第5話 https://note.com/ikeda_chloe/n/n5f3d5f06038a
第6話 https://note.com/ikeda_chloe/n/n589c415b8da2
第7話 https://note.com/ikeda_chloe/n/n01d570cd404e
第8話 https://note.com/ikeda_chloe/n/n64f370c11dc7
第9話 https://note.com/ikeda_chloe/n/nabfc68cd9b06
第10話 https://note.com/ikeda_chloe/n/ncd332a61c473
第11話 https://note.com/ikeda_chloe/n/n198ac6bd2410
第12話 https://note.com/ikeda_chloe/n/n2fc2b1cadff6
第13話 https://note.com/ikeda_chloe/n/nd9acba4ce5aa
サポートありがとうございます😊。池田クロエです。サポートされたお金は小説の表紙作成📕に使わせていただきたいと思います。クロエは書く📝ことぐらいしかできない人間なので是非応援をよろしくお願いします。まだnote初心者ですが、何かしら得してもらえるようにと書いています🎁。