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自分で理解できていないことは、書いちゃいけないよ、、

臨床実習(通称ポリクリ)では、患者さんを一人当てられ、レポートを書く機会がある。
ポリクも半ばを過ぎると、段々色んな意味で慣れが生じる。
いい意味でも悪い意味でも。

今回は、悪い意味での慣れの結果だった。
大体、レポートを書く際に医学生が参考にするのは、病見えか、イヤーノート。
そこに書いてる情報を適当に写して、なんとなくそれっぽくまとめる。
だが、それでは差がつかないので、私は、PubMedで論文検索し、それを和訳して、適宜抜き取る、というレポートの作り方をしていた。
参考文献の数は増えるし、研究者が試行錯誤して作った一つの作品である論文なので、文章もそれなりに洗練されている。
それを参考に、他の学生と同じことをする。(つまりコピーアンドペースト)
それだけで、よく調べてるねー、よく読んでるねー、すごいねー、、と言われる。

完全に調子に乗っていた。

いつもと同じように、PubMedで良さげな論文を見つけ、担当症例に対する考察を作った。
しかし・・今回の先生は「しっかり」していた。
いくつか、その論文に書いてあった事項について詳しく掘り下げて質問された。
流石に丸パクリはまずい、という訳で、一応「整形」するため、目は通しているので、初めの内は答えられたが、論文中に出てくる少し難解な言葉や薬品名、その他、理解している者だからこそあえて省略している部分については、全く理解が及んでおらず、ことごとくその点を暴かれた。

久しぶりに号泣した。
自分でも驚いた。
怒られたわけではない。その先生は、静かに、諭すように、自分で理解できないことは、書いちゃいけないよ、と淡々と、一つ一つ、考察とも呼べない、私の浅すぎる考察を添削してくれた。

とても恥ずかしかった。
少し勉強して、分かった気になり、先生方の社交辞令で気分を良くしていた。自分がわかっていないことを分かっていない。。愚か者そのものである。。

必死で論文を読み直し、指摘してもらったところを徹底的に調べ直した。
本当にどれほど自分が理解できていないかがよく分かった。。
そして、調べて、たくさんの発見と学習ができた。
課題だから、ではなく、久しぶりに、興味だけで調べる、ということができた。
実習が始まって半年以上が経つが、初めて、本当にしっかり論文を読んだ気がする。
いや、また読めた気になっているだけかもしれないが、少なくとも、これまでの中では一番真剣に読んで、病気とその治療法について自分の頭で考えた。

怒られなかったからこそ、気づけたのだと思う。。
怒られていたら、多分、はぁ?うざ、、くらいで終わっていたかもしれない。。
全くもって自慢ではないが、私はそのくらい愚か者なのだ。。

自分で理解できていないことは、書いちゃいけないよ、、
つまり、自分で書いていることぐらいは理解しておく。
これは、一生の学びになったと思う。

人間は忘れる。そして、私は、落ち込みやすい一方、すぐ調子に乗る。。
今回は、レポートで済んだが、実臨床で働き始めたとき、驕りは、とんでもないミス、すなわち患者さんを死なせてしまうことにつながる。

技術や知識がなければ医師はできないが、心がなければ医師である資格がない。
これは誠に真である。

無知の知。
これを語らずして教えてくれたあの先生には、本当に感謝したい。

未来の私よ。
どうか、この経験を忘れないでいてくれ。。

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