見出し画像

くじら今昔物語①〜鯨資料館を訪ねて〜

 今年の年初の3日間の家族旅行で、房総半島を旅しました。私の10年ものの愛車クラウンを運転しての旅です。この旅では、特に訪問先を定めず、行く先々の道の駅や名所を覗いたり、博物館や資料館に足を運んだりの気ままな旅でした。

 そんな旅で私が出会ったのが、鯨だったのです。鯨といっても海中に泳ぐ鯨そのものではなく、体長26メートルもあるシロナガス鯨の骨格標本に出会ったのです。この骨格標本を展示してあったところは、南房総市の和田町にある「鯨資料館」でした。

 私は、この鯨の標本を見ての最初の驚きは、かつて見たことのある恐竜の骨格標本にそっくりなのです。恐竜の標本には足があるのですが、鯨の標本には足がないのが違いと言えば違いなのです。

 恐竜時代(約2億3000万年前)、地球上に出現した哺乳類が多様な進化を見せ、さまざまな環境へ進出するようになり生活の場を海に移したのが、鯨類などの海洋哺乳類だったと考えられています。

 私も鯨の標本を見て、かつて地上を闊歩していた大型の恐竜達が海中に入り、鯨に進化していったのは事実だったと確信を深めました。

 
 私が足を止めた南房総市の和田町は、捕鯨基地の一つで、外房捕鯨株式会社があり、同社は現在も7月から8月にかけて、近海に回遊してくる小型のツチクジラ(体調12メートル位、体重1〜2トン)を捕獲し港で解体するので、この頃、港は賑わうとのことです。

 ツチクジラが捕獲される7月から8月頃、実際に和田町へ行き、解体する現場をみたいものです。

 私の頭の中にあった古い鯨の情報では、国際捕鯨委員会(IWC)の決定で、日本近海は勿論のこと、南極海や世界の海で商業捕鯨は禁止され、鯨の捕獲はできなくなっているものと思っていました。

 ところが、鯨事情は目まぐるしく変転していて、最近の情報によりますと、日本は2019(令和元)年にIWCから脱退し、日本の領海及び排他的経済水域にて商業捕鯨を再開しているのです。

 デパ地下のあちこちに、鯨の缶詰が山と積まれているのを見た時、どうして捕鯨が禁止されているのに鯨の缶詰がこんなに出回っているのだろうと思っていましたが、成程、捕鯨が再開されているのなら、とこの疑問も解けました。

 私達が鰯や秋刀魚を口にするように、やがて鯨肉もたやすく口にする日は近いと思います。

道の駅「和田浦WA・O」

 鯨資料館に行き、次に思い出したのは、かつて読んだ三浦哲郎氏の『海の道』という長編小説です。

 この小説の舞台は、作者の生地、八戸をもじって、蜂野辺のはずれの漁港、矢の浦。明治の末年そこに設立された捕鯨会社に銛(もり)撃ちとして雇われてきたノルウェー人のビョルンソンが、料理屋秋琴亭の下働きおぎんに一目惚れし、幾度か情を交わした挙句に子を孕ませるのです。そのうち、付近の漁民の焼き討ちに遭って、捕鯨会社の事業場が閉鎖されるや、ビョルンソンはさっさと帰国し、おぎんは女児の「はぎ」を出産するも、産褥熱で死んでしまうのです。孤児となった「はぎ」がこの物語の主人公です。

 東北のさびれた一漁村に捕鯨基地が持ち込まれ、活気づくもやがて衰微していく流れの中で、複雑な生い立ちを持つ一人の女性が、時代に流されていくのです。

 物語の中で、「はぎ」はかつて起こった昭和8年の三陸の大地震や大津波にも遭遇し、雪の中を必死に逃げのびて九死に一生を得る場面も描写されています。
 今年元旦の能登半島を襲った大地震を彷彿とさせます。

 何はともあれ、一読に値する『海の道』です。

 『海の道』の次には、氏の芥川賞受賞作である短編『忍ぶ川』まで一気に読んでみてはいかがでしょうか。



 
 最後に、鯨を詠んだ短詩(短歌、俳句、川柳)を紹介して、このnoteを閉じたいと思います。

   めすくぢら横たはるごと両脇に
          子を従へて妻眠りこむ
                   奥村 晃作

 両親が子を真ん中にして眠る姿を「川の字」になって寝ると表現しますが、子を両脇に抱えて寝ている妻の姿を、作者は母くじらにたとえて詠んでいます。

 なんとも微笑ましい一首です。寝ている妻は、夫が自分のことをめすくぢらにたとえて詠んでいるとは夢々知らないことでしょう。

 
 
   暁や鯨のほゆる霜の海 
             暁台(ぎょうだい)

 江戸の頃までは、日本近海は鯨の宝庫で、アメリカやヨーロッパの捕鯨船が押し寄せ、鯨を捕りまくり、近海では鯨がすっかり減ってしまいました。
 今、鯨を見ようとするならば、ホエールウオッチングの観光船に乗って出かけなければ見ることはかないません。
 暁台の句は、まだ鯨が日本近海に泳いでいた頃で、浜からの鯨の潮を吹く雄大な姿が見えており、暁台は、この光景を一句に詠んだのです。


   ウシ喰った口でクジラを可愛がり
               坂本ゆたか

 昭和50年代に入ると、国際捕鯨協定委員会で、鯨の捕獲枠が決められ、今までのように自由に鯨を捕獲することができなくなりました。
 鯨の保護を強調するヨーロッパの人々に対し、あんたらは牛を喰っているのではないか、と作者が怒りの一句を吐いているのです。
 
 多くの日本人が坂本ゆたかさんのこの一句を読んで、快哉を叫んだことと思います。

鯨の骨格標本です(和田浦WA・O)

【参考文献】
 三浦哲郎『海の道』新潮現代文学57
 

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?