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ゲイになったら、職場で自分が消えた


「おはようございます」

聞こえていないのかな。

不安になってもう一度挨拶を試みるが、やはり、届いていなそうである。というよりも、体を動かしても視界に入れてもらえていない、そんな気がする。


わたしは昔から声が小さい。

ガラス細工か、絹糸のようなものと自分に対しては言えない。ただ、「そうだったらいいのにな」と妄想をしたことは何度もある。天然を願い、涙が落ちたその場から、生まれ変わりたいと想う。

「男なら泣くな」「もっと男らしくしろ」と言われても、上手にはできなかった。むしろそう言ってくれる人は少なく、「女々しい」と言われるのがほとんどだった。呆れられているのだろうか。ふとした場面で漏れてしまう、野太い影をきらっている。

はっきり言ってしまうが、職場で喋る、わたしは「地声」ではない。無理やり寄せているのだ。自分のこの見た目だったら、この声が一番合うと思っている。



「綺麗な声ですね」

家に帰ればあなたは愛らしい、うとうとした表情で寝ている。わたしの声を褒めてくれた人だ。その瞬間を冷凍保存し、忘れないようにしている。あの日、わたしの声は間違いなく「地声」だったのだ。恋をした、その相手の前で地声の意味が逆転する。


わたしは恋人の彼と一つ屋根の下で暮らしている。

「おはようございます」「今日は近くの公園までデートしましょう」「買い物、一緒に行きますか?」「髪、わたしが乾かしてもいいですか?」「ちゃんと食べないと元気がでませんよ」「おかえりなさい」「あなたが大好きです。今日も、きっとこれから先も」

ずっと自分の、この声を覚えている。

27年間生きてきて、やっとわかった「自分」だった。わたしは愛する彼の隣でワンピースを着て、なりたい姿でやっと、笑えていたのだ。



彼に恋をした、始めの頃。

自分は同性愛者なのかなと、そう思っていたときもあったが、単にわたしが彼に恋をしているだけのよう。

いままでお付き合いをしてきたのも、女性だった。証明はまだまだ先でもよさそうである。とはいえ、彼の恋人であるわたしは、街で手を繋ぐし、抱き合って眠る夜もあるし、キスだってする。なんら不自由はない、むしろ底なしの自由である。「暮らし」の中で愛を深めて、歩んでいる。



最近、きっかけがあった。

わたしが職場である飲食店で働いている時間、彼がとある事情で倒れ、救急車で運ばれた。

病院の人から連絡を受けたとき、同じ時間帯で働いている従業員に迷惑がかかる、それを承知でわたしは頭を下げた。「恋人が倒れたので向かわせてください」と。ただ、店長や一部の従業員にしかわたしは、"彼"の存在を伝えていなかった。

いま思えば、もっとわたしがきちんと伝えて生きていればよかった。「彼女いたんですか?」という言葉に、わざわざ「男の恋人です」なんて誇らしげに答えなければよかった。承認欲求かなにかだったのだろうか。冷静さを欠いていたのもあり、聞いてもいないことをぽろぽろと零しすぎてしまった。

不出来だった部分は、宙のようにどこまでも広がっていく。その日を境にわたしは職場で、"変化"を感じ取っていた。



「おはようございます」

誰もわたしと目を合わせない。

申し訳ないことをした。従業員が不足している中、お店に、そしてみんなに迷惑をかけた。いつも以上にこれから働くつもりである。謝ったから許してほしいなんて台詞はわたしが言うべきではない、それをわかった上で許してほしかった。「家族」が、心配だったのだ。


ただとにかく様子がおかしい。唯一、いつも通りやさしい空気を放ってくれたひとりにわたしは訊いてみた。


「あの、わたし、みんなに避けられてますかね」


この言葉を使うのにも、数週間かかった。ただ核心に触れるには、わたしの語彙ではこれくらいしか思いつかなかったのだ。ほんの少し間を置いて、教えてくれる。


「多分この前の件で、いちとせさんに男性の恋人がいるっていうのを、笑っているんだと思います」


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そうなのかなと、思ってはいたけれど、もっと違う理由であってほしかった。元々のわたしの人柄が、"それ"を些細にできる力を持っていればよかったのか。「くだらないですね」と教えてくれた人には伝えたかったのに、下唇を噛みちぎり、「そうですか」としか零せなかった。


わたしのいる飲食店は、男性のお客さんが多い。いつも通りわたしが接客をしているだけなのに、くすくすと笑い声が聞こえる。「痛いなあ」と頭の中で呟くが、どこが痛んでいるのかわからない。少しでも刺さると涙は、噴水のようにいつもなら出てきていた。ただ、泣き虫のわたしがなぜか、泣かなかった。それはきっと、わたしはひとつも間違えていなかったから——


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わたしがまだ、彼とお付き合いをする前。
ちょうど、恋をしていたときだっただろうか。

「誰がどう愛してもいい。男が男を愛してもいいし、女が女を愛してもいいよね」

どんな話の流れだったか、ある従業員がそう話していて、わたしは救われていた。「そうだよね」。別になにもおかしくない。その後自信を持って彼を愛し、わたしたちは結ばれていた。かといってわざわざそれを報告はしなくてもいいと思っていたが、同じく"きっかけ"があったのでその従業員に「男の恋人がいます」と伝えると、思わぬ言葉が返ってくる。


「ゲイなの?ウケる。絶対長続きしないじゃん」


頭の中が真っ白になった。

言葉を失い、わかりやすくわたしは黙り込んでしまった。それもいけなかったと思う。その瞬間、見下す隙を与えてしまった。以来、あれよあれよと変な方向に噂は広まり、わたしは従業員の誰とも上手に話せなくなってしまった。仕事中、世間話や無駄話をしたいわけではないが、わたしという人間そのものを拒絶されてしまうのは苦しい。これは勝手に解釈した、空気である。


自戒を込めてわたしは常々、言葉で言うのは簡単だなと思う。「差別しないよ」と誰もが言うが、目の前に状況が見えているとき、それはかなり難しい。本人は手のひらを返しているつもりはないと思う。無意識に、それこそ何気ない。

わたし自身も気づかず傷つけてしまったこと、言った瞬間気づいたものの巻き戻せない時間を悔やんだこと、数え切れないほどある。いまも自分で気づけていないものだってあるだろう。ただわたしは、「差別をしない自分」には酔わない。本当にやさしい人は、寄り添うとき、必ず素面だから。



わたしをいつも読んでくれる、大切な人が教えてくれたこんな言葉がある。

結局分かり合えないことなんかいくらでも存在するのだから「あなたに理解されなくても、わたしは変わらず生きていく」くらいの心持ちが一番大切なのよ。


職場で孤立し始めているいま、わたしはとても怖いし、不安だ。ただ後悔はしていないし、誰も恨んではいない。自分の生き方を胸に立ち向かう。それか、この愛を貫けば誰も文句は言わないし、嗤ったりもしないはずだから。


色々とここまで書いてきたけれど、「言わなければよかった」と、彼を表情を見ていても当然浮かばない。隠す隠さないなんてそもそも選択肢はなかったのだ。ただ事実を話した。わたしは別に、「彼を愛している自分」が好きなのではない。ちゃんと「自分」を好きでいたい。


生きやすい環境に、自分の心を持っていく。

わたしはここにいるよ。男らしくするためではない、精一杯の大きな声で「おはようございます」と言いたい。


そして最後に、あえて「マイノリティ」という言葉を使うのであれば、わたし自身これから先、マイノリティを盾にして誰かの優位に立とうとしたり、周りを傷つける人にはならないよう、気をつけようと思う。


書き続ける勇気になっています。