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「よく噛んで食べなさい」で生きてこれて、よかった。


全部勝手な解釈です。

約束して生きてきたわけではない。
ただ、やさしい手がそこに見えたから触れただけ。たったそれだけなのに、こんなにも幸せに生きてこれた。わたしがずっと人と話すことが出来なかったのも、自分のことを褒めてあげることが出来なかったのも、全部よく噛んでいたからだ。もうそういう解釈にしなければ、この涙の訳を説明出来ない。証明、出来ないんだ。



母親に会ってきました。

もうわたしも一人暮らしを始めて、時もだいぶ経った。いつだって会う予定を立てるのは母親の方からで、そして会いに来るのもいつも母親だ。ただ今回だけはわたしが会いに行く。


母は父と、昔から仲があまり良くなかった。わたしには姉が一人いて。わたしたち子どもがいなかったら両親は離婚していたんだろうなと正直思う。

毎日のように怒鳴り声が家中に響いていた。その声は母からも父からも出ていた。解決する方法なんてわからなかった。お互い明確な理由があって怒っているわけでもない。怒る自分に食われていたのだと思う。姉は毎晩泣いていたし、わたしは家族をバラバラにしないように必死だった。

もう、この家族は終わりかもしれない、と。そんなことをもう何百回、何千回と思った。結果的にはわたしが社会人となり、一人暮らしを始めたタイミングで母と姉がふたり一緒に、家を出た。そしてひとりで住むには大きすぎるほどの家に父ひとりだけが残るような形となる。


離婚はしなかった。
それもわたしと姉がいたからだろう。紙でのやりとりが交わされていないだけで、両親を繋いでいる糸はもう、いつ切れてもおかしくない。そして姉は父と絶縁に近い状態だ。きっと何年も顔を合わせていないと思う。

傍から見たらわたしたち家族は破錠しているように見えるだろうか。ただわたしにそうは見えていない。家族の誰とだっていまでも連絡を取り合うし、会いに行く。会うときは必ずひとりずつだけれど、わたしが全員のことを知って、みんなにそっと伝えている。


父さん、元気にしてるよって。
母さんは、新しい趣味が出来たって。
姉ちゃんは、仕事忙しそうだよって。

それを言うと途端に皆口数は減るけれど、特に機嫌がわるくなることはない。


「そう。」

と、小さくいつも返してくれる。
憤りを引き出しから取りだすことはない。それも全て、わたしのことを気遣ってのことなのだろうか。



わたしは母へメールで連絡をした。

「久しぶりにそっちにごはん食べに行っていい?」

するとすぐに電話がかかってくる。

「何!?どうしたの?いつだって来ていいのよ。待ってるわ。」


わたしの両親はもう歳もそこそこで、母は40歳を越えてからわたしのことを産んだ。

3度、流産をして母はやっとの思いで姉を産んだという。そしてどうしても二番目に男の子が欲しかったそうだ。一姫二太郎という言葉もきっと起因している。

母にとって、わたしはやっと授かった"男の子"だったのだ。ただ今のわたしが同性愛者となり、毎日のように女の子になりたいと叫んでいることをわたしの家族は誰も知らない。けれどわたしがこうして"書いている"ことは、もう伝えてもいいんじゃないかと思ったのだ。



母が住んでいる家に向かった。

一戸建てでは当然ない。
普通のマンションの一室。

インターホンを押すと母はすぐに出てきた。


「寒かったでしょう?早く入りなさい。」

電話をした時から変わっていない。
母は何故かわたしのことを焦らせるのだ。けれどこれは焦らすつもりのものではなかったのだろう。理由はなんとなくわかる。それはわたしが、母の子どもだからだ。


「手を洗って、うがいするのよ。」

もうわたしは20代も後半。
この言葉をくれる人は、もう母くらいしかいない。素直にわたしは手を洗い、うがいをした。

母の部屋は、とても綺麗だった。
仕事をしなくとも母は生きていける歳になったけれど、きっとまだ勉強をしている。母は昔、日本語教師だった。

机には難しそうな本が何冊も重なっていて、外国語の本も沢山あった。これは言い切れるけれど、母は勉強をすることが生きがいだと思う。わたしがこうして書いているのが生きがいなことと同じように。勉強の心をわたしに強要してくることはなかったけれど、勉強の楽しさをいつだって訴えてきたのは母だった。



「もう出来てるからね。」

わたしが椅子に座ると同時に母が作った料理が何品も出てくる。冷蔵庫が四次元かと疑うほどの量の食べ物が出てくる。美味しそうな匂いを漂わせている鍋もぐつぐつと火にかけられている。


「はい、食べるわよ。」

母の家に来てから、ものの二分ほどでこの言葉を聞いた。そしてわたしたちは一緒に手を合わせ「いただきます。」と元気よく叫んだ。


その後、またこう言うのだ。

「よく噛んで食べなさい。」

母はこの言葉をわたしにきっと何千回と言った。わたしのことをいつも焦らせるのに、この言葉を言う時はゆっくりだ。それをわたしはまた噛みしめる。母の作った料理は世界で一番美味しい。ちなみに父が作った料理は世界で一番わたしが強くなれる。


黙々とわたしがただごはんを食べていたら、母は痺れを切らすように、言った。


「つらかったでしょう。ごめんね。」


わたしは何のことを言っているかわからなかった。けれど「つらかったでしょう。ごめんね。」という一文字一文字全てを聞いて、涙が突然止まらなくなってしまった。

別にわたしは何かに絶望して、母の家に帰って来たわけではなかったけれど、母はわたしから感じるものがあったのだろう。悲愴感、そして倦怠感もあっただろうか。

それを晴れさせたかった。
遅いよね、遅かったよね。
またこれからもどうなるかなんてわからないけれど、わたしは言った。


「別に、大丈夫だよ。」

「今日はつらかったから来たわけじゃない。」


すると母は「そう。よかったわ。」と涙を流し始めていた。その涙の理由はなんとなくわかる。それはわたしが、母の子どもだからだ。


そして、わたしは切り出した。

「母さん、"俺"いま文章を書いてるんだ。別にただネットの人に見てもらっているだけなんだけど、沢山の人が読んでくれてる。でもまだ全然足りなくて。もっと、もっと読まれたいんだ。ただ読んでくれる"ひとり"の人の重みも最近わかった。それで書いていたら友達が出来たんだ。その友達と最近一緒に本も作ったんだよ。文学フリマってイベントでそれを配ったの。俺は書いただけなんだけどね。母さんは気づいているだろうけれど、会社を辞めて俺は友達がいなくなった。でもまた友達が出来たのは書いていたからなんだ。エッセイって知ってる?日本語教師をしていた母さんには笑われてしまうかもしれないけれど、俺が知ったのはつい最近なんだ。エッセイが書きたいんだ、俺。エッセイだけで生きている人なんて、この世にほんの一握りしかいないし、その職業なんてあるようでないのかもしれない。夢みたいだけど、初めて夢を見れたのかもしれない。このふわふわした感情も、また今すぐ言葉にして書き留めたい。仕事ではなくてもいいっていうのは逃げだろうけれど。書いて、生きていきたいんだ。まだ俺の活動している名前は教えられないけど、いつか教えるよ。それを今日は言いたかっただけ。全部、これがいまの"わたし"の生きる理由なんだ。死にたいなんて、昔言ってごめんね。」



母はまた目を真っ赤にして、箸をそっとテーブルに置いた。


そしてまた言ってくれた。


「そう。よかったわ。」

「でも、なんとなくわかっていたわ。だってわたしはしをりの母さんだもの。」


母はわたしに似ていると思う。
本来では逆だ。書いているとどんどん似てきていると感じる。今度はわたしがやっと母のために生きる番になったからだろう。


その日はとにかく母の料理を食べた。母も、自分が作った料理をひたすら食べていた。わたしはわたしの友達の話を沢山した。今まで母を心配させていた分を、わたしは必死に取り戻そうとしているかのように。


「母さん、"わたし"今、よく噛んでいるよ。」


そうわたしは心の中で呟いた。
わたしは昔から噛まずに飲み込もうとしてしまう。人の気持ちも、自分の気持ちも。生き急いでいるかのような。そして周りはわたしの姿を見て、いつも滑稽だと笑っていただろう。

今は仮にそんな姿になったとしても、笑われていい。これがわたしの言葉だ、エッセイだ、って。

その繰り返しで生きていきたい。まだわたし、噛めるよ。人の心を抱きしめられるようになったよ。


「よく噛んで食べなさい。」


その言葉は人生の全てに言えるのだろう。

肌も表情も声も。
匂いも空気も皺も。

わたしは全てを纏っていたい。

これが"わたし"って言えるよ。


お金よりも、もっと大事なものがある。

綺麗事じゃない。本当に思っている。

母さん、ありがとう。

「よく噛んで食べなさい」で生きてこれて、よかった。


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