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もうすぐ赤ちゃん卒業の娘が、人生で1番激怒した話

昨日、11ヶ月の娘が激怒した。
びっくりするくらい怒った。
たぶん、人生で1番くらい。


夕飯の支度をしていたときのこと。
好奇心旺盛な娘が、キッチンにやってきた。

まだ一人で歩けない娘は、カウンターキッチンの内側を器用に伝い歩きして、コンロまでたどり着いた。

鍋を火にかけるところだったので、「危ないよ」と声をかけて抱き上げ、リビングに移動させた。
そして料理を続けようとキッチンに戻った瞬間、娘は大声で泣き出した。

彼女は顔を真っ赤にして、震えながら悔しそうに泣いていた。
今までと違う、怒りを含んだ泣き方だった。

今までも同じように、危険な場所に来たときは抱き上げて遠ざけていた。
そんなときは「あれ?なんか場所変わったな?」と不思議そうな顔で、少し遠くなったわたしを見つめるだけだったのに。

いつもと違うな、と思ったわたしは、手を止めて娘に近づいた。「ごめんね、一回だっこしよっか」と声をかけて手を伸ばした。
けれど彼女は泣きながらわたしの手をはらい、器用にお尻を動かして、くるりと背中を向けてしまった。

こんなことは初めてで、ちょっとびっくりした。
今までは、すぐにだっこに応じてくれたのに。


思えば最近、娘は少しずつ自我が強くなっている。

快・不快だけではなく、「嬉しい」とか「嫌だ」とか「これがしたい」といった、能動的な気持ちがどんどん生まれている。
そして、自分の外側にある世界を少しずつ認識している気がする。

ほんの少し前までは、まわりを伺いながら不安そうにわたしにしがみついていた。
夫のことはだいすきだし、保育園も楽しそうに通っているけど、それでも必死にわたしを追いかけていた。

今もその片鱗はあるけど、興味がどんどん外に向いているのがわかる。
新しく認識した世界を自分の足で歩き出そうとしている。


震える娘の背中を見つめながら、途方に暮れた。
そして反省した。
わたし、泣いたらだっこしてなだめればいいや、て気軽に考えていた。娘の意志を無視して、邪険に扱ってしまったんだ。

思えば少し前にも、娘は泣きながらわたしを呼んだ。その時も「ちょっと待ってねー!」と声をかけながら、家事を優先した。気がつけば、娘は顔を真っ赤にしてギャン泣き。

その様子が可愛くて笑ってしまって、思わず動画を撮ってしまった。でもその行為自体、娘をばかにしている。反省。


わかっていたつもりで、わかっていなかった。
娘は意志を持つ1人の人間で、なだめすかすような扱いをしていい存在ではないこと。

もちろん、今までも可愛がっていたつもりだ。
だけど、そろそろ「赤ちゃん」としてお世話をするだけじゃなく、1人の人間として信頼関係を築くコミュニケーションが必要なんだろうな。

娘が何を考えているのか、どんなことをしたいのか、もっともっと観察して、必要な手を差し伸べる。そうやって一緒に時間を過ごしたい。
自分の産んだ赤ちゃんとしてではなく、1人の人間として向き合いたい。

そしていつも忘れないでいたい。
家族という関係は自然とできるわけではなく、信頼を積み重ねながら作り上げていくものだということ。


反省を込めて、次の日は保育園から帰宅後にたくさん遊んだ。
夫が仕事で帰りが遅い日だったので、テレビもつけずに2人でゆっくり過ごした。

一緒に積み木をしたり、絵本を読んだり。
手を繋いで家中歩いたり、だっこして身体を揺らしたり。

そうしたら、娘はうれしそうにだっこを求めてくれた。
昨日、悲しい想いをさせてしまったのに。
それでも、にこにこしながらわたしに寄り添ってくれるんだ。


いつだって、無償の愛をくれるのは子どもの方だよなあ、と思う。
私のところに産まれてよかったな、と思えるように、自分も成長しなくちゃ。


最近寝かしつけをしていると、寝室の真っ暗な中で、娘は手探りで私の手を求める。
そして見つけると、ギュッと握って少し揺らして、へへっ、て笑ってくれるの。静かな夜に響くその声が、とっても可愛くて、愛おしい。

いつもありがとう。だいすきよ。
これからも一緒にたくさん成長して行こうね。

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クリムト「母と子」

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