イッツミー!

”何となく生きる”をやめる。 会社勤めの36歳♀現在育休中 6歳・2歳・0歳の三人息子…

イッツミー!

”何となく生きる”をやめる。 会社勤めの36歳♀現在育休中 6歳・2歳・0歳の三人息子。 私が「本当の自分を知る」ための内側の変容プロセスや、「自分の固定観念や価値観を刷新していく」過程について、現在進行形で書こうと思います。

最近の記事

vol.30 シリーズを終えて&これから

はてさて、いきなりこんな題名でシリーズを始めたもんだから、何や何や、なんか始まったぞどーしたイッツミーw、と思われたことと思います。 なぜこれを書こうと思ったか。簡単に言うと、自分はこれから 『身近な人の内面探求を手伝っていきたい』 でもいきなり手伝うよって言われても、あなた何ができるの? …って思われると思うので、まずは自己紹介的に履歴書のように書き残しておこう、というのと、 実際こんなことって共感を呼ぶ内容なのかな?というのが知りたかったためでした。 最初は、自己

    • vol.29 熱い炎というより、消えない静かな火 ~三日坊主解消への挑戦~

      自己探求の記録が、ようやく現実の時間軸に追いついてきた。 昨年2023年のこと。私はついに、長年私の自己卑下の元になっていた「三日坊主解消」に取り組んだ。 (元からコツコツ努力できる人は、“いやそんなん私とっくにできるし(ドヤ)”という気持ちで見てほしい。) ジャーナリングに伴走してもらっていた2022年前半も、「間食をやめる」とか「色彩検定試験への勉強」をコツコツやることに1か月程度挑戦して、意外と自分も続けられるんだ、という喜びは感じていた。 『✎ゆさぶられても逃げたく

      • vol.28 私がなりたかった「自分のスタイルを持ってる人」とは

        前回のまとめを自分でノートに書き出した頃、 なんだか日中眠くてぼーーーっとしてるときに、ふと感じたこと。 ✎ 私がなりたかった、「私スタイルを持ってる人」って、 「自分の選択に、はっきり理由を持ってる人」なんだろうな。 選択とは 買う物、食べる物、着る物、教育、行動などなど 日々のあれやこれや。 そしてその理由は、「~こうすべきだから」とか「きっとそうしないと~ってなるから(恐れ)」じゃなくて、 そういう固定観念やすりこみ、スーパーエゴから解放された次元で、 本当に自分

        • vol.27 自己探求の10か月、私に起こったこと(総まとめ)

          ’21年9月~’22年6月まで、ひたすら自分について探求した10か月。その間は、辛かったりしんどかったりしながらも、大小の発見や気づき、手放しがポコポコ生まれた期間でもあった。 「つまり、何が起こったの?」に対する総まとめをこちらで。 ■Before ------- 自分迷子の時期。 人に評価されない自分は意味がない 自分は何が好きなの?これから何がしたいの? 漠然とした焦り。人への妬みや羨望。 ------- ・義務、責任を負って、仕事と子育ての両立という信念のもと、

        vol.30 シリーズを終えて&これから

          vol.26 ついに「やりたいこと」にたどり着く

          自己流ジャーナリングを始めて10か月くらいがたった頃。 (チャクラジャーナルの2か月半含む) 以前の「好きなこと、やりたいことがわからない、自分迷子」で苦しんでいた頃の自分と比べて、確かな変化を感じていた。 ●ここ最近気づいたこと  ・やりたいことが「これ」と言えるようになってる。   今後自分が自分を活かしてやっていきたいライフワークについて   ずーっと数か月模索をはじめて、占星術を参考にしてみたり、   ちょっとずつwebデザインとか好きなことを   やってみていて、

          vol.26 ついに「やりたいこと」にたどり着く

          vol.25 思い込みからの開放

          2022.6月…ジャーナリングを始めて丸2ヶ月が経った。 感じたことを「言語化」するというのは本当にパワフルで、 自分という人間の価値観が、いかに生まれ育った環境や幼いときに受けた影響によってつくられているのか、いかに様々な「思い込み・刷り込み」を根っこに持っているのか、が、身に沁みてよくわかってきていた。 私にとっては、「美容・おしゃれ」についてもそうだった。 母はこれらについて非常に敏感で(実は亡くなった祖母もかなり気を使う人だった)、私が学生時代の頃から本当に口酸

          vol.25 思い込みからの開放

          vol.24 自分を大切にすること・自分に優しくあること

          ジャーナリングを初めて結構最初に気づいていたことだが、まだこの頃も、私は人への羨望の気持ちが出てきていた。  私ももっとこんな風になりたいなぁ~  いいなぁ~ なのに私は・・・  もうすぐ育休終わっちゃうかもなのに、どうしよう。。。   羨望、妬み、それに付随して「焦り」まで頻繁に出てくる始末。 これらは、第4チャクラのネガティブな側面が出てしまっていた。 これを第4のポジティブ面が出るようにしていくことが、 「そのチャクラのテーマを乗り越える」ことだったが、第4を詳し

          vol.24 自分を大切にすること・自分に優しくあること

          vol.23 チャクラが教えてくれた自分の「在り方」を変えるということ

          今までの私の悩みや行き詰まりは、ふたを開くと第1チャクラ、第2チャクラ、第3チャクラの課題(成長段階のテーマ)に当てはまっていた。 「チャクラを育てる」と言うのは、そのテーマごとに人それぞれ課題が与えられているので、それに段階的に向き合っていくイメージだと私は解釈している。 @u.coconatsuさんのチャクラコーチ©は、自分が現在いる課題に対してどう向き合えばよいか、そこと相関するチャクラのエネルギーからヒントを学べるようになっていた。 (これは非常に奥深い。お金を払

          vol.23 チャクラが教えてくれた自分の「在り方」を変えるということ

          vol.22 心の底にあった「自己否定」を発見する

          vol.15で言語化した、自分の体型に関するコンプレックス。私は毎日ジャーナルを書き続ける中で、またこの件に戻ってきていた。 自分で自分の体型のことを、本当は気にしている。 でも、今はもはやどうにかしようとも思えない。 ある時期から開き直ったことで、自分はこの身体を受け入れられてると思った。 しかし、人から指摘されたり踏み込まれたくないということは、やはり全然受け入れられていない。 「こんなに嫌なのに、なぜダイエットとかどうにかしようと思えないのか?」 理由をいくつか挙げ

          vol.22 心の底にあった「自己否定」を発見する

          vol.21 やる気が落ちてジャーナルが途絶えそうになる

          チャクラジャーナル©を教えてもらい始めて1か月半が経とうとする頃、徐々に自分の核心に触れていった一方で、私はジャーナリングへの集中力を無くしそうになっていた。 最初は、それがなぜかわからなかったが、ふと気づいたことがあった。 それは、私が自分でやろう!と思っていたことに対して「できない」「できなかった」が重なると、 自分に対して“ほーら”とか“あ~あ”という声が無意識に出て、“もういいや”と投げ出してしまうということだった。 例えば直近では、日々のヨガや、講座の復習がで

          vol.21 やる気が落ちてジャーナルが途絶えそうになる

          vol.20 私の中の小さい私の本当の声

          ちょうどそれを書き終わったタイミングで、チャクラコーチの講義があった。@u.coconatsuさんはこんな話をしてくれた。 ●「自分らしさに目覚める」ために、どういうプロセスを歩むか。  例えすり込み等があったとしても、『私は私で生きていく』ということ。  社会や環境の中で役割を持った自分ではなく、今の“本当の私”は何を感じているか。 ●家族をどうにかしなきゃ、義務感で自分を閉じ込めていた。  でもその中にいながらも、私は私を生きていくということ。  家族という集団から離

          vol.20 私の中の小さい私の本当の声

          vol.19 GWに義実家で原家族の確執を出しきって放心

          ちょうどGWが始まる2022年4月27日から、ようやく私は、重い腰を上げて家族のことと向き合い始めた。チャクラジャーナル©を始めたばかりの頃は、なかなか書けなかった。それほど心の中で重く沈んでいたものだった。 でも、少しずつ自分を開放して、手放して、をやるうちに、よし、書こう、という気が起きてきた。 簡単に言うと、私の実家では嫁姑問題が昔からあって、母と父方の祖母等は15年くらい前から完全な絶縁状態なのだ。高校生の頃、母の祖母への憎しみを初めて聞いたときは、ショック以外の何

          vol.19 GWに義実家で原家族の確執を出しきって放心

          vol.18 原家族(げんかぞく)の「バランサー」だった私

          ところで2人目の産休に入る直前に、夫が片道切符の東京転勤になったので、私も会社に無理をお願いして、完全在宅勤務の神奈川勤務を許してもらっていた。 大阪時代から、いつか自分たちの生まれ育った付近に拠点を作りたいよね、というのが夫との共通見解だったので、神奈川に越してからは家・土地探しがもっぱらの休日ワークだった。 ところがこの頃の私は、“言葉には出さないが、自分の懇意の工務店で家を建ててほしい思いがビシバシ伝わってくる父”と、“義父の協力はありがたいが自分で納得して工務店を決

          vol.18 原家族(げんかぞく)の「バランサー」だった私

          vol.17 いらないポリシー・思い込みを手放す

          (2022年4月頃のジャーナルより) ある日、数年ぶりの会社の先輩から電話があった。久しぶりで嬉しかった。 先輩はプライベートな時間だったので、いつもよりラフな対応だったものの、話の流れでいきなり下ネタをぶっこんできた。 長男を妊娠してからこの方、会社の人と飲むこともほとんどなくなっていたので、わ~こういうの久しぶりだな~・・・と思いつつ、反射的に乗っかる自分がいた。 ✎「20代の頃、下ネタを振られたら引かないで乗っかる、というのが私の謎のポリシーだった。  理由は、“そ

          vol.17 いらないポリシー・思い込みを手放す

          vol.16 芥川賞若竹さんのジャーナリング

          その頃たまたま朝の情報番組で、55歳で夫を亡くした後に小説を学び始め、2018年に芥川賞を受賞した若竹千佐子さんという作家さんの特集を見た。 若竹さんは夫を亡くした後に無気力になってしまい、この先どうやって生きていこうか、と思い悩み始めたのが、「書くこと」だった。そう言ってドサドサっと何十冊もあるCampusノートを机の上に積み上げた姿がとても印象に残っている。 ノートには、悲しみや自分の気持ち、思いつくことを全て吐き出していったらしい。すると、「私は私の人生を好きなように

          vol.16 芥川賞若竹さんのジャーナリング

          vol.15 コンプレックスを言葉にする

          毎日ジャーナリングする中で次に出てきたのは、自分の体型に関するコンプレックスだった。 友人や知り合いの人を見ていて、皆細くて羨ましいなぁと思った。 思えば小学校の時から、課外教室でいつものスカートでなくズボンを履いたときに、お尻を見られたくなくて手で隠していた。 中高もバレー部だったが、一人だけユニフォームのサイズがLでぱつぱつだったし、本当に嫌だったが大学入ってからはその気持ちを押し込めて開き直る感じにしていた。 自分のぽっちゃり体形を次第にネタにしていったので、人に、そ

          vol.15 コンプレックスを言葉にする