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vol.18 原家族(げんかぞく)の「バランサー」だった私

ところで2人目の産休に入る直前に、夫が片道切符の東京転勤になったので、私も会社に無理をお願いして、完全在宅勤務の神奈川勤務を許してもらっていた。
大阪時代から、いつか自分たちの生まれ育った付近に拠点を作りたいよね、というのが夫との共通見解だったので、神奈川に越してからは家・土地探しがもっぱらの休日ワークだった。

ところがこの頃の私は、“言葉には出さないが、自分の懇意の工務店で家を建ててほしい思いがビシバシ伝わってくる父”と、“義父の協力はありがたいが自分で納得して工務店を決めたい夫”との間で、板挟みになり、イライラすることが増えていた。(私の父は家業として、曾祖父の代から続く銘木&住宅資材卸の仕事をしていた)

この『板挟み状態』というのがキーワードになり、記憶がよみがえる。
「これは今までたーくさんあった。」
・母~親戚s
・母~父
・妹~祖母 などなど。。。
(よく考えれば会社でも、上司~後輩や、上司~関連部署上司など、板挟みがよくあった・・・)

ここで気づく。
「私は、自分が長女として家族のバランスを取らなきゃと思って生きてきたんだ。『バランサーが自分の役割』」
「バランサーとして、バランスの取れた最適解を出すには?を考えていつも動いていた。」
「そこに、自分の気持ちは置き去りになっていなかったか?」

 ※その頃知ったことだが、父は長男だった故に、会社を継ぐ存在として相当ちやほやされて育てられたようだ。
 この父の、「長男であり会社を継ぐ存在、ひいては親族たちをとりまとめて面倒を見る存在」という、「かなり強い役割意識があることを、最近認識した。」と記している。
 ✎「私は知らず知らずのうちに、この『役割意識』を持つ、ということを父から引き継いでしまっている気がする。」


自分の気持ちが置き去りになっていなかったか・・・?

答えはYESだった。

 ✎「だから今も、自分がやってきた行動が招いた結果を消化しきれなくて、苦しい想いが残っているよ。」

これは、直近で起こった家族トラブルの結果のことを指していた。私はこの件について、とにかく気が重くてなかなかジャーナルに書けないでいた。


それはさておき、バランサーについて、「そういう役回りなんだ私は。」と書いている。

「どこかもめ事が起きたりバランスが崩れたときは、いつも出張っている。妹、そしていとこ6人の中でも、一番年上の自分である。
幼いときには、この子たちがひよこのように私の後ろをついて来ていた。かわいいかわいい、大好きな子たちである」


こうして私は、少しずつ親のこと、家族のことを書き始めた。

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