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不登校とルソー

世の中には学校に通わない人もいる。

正確には、通いたくても通えないケース、通いたくないし通わないケースの二種類に大別される。

また、不登校に負い目を感じている場合と、不登校を正当化している場合がある。

 

哲学者ルソーによる教育学の古典『エミール』は、公教育を前提としていない。

家庭教師による'理想的'教育を描いているのだ。

教育学のバイブルがそうなのだから、不登校こそ真の教育の前提条件である!

…と言いたいところだが、断言はできまい。

 

そもそも、未だかつて『エミール』の教育方法を忠実に実践した事例は存在するのだろうか?

それにより子どもが立派に成長したという成功例があれば、学校教育へのアンチテーゼとなりうる。

しかし実際のところ、『エミール』の教育論を部分的に学校現場に取り入れる程度が関の山であろう。

 

ちなみにルソーは、公教育を一切受けていない。

それでも歴史に名を残す哲学者となったのだから、彼自身が学校教育へのアンチテーゼとも言える。

だが、それはレアケースには違いない。

学校に通わない生き方の正当性を証明するには、実例と成功例の蓄積が必要だ。

不登校YouTuberの少年が一部で反感を買っているのは、自らが成功例となれるかどうかまだ分からない段階で不登校生活を正当化しているからだろう。

 

昨今はパンデミックにより学校閉鎖が日常茶飯事になったが、これは広い意味では集団的な不登校と解釈できる。

学校閉鎖が教育に悪影響ならば学校必要論が優勢となり、問題がなければ学校不要論にとって有利な展開となる。

今後の動向が注目される。

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