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七支刀と宮崎市定と、ときどき蛇行剣

先月末にNHKで再放送された1981年の特番を観て、古代日本に百済から持ち込まれた「七支刀」なるものを知った。

その刀身の銘文は、長年多くの研究者がその解読を試みているようだ。

番組には出てこなかったが、中国史学者の宮崎市定もその一人で、『謎の七支刀』(1983)という著書があったので、拾い読みしてみた。


文庫版(1992)のあとがきでは、自分の成果が学界から不当に無視されていると憤っていた。(p.274)

また、NHKによる調査のことも書かれている。

〔…〕昭和五十七年二月、NHK調査班が出張して、あらたにX線透視を試みたが、従来以上に発見したものはなにもなかったという。

中公文庫、p.9

昭和五十七年二月は1982年2月だが、先述の番組は1981年2月の放送だ。

その翌年にも調査があったものの、その時は発見が乏しかったということか、あるいは年数の誤植なのか。

誤植だとすると、素人目には沢山の発見が番組で紹介されていたように見えたので、「従来以上に発見したものはなにもなかったという」との記述が腑に落ちない。

文献学的研究を主眼とする宮崎による、科学的調査への過小評価だろうか。

いずれにせよ、宮崎は『謎の七支刀』執筆時点で、番組を観ていなかった可能性がある。


そもそも何故、今のタイミングで七支刀の特番が再放送されたのか。

どうやら、それには去年奈良で出土された過去最長の「蛇行剣」の公開(こちらも先月末)と関係がありそうだ。

蛇行剣は七支刀と同じく4世紀に造られており、文献上の空白期間である「謎の4世紀」を知る手がかりになると期待されている。

七支刀は当時の朝鮮半島の技術の高さを物語っているが、蛇行剣は日本列島で製造された鉄剣である。

4世紀の日本にも高い製鉄技術が存在したことの証明というわけだ。

剣が長大であればあるほど素晴らしいのかは分からないが、なんとなく誇らしく感じられる。



写真は、七支刀が保管されている石上神宮(奈良県天理市)

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