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あなたはあなたのままでいい 〜「義務」から「責任』への転換

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人権尊重が叫ばれても、なぜ人権侵害や差別はなくならないのでしょうか。人権尊重の観点を、「義務」から「責任」へと変えることで、この行きづまりを変えることができるのではないでしょうか…
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#エッセイ

目の前の人に人権尊重を要求できるか

人は、人として尊重される「権利」を持っています。それが人権です。人権のことを「幸せに生き…

vivant
1年前
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「あなたはおかしい」のぶつかり合い

これまで、わたしはこのnoteに掲載した「高校生のための人権入門」などで、人権に関わるトラブ…

vivant
1年前
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人権に関わる「ぶつかり合い」をどう解決するか(その2)

前回、同じテーマを考え、その時の仮の結論として、「1 今、起きている問題の解決は、具体的…

vivant
1年前
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力には責任がともなう ~「強い立場」の人たちへ~

力には、必ず責任がともなうのです。人の社会において、「強い立場」の人は「弱い立場」の人に…

vivant
1年前
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「義務」から「責任」へ ~人権尊重の観点を変える~

前回の最後に、「人権尊重をすることは、たぶん『責任』ではあっても、『義務』ではない」とい…

vivant
1年前
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「弱い立場」の人への「責任」はなぜ生じるか

前回、「『強い立場』の人が持っている力とは、本来、『弱い立場』の人から譲り受けているもの…

vivant
1年前
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人権問題における「責任」は、思いやりや道徳とは関係ない

前々々回、「力には、必ず責任がともなうのです。人の社会において、『強い立場』の人は『弱い立場』の人に対して、常に責任を持たねばなりません」と書きました。ただ、ここで言っている「責任」は、思いやりや、道徳や良心に基づくものではありません。もちろん、現実には「責任」感は「義務」感などといっしょになっていることが多く、そのこと自体はむしろ自然なことです。しかし、差別や人権侵害の解決を考える上では、法律や道徳に基づく「義務」と、力の関係に基づく「責任」とを区別することが、非常に重要で

人の心は善か悪か ~性善説と性悪説の議論に終止符を打つ~

人権の問題の解決を考えるためには、善悪というものが、人にとってどういうものなのかを考えて…

vivant
1年前
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なぜ、神と悪魔が存在するのか 〜善悪の対立から自らを解き放つために〜

「神は善で、善なる神がこの世界を創ったのなら、なぜ、悪が存在するのだろうか」と、だれでも…

vivant
1年前
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あなたのままでいいんだよ ~わたしが幸せになるために~

「善と悪」について何回か考えてきて、人権問題の解決のために一番大事だとわたしが思うことに…

vivant
1年前
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「義務」の強調は「責任」を忘れさせる ~人権尊重は自らの「責任」を認めること~

道徳や法律やマナーから生じてくる、人の「義務(こうでなければならない)」を強調することは…

vivant
1年前
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やさしくなれないあなたは悪くない ~子育てや介護で行きづまった時に~

子どもや高齢になった親に、やさしくしたいのについ怒鳴ってしまったりして、後で落ち込んでし…

vivant
1年前
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「よい/わるい」で、人や自分を裁かない ~人は、誰かのために生きるのではない~

「よい/わるい」、「善い/悪い」、「良い/悪い」、そういう見方で人や自分を裁いていません…

vivant
1年前
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もうひとつの「よい/わるい」 ~人と比較しないことの大切さ~

前回、「よい/わるい」という見方で人や自分を裁くことは、人を不幸にするということを書きました。しかし、「よい/わるい」を人の心からなくしてしまうことは、まず不可能です。今回は、「義務(そうしなければならない)」から出てくる「よい/わるい」ではない、もうひとつの「よい/わるい」を紹介したいと思います。 スピノザの考える「善」と「悪」17世紀のオランダの哲学者にベネディクトゥス・デ・スピノザという人がいます。この人が、その主著の『エチカ』という本の中で、こんなことを書いています