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マネジメントの未来 対談者:原田泳幸様

皆さまこんにちは!ヒューマングループnote編集担当 朝永です(^o^)/

今回のヒューマントークVol.30は、社長 内海の高校の先輩であり、アップルコンピュータ株式会社の社長や日本マクドナルド株式会社ホールディングス株式会社社長などの経歴をお持ちの原田泳幸様との対談をお送りいたします。

まずは、社長の内海と原田様のとの出会いからご覧ください!

原田 泳幸さんとの出会い

高校の先輩そして、母同士が友人というご縁で今回のインタビューが実現できました。

アップル社 そしてマクドナルド社と経営力を遺憾なく現場で発揮され、話される内容がグローバルで圧倒されます。しかし佐世保をこよなく愛される姿に頭が下がります!

※対談の本文は、2013年12月にヒューマンニュースレターに掲載したトークを当時の文章で掲載いたします。

マネジメントの未来

note ノート 記事見出し画像 アイキャッチ (24)

<ヒューマンニュースレターVOL.41(2013年12月発行)より転載>

日本マクドナルドホールディングス 社長 原田 泳幸 様
ヒューマングループ 代表取締役 内海 和憲

 マクドナルドCEO兼会長兼社長の原田さんとの出会いは、前職(アップルコンピューターの社長)をされている時、母校の佐世保南校の後輩達に講演に来られた時でした。校長室で原田様とお話をする中で“内海君のお母さんには大変お世話になったんだよ・・・“原田さんのお母さんと私の母が仲の良い友達だと知り驚きでした。

それ以降高校の先輩・後輩という事で久しくお付き合いをさせて頂いています。今回創立60周年の記念として創業者の父と母をよくご存じの原田さんにヒューマントークにご登場頂きました。

内海:原田さん、お忙しい中ヒューマントークの取材にご協力頂きほんとうにありがとうございます。私と原田さんとの出会いは、佐世保南高校で講演をされた時ですね。もしかしたら、それ以前も高校の廊下などですれ違っていたかもしれませんが(笑)

原田:そうでしたね!高校時代、私は吹奏楽をやっていました。その関係で内海さんのお姉さんもよく知っていますよ。吹奏学部の先輩達がコンクールで賞を取ったり、音大に進学されている本流の方々を憧れの眼差しで見ながら、我々は本流から離れてジャズをやっていましたね。吹奏楽部をジャズバンドに変えてしまったんですよ。仲間を巻き込んだせいで、担当の先生からえらく叱られました(笑)

内海:当時から行動派だったんですね!
さて、母親同志の親交について、お伺いできますか。残念ながら私の母は26年前62歳で亡くなりましたが・・・。

原田:私の母は84歳になりましたが、幸い元気に暮らしています。私は母が20歳の時の子供で、母が30歳のときには子供が5人いたんです。末っ子がいま佐世保で佐世保バーガーをやっています。
私が小学校の頃から内海さんのお母さんがうちによく遊びにこられてました。母とは料理学校で知り合ったようですね。子供ながらに会う度に、私に「かわいい、かわいい」と言ってくれて、本当に嬉しかったを覚えています。

私が中学生の時に、家が火事で丸焼けになってしまい、その時に末の弟が行方不明になったんです。ラジオでも行方不明と流れて母はもう弟が死んだものだと思い、泣いてみんなで探しました。 結局、弟はちゃんと一人で逃げ切って無事でいたので、よかったんですけどね。火事になったときは、家もなにもかも全部無くなってしまったのですが、子供からすると火事の後というのは、正月以上に人がたくさんきて、親切にしてくれて、たくさん物もくれて・・・と浮かれていました。7月に火事にあったのですが、その年の除夜の鐘を聞いたときに、お袋が涙を流したんですね。それを見て、「あぁ辛かったんだな」と知りました。その間もずっと内海さんのお母さんはうちに来てくれて母の相談相手になってたくさん話を聞いてくれていましたね。心の支えになったと思います。

内海:そうなんですか。お互い支え合える良い友達だったんですね。
ところで、先輩の著書を読んでいると、大学時代は月2万の仕送りであとは、アルバイトをしながら生活されていたとか・・・。私も月2万でしたが先輩は随分稼いでいらっしゃったんですよね。私とは大違いです(笑)

原田:そうですね、学生時代は1戸建てに住んで車を持っていて、卒業と同時に家を建てましたね。

内海:どうして、家を買おうと思われていたんですか?前から考えていらっしゃったのですか?

原田:いえいえ、思いつきですよ。実は就職するときには随分悩みました。なんといっても、年収が5分の1になるのですから! 学生時代は塾の経営から旅館の番頭から仕事をかけもちしていましたからね。そこで、身体さえ丈夫なら生きていけるという考えができたんです。私は大学はあまり行かなかったけれども、大学の先生が「これからはコンピューターだ!!」と言っていたなぁと思って、家の近くにあった会社に就職を決めたんです。当時、列島改造論で新聞を見ていたら毎週毎週土地の値段が上がっていました。長崎から東京にでてきている私は、今を逃せば一生家は買えないな、と思って不動産屋を回り始めたんです。

最初は誰も相手にしてくれないんです。まぁ、そりゃあそうですよね。本気とは思ってもらえなかったんでしょう。そんな中、ある不動産会社で「どうして土地をさがしてるの?」と聞かれたので「今しか買えないから」と理由を話し、頭金のこととかも話しましたら「それは立派だ!」と力を貸してくれて、無事家を建てることができたんです。それにしても、今思えば若かったですよね(笑)

内海:当時からすごい行動力だったんですね!
ところで、先日のトライアスロンの完走おめでとうございました。

原田:ありがとうございます。今回、その挑戦を通してトライアスロンの本を書いたんですよ。今まで7冊本を出していて、これまでは周囲の勧めで出していましたが、今回は初めて自分から本を出そう!と思いましたね。

内海:私はハワイで初めてのトライアスロンに参加したのですが、最初のスイムで顔をあげた瞬間に波を受けて息ができなくなって、もうパニックになってやめたくなりましたね。でも、ここでやめるわけにはいかないぞ、と必死にやりました。

原田:そうだったんですか!私も初めての大会参加でしたが、みんなに言った手前、有言実行でやらざるをえなくなった。大会の1週間前に初めて熱海の海で1500mの練習をしましたが、そこでやっと自信がついて本番に臨みましたね。波が来たときの対処の仕方なども本の中にかいてあるからぜひ読んでみてください。

内海:勉強させていただきます。
トライアスロンは初めてですが、原田さんはそれまでも走ったり、トレーニングをされていらっしゃいましたよね。

原田:そうです、しかし走り始めたのも2009年からで、その間たくさん怪我もしました。その辺りも本に書いてありますよ(笑)。
ところで、ヒューマングループは今年60周年なんですね。おめでとうございます。これから事業をどうやって継続していくのかが大変でしょう。

内海:ありがとうございます。そうですね、全国に自動車学校が現在約1300校ありますが、もう、ダンピング合戦なんです。そんな中で我々も、もう一度、基本を見つめてやっていかなければいけないと思っています。

原田:経営者が優秀であればあるほど、やっぱり任せられないという気持ちにもなりますからね。私も今回一部の職を交代しましたが、それに対してメディアが色々勝手に書いているけれど、やはり今後、日本の企業がグローバルに進んでいくため、または同等にやっていくためには、外国の人そして女性のタレント(人材)をどう活かしていくかということが非常に重要なのです。私がこれまで10年間やってきたのは改革です。
改革はトップが旗振役にならなくてはならない。しかしマクドナルドでは改革は終わり、線路の引き替えは終わった。今後はいかにそこを上手に走っていくかなのです。その中で重要なのが後継者の育成です。

原田:海外の企業は後継者育成をとてもうまくやっています。私がずっと今の職でやっている以上、後継者は育たない。後継者を育てるということは、いかに辞めるかということなのです。その勇気がなければ次は育ちません。私は幹部には3年以内に自分の後継者を育てなさいと言っています。3年経っても次を育成させる能力がない人は、やめさせなければいけない。トップだけ交代しても下が育たなければ意味がありません。人を育てるのに、一番は自分が去ることです。自分がいなくても会社がうまくいくようにしておくことこそが、仕事では重要なのです。それが組織というものです。企業の新陳代謝を活発にしていかなければならない。それは内海さんの会社も同じですね。

内海:そうですね。ヒューマングループも今平均年齢が下がってきていて、若いスタッフもどんどん活躍してきています。

原田:年齢というと日本の経営者の年齢はグローバルの中でもとりわけ高いですよね。やはり年功序列という考え方が根付いていることと、あとは日本の子育ての方法が世界の中でちょっと違うからだと思います。日本では子供をひとりの個としてというより、自分のものという考えがあります。だからいつまでも子供は親に頼る。また、海外にいくと30代40代のトップリーダーがたくさんいます。因みに内海さんはいつ頃会社を受け継いだのですか?

内海:私は39歳の時です。父の急死での交代だったのですが、実は亡くなる1週間前に父に呼ばれ当面会社は譲れないと言われ、あぁ、あと10年は専務かと、まぁそれもいいかなどと思っていました。急な交代だったので内心自分が一番動揺していましたが、幸い、父を知る周囲の方々、そして当時のスタッフに支えられ非常に助かりました。
事業の多角を進めながらわかったことは、自動車学校は先にお客様からお金をいただくことができるいい商売なんだなと気づきました。

原田:商売の基本とは現金売掛なしですからね。マクドナルドはそれこそ全て現金商売、アフターフォローなしですよ。
クレームなどは残念ながら発生してしまいますが。また在庫をたくさん抱えてしまうことがあります。在庫管理は難しいですね。大量販売だから読みを間違うと大変なことになります。

内海:自動車学校業界はまだまだ厳しくはなりますが、なくなるものではないと思っています。やはりスタッフの質が一番大切だと考えています。人は一朝一夕では育ちませんので継続した教育が大切です。今後もお客様と接するスタッフの育成をさらにしっかりと行い、単純に運転技術だけでなく、安全運転をするドライバーとしての心の教育ができる人材育成を続けていきたいと思います。また、観光事業も同じく、お客様が希望されるさらにその一歩先をご提案できるバス会社、旅行会社でありたいと思っています。

原田:自動車学校というのは、昔は需給バランスでいくと申し込みが殺到していて、非常にサービスが悪かった(笑)。教官から殴られたという友人もいましたよ。ちなみに私はというと、車を先に買ってから自動車学校に通ったんですよ。当時アルバイトしていた店長が買った軽自動車に、「かっこいいですね!」と言っていたら「28万今日中に現金をもってきたら譲ってやるよ」というから、必死で友達から借りて回って28万かき集めて店長に持って行って譲ってもらいましたね(笑)そして、免許をとったその日に、譲ってもらった軽自動車を28万以上で下取りしてもらって、普通車にしたんですよ。
しかし、今は単に資格をとるだけじゃなくて社会的責任も自動車学校に求められていますよね。やはりサービス業だと思います。

内海:そうですね、私は昭和48年に入社しましたが、自分の会社でありながら入社したその日に「もうこんな会社辞めたい」と思いましたね。お客様よりも後に出社するスタッフばかりで信じられなかったですね。

原田:車の選び方も変わって、昔は排気量などで選んでいたけど、今は環境にいいとか、事故にあわないような車もでてきましたよね。コンセプトがどんどん変わってきているし、それを考えると、教えるほうも変わっていくのかもしれませんね。

原田:マクドナルドのクルーは全国で16万人います。一年で約50%が入れ替わりますが、実はこれは世界でも、日本の外食業界の中でもかなり低い数値なのです。だいたい外食産業では100%以上の入れ替わりが普通です。様々な募集方法の中で一番離職率が低いのは友達からの募集ですね。やはりいいクルーは、いいクルーを連れてきてくれます。時給を上げると、お金が目的で職を選ぶ人もくる。お金でつられてくる人はお金で移っていく傾向がありますね。我々は、お金はそこそこだけど、自己啓発や教育などに力をいれて、自己成長を促すようにしています。すなわち、いかに、お金以外のモチベーションを上げるかですね。サービス産業というのはまさにピープルビジネスですからね。

内海:マクドナルドでは、女性の店長や幹部を増やすことを促進されているとお聞きしました。当社でも現在、たくさんの女性スタッフが活躍していますが、女性がマネジメントをするにあたってのアドバイスをいただけますか?

原田:やはり人口比率などを考えるとこれからはいかに女性に活躍してもらうかが重要です。女性は非常に優秀な人が多いですが、今はまだ、女性が社会進出して子供をもったらハンディになってしまいますね。今度、どんどん女性が活躍する成功事例をつくってください。
マネジメントをする上で、スタッフがトップになにも言わないのは企業にとって非常に危機な状態です。トップが裸の王様になってしまいますからね。なにか問題があったら管理職ではなく現場にきかなければいけません。そしてお客様に直接聞かねばなりません。

マネジメントとは忍耐であり、全てを容認しないと始まらない。社員からは私は厳しい原田と思われてますが、「私は言いたい事のどのくらい言っていると思うか」と聞くと、「10割」というんです。「違う、多くて3割だ」と言うと皆、びっくりするんですよ。やはり上に行けば行くほど、みんなより気付くことが多いので、皆が気付いていないこととのギャップをどうマネジメントするかなんです。
正しい答えをいうのは簡単です。しかしそれでは人は育たない。改革のときは仕方なく、「私についてこい!」とやっていましたが、気が付くとみんな私を見てただ指示を待っている状態になってしまっているんです。それではだめですね。

内海:そうですね。著書にもありましたが、弊社でもスタッフの「自主性」がこれからの課題だと思っています。

原田:私は人間として大事なことを母からたくさん学んでいます。私が小学校のときのことです。私の自転車が盗まれたんですが、犯人が見つかったと警察に呼ばれたのです。私は犯人に殴りかかろうとしたら、そのとき、母が後ろからやってきて、自転車を盗んだ犯人に羊羹をあげたんです。「これでも食べて元気だして」と。私は帰り道に母にどうして盗んだ犯人に羊羹なんてあげたのかと聞きました。そしたら母は「あそこで殴られたりしたらあの少年の人生はどうなるのか」といいました。自転車を盗んだ少年は貧しくて盗んだ自転車を売ってお金にかえていたんですよ。母はそれを知っていたのです。
マクドナルドの社長になり改革を進めている時のことです。新聞に“原田社長と衝突し、役員が続々退任”と書かれたら、母から電話がありまして、「新聞に、あんたがケンカしたと書いてあったけど仲良くせんば!」とたしなめられました。また業績がいい時には、「新聞にマックの業績がよかよかと書いてあるけど、社員の皆様に感謝せんば!」と言われて、はっとさせられました。つい、「自分がやった」と思ってしまいますよね。
母はこれまでも仕事はしていませんが、そういったところでたくさんの気付きを貰っています。

内海:やはり、原田社長の基礎はそこで作られたのでしょうね。
今日は非常にお忙しい中、とても勉強になりました。ありがとうございました。

原田:ありがとうございます。これからもがんばってください。

原田泳幸様プロフィール
1948年長崎県佐世保生まれ。
佐世保南高校~東海大学工学部卒業。ハーバードビジネススクールAMPプログラム、仏INSEADビジネススクール短期プログラム修了。72年エンジニアとして日本NCRに入社。その後横河・ヒューレット・パッカード(現日本HP)、石油調査のシェルベルジェグループを経て、90年アップルコンピュータージャパン(現アップルジャパン)へ。04年同社代表取締役から日本マクドナルドCEOへ転身、現在、日本マクドナルドホールディングス株式会社代表取締役会長兼社長兼CEO。並びに、日本マクドナルド株式会社代表取締役会長。2013年6月より、ソニーとベネッセホールディングスの社外取締役

朝永のつぶやき

最後までご覧いただきありがとうございます!ここからは、編集担当が今回のトークを読んだ感想をまとめたプチコーナーです。

今回は原田泳幸様とのトーク前編をお送りいたしました!母親同士の親交から、学生時代のエピソード、経営についてなど様々なお話をお伺いしました。

原田様のお話を含め、今までのヒューマントークを振り返ってみるとトークに登場される方は行動力のある方が多いような気がします。

そんな方々は自分から行動するからこそ、様々なチャンスを掴んでこられたのかもしれませんね!

私も来年はもっと自分からアクションを起こしていける年にしたいと思います(*^o^*)


それでは今回はこの辺で!また次回お会いしましょう♪


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