マガジンのカバー画像

詩集「アンプル」 収録作品(一部)

10
処女詩集「アンプル」に収録した作品の一部を掲載しています。
運営しているクリエイター

#詩集

「熱に浮かれて」

誰があの夏の歌を口ずさんだのだろう。
そんなことを
春の月のせいで思い出す。

畦道に一人佇み、
そっと聞き耳を立てる。
違う。
これはあの歌じゃない。

小川にかかる古い橋の上。
そう、これかもしれない。
でもまだ遠くて。
どうしても手が届かなくて。

猫じゃらしを撫でる。
耳元でゆっくりと、何度も。
少しずつ、目の前が狭くなる。
近いはずで、同じはずなのに
離れてゆく気がした。

もっとみる

「ノスタルジー」

ノスタルジーは簡単に人を殺せるんだ。
今ここにいて、昔自分がいた場所がある。

ぼくは一旦、現在を全部捨てて
過去を吐き出すために彼女を連れ出した。
ぼくが昔、根城にしていたお化け屋敷に。

ぼくはまるで
一週間飲み続けた後の早朝の様に
吐き出し続けた。
彼女だって負けなかった。

お母さんのこと、
お父さんのこと、
栗のこと、
杉の木から飛び散る胞子のこと、
上から見つめた犬のこと、

もっとみる

「ground」

淀んだマンションの足元。
番犬の吠える声。
立ち上る濃い空の水子。

誰かの不機嫌が
私の影を踏んでいて、
足が上がらない。
縫いとめられたパペットを
想う。

未来は重い。
目を覚ましたはずだというのに、
不吉に囚われたまま
瞼には夢がぶら下がっている。

今日の雲は役立たずで、
陰気を孕んで群れているくせに、
太陽を隠そうとはしない。

ここにいつまでも居られない。
だからとい

もっとみる

「メニー」

卓上のフラスコに、
三億の記憶。

誰が蒔いた種かは知らない。
咲き誇る花を摘み続けるのは、
何に対する罰なのだろうか。
言い渡されたのは随分と昔のことで
思い出せない。

また、フラスコが私の元へ来る。
哀れ。
なんと哀れか。

権利は剥奪され、
価値は消え失せた。

もう君を買えるのも
私しかいない。
こんなに安く
売った気もないだろうに。

三億の記憶。
一纏めに手掴みに

もっとみる

「終末旅行」(少女らの終末旅行に寄せて)

あなたがここに居てよかった。
何もかもに意味が生まれた。

ゆらりと風に吹かれ
髪をはためかせるような
稲穂を想える。

あなたがここに居て良かった。
一番恐ろしいことから遠ざかる。

暗い洞窟より、何もない。
私の声すら飲み込むような孤独を
想うことができる。

あなたがここに居て、
本当に良かった。

有限を知ってしまっても、
あなたとなら
私は終わって行ける。

「今が苦しい友達へ僕から」

恥を知らずに言ってやろう。
いとしい友よ。
失くし難い友よ。

今君に牙を突き立てた人生。
君の頭を無下に濡らすその雨。
針のむしろの如き幾多の目。
君の心を無残に引き裂くその声も。

それは一つの表情で。
今は機嫌が悪いんだ。
そしてその痛みを僕も知っている。
せめてこの魂だけでも
君の隣に座らせておくれよ。
肩を並べさせておくれ。

僕らは学ぼう。
自分の声の聞き方を。
なんせまだ

もっとみる

「暮れの色は水色の」

目に見えない
その羽ばたきに焦がれる。
今日はもうあの川縁さえ
霞むようで、
ランプに灯したはずの火の
行方を探すこともやめてしまった。

ぼくがシオカラトンボだったなら。
どんな明日もやさしいはずだった。
黄色い花園を忘れることはなかった。

ぼくは時を捨て、
機械を拾う。

窓辺にとまった
キミには目もくれず。

「シミ」

詩が外気に触れる。

シミが
少しずつ拡がる。
愛すべきシミが。

そこのあなた。
いいからこの詩を買いなさい。
何が変わるかって
そんなの
私の知るところとお思いか?

ただこうはいえますよ。
この詩をあなたが読むのです。
この詩はあなたの目の動き、
あなたの割いた時間、
あなたの心の揺らぎを
その内に染み渡らせるのです。

思ってもみなかった?
それは上々。

ほら
シミが

もっとみる

「ホリデイ」

死にかけの灰の先で
君の墓標の窪みをなぞる。

背中に触れるその指が消える日が
来るものだとは思っていなかった。
そんな頃の私。

私を呑気だと言ったね。
その先には何も無いと
知っていて
そう言ったのかい。
だったら君は悪い人だ。

夜の境界線が消える。

背後から見つめる熱が。
当然のように止む雨が。
分かり合えたはずの夏が。

私の朝を作っていたのだと
今になって知ってし

もっとみる

「白い衝動」

雪の中の冷めた光よ。
この体に幼い時分に刻まれた
冷たく刺すような光。

森を抜けた草むらから眺める。
指先の鈍い感覚が私に囁く。

さあ中へ。

白く見えてその実
透明な雪の原。
刺すような痛みをも超える誘い。
そんな時、
私は指の腹を強く揉み込む。
潰れてしまうほどに強く。

この体に確かに染み込んだ
雪の衝動。
腑を縮める冷気に
私の心は踊り出す。

息が白くなったなら。

もっとみる