「ノスタルジー」

ノスタルジーは簡単に人を殺せるんだ。
今ここにいて、昔自分がいた場所がある。

ぼくは一旦、現在を全部捨てて
過去を吐き出すために彼女を連れ出した。
ぼくが昔、根城にしていたお化け屋敷に。

ぼくはまるで
一週間飲み続けた後の早朝の様に
吐き出し続けた。
彼女だって負けなかった。

お母さんのこと、
お父さんのこと、
栗のこと、
杉の木から飛び散る胞子のこと、
上から見つめた犬のこと、
はじめてのセックスのこと、
小石を拾ったこと。

全部を全部吐き出した。
そして彼女とセックスして、
話してはまたセックスする。
その最中もただ話をして、
止まらなかった。

三日三晩、お化け屋敷のお化けになって、
そうしてようやく、ぼくと彼女の中から
過去がなくなった。

二人で未来の話をした。
愕然とした。
未来なんてなかったのだ。

あたふたと二人して未来を、
やりたいことを、
やらねばならないことを探したが、
これが一向に見つからない。

とうとう未来なんてものは
この生命にはないことを知って、
ぼくと彼女は、
頭の中に逃げ込むことにした。

彼女の父親は約束を守らない男だった。
いつも旅行に行こうねなんて言って、
一度だって旅行になんて
連れて行ってはくれなかった。

だけど話し上手な彼女の父は、
今度はこんなところに行こうなんて言って。
それを聞いて彼女は想いを馳せる、
彼女はそんな少女だった。

あなたが思う一番遠いところは?
月。
君は?
ブラジル。

遠いね、なんて言ってぼくと彼女は
座り込んだ。

頭の中の旅をして、
ぼくたちは少しだけ
安らいだんだ。

だけど突然、
彼女が歯車が狂ったブリキロボットみたく、
叫び始めた。

遠い!
遠いよ!
遠いのよ!

ぼくは今に戻ってきた。
生け捕られた活魚のように体を波うたせる
彼女は怖い、帰りたいと言って、
自分を傷つける。

ぼくは彼女の唇に、胸に、うなじに、
額に、お腹に、
キスをした。
彼女の燃えるような喘ぎ声は止まらない。
ぼくは彼女を絡みつく様に抱きながら
思い知る。
この生命が内包するのは、
まさしく現在だけなのだ。

ぼくは暴れる彼女を抱き上げる。
ぼくも彼女も傷つきながら、
お化け屋敷から太陽の元へと帰った。

雑踏の中に出で立つスーパーマーケット。
そこからは悲しげな音楽が聞こえてくる。
ぼくはその拍に合わせて、
ゆっくりと揺れた。

すると 彼女は眠りに落ちて、
三秒で目を開けた。

とても怖い夢を見たの。

そうだね、怖かったね。
ねえ、お聴き。この音楽を。

ええ、聞こえるわ。
少し悲しげね。

うん、そうだね。

ノスタルジーは。

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