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【保育士歴12年】子どもの気持ちがわからないお母さんたちへ:ひかるママの育児日記~出産後編~

こんにちは!
宝石石鹸インストラクターの
ひかるです。

先日、私の自己紹介記事に
と~~~ってもステキなコメントを
頂きました!

コメントをくださったのは、
今をときめく大学生さんと

私の言葉に共感してくださった
人生の先輩(67歳)さん

です☆

お二人とも”子育て”について
興味をもってくださり、

母親としての私を受け入れてくれた
ことにすごく嬉しい気持ちになりました。

頂いたコメントでも

「記事を読んでみて子供たちのことが
 本当に好きなんだなと感じました!」
「子供の気持ちがわかるって素敵ですね」

という言葉がめちゃくちゃ
私の心に刺さっています。

実は保育士をしていた時から
子どもの気持ちがわかりやすく

保育園でもよく園長から
褒められていたんです。

子育てに奮闘されているママさんたちからも
よく相談を受けていました。

私が人から相談されるまで
子どもたちの気持ちを理解できるのは

少しだけ他の人よりも
家庭環境が変わっていたからです。

レアキャラの母に代わって
子育てを学んでいった私

私の母はフルタイムでバリバリ働く
現役のキャリアウーマン。

私や弟が小さい頃から
オーストラリアに出張に行ったり、

私が起きる前には家を出て
私が寝てから帰宅する生活を
母は送っていました。

なので、私と弟は母のことを
「レアキャラ」と呼んでいたんです。

そんな生活を送る母は、

・私たちと初めて食事をしたこと
・初めてしゃべったこと
・初めて歩いたこと
・初めてお風呂にいれたこと

私たちとの思い出を
全然覚えていません。

それが本当に心残りだと
私に話していました。

母は、私が3つしか離れていない弟の
お母さん代わりだと話し

「弟も私にしか心を開かない
 子になってしまった」

とこぼしていました。

家にお母さんがいない事が
”あたりまえ”の生活


当時は、母親がフルタイムで働くことが
珍しい時代だったこともあり、

お友達の家に遊びにいくと
必ず友達のお母さんがいて、

・おやつを出してくれたり
・私の話を優しく聞いてくれて
・時には夕飯までごちそうしてくれる

私の日常にはない生活を送るお友達を
心のどこかで羨ましく思う自分がいました。

だからこそ、仕事の予定が空いて
母が家にいてくれた日は、
すごく嬉しかったことを覚えています。

こういう時は、母が子どもたちのために
ごちそうを振舞ってくれると
相場が決まっているのですが、

私の母は料理を一切しない人なので
弟と私はおふくろの味を知りません😅

(そういう私も料理が
 絶望的にへたくそです。笑)

これらの経験があったからこそ、

子どもに「おかえり」と
言えるお母さんになりたい

子どもが安心して帰れる居場所を
作れるお母さんを目指すようになりました。

そして、長男を無事に出産し
憧れのお母さんになれた私は、

出産当日から理想の母親に向かって
全力疾走する日々が始まるのでした。

母子同室で助産師さんのフォローも断り、
私一人で子どもに全力の愛情を注ぐ

と決めたのですが、

・授乳しても
・オムツを代えても
・抱っこしても

泣き止まない息子を前に
「もう私ダメかも」
と自己嫌悪に陥りました。

(出産してから初日の出来事..)

後陣痛、会陰切開の傷の痛み、
乳腺炎、母乳過多症と闘う日々

赤ちゃんをなだめられない自分に
落ち込んでいる時間はありません。

出産後も私には”産後の痛み”が
降りかかってきたからです。

後陣痛に加えて
会陰切開もしていたので

傷の痛み以外にも胸が
パンパンに膨れ上がって、
真っ赤になり炎症を起こしました。

これが本当に辛かったです。

助産師さんからも
「あなたは双子を育てられるわ!」
と言われるくらいずっとパンパンでした。

さらに私は、

お母さんなのにおっぱいを飲ますのが下手


だったんです。

当たり前のようにお母さんが赤ちゃんに
おっぱいを飲ませられるイメージから

「私も赤ちゃんの好きなだけ
 母乳を飲ませてあげられる!」

と理想の母親像どおりにできる
と思っていました。

でも実際は、
私の飲ませ方がすごく下手くそで、
赤ちゃんもうまく飲めず..

それなのに母乳過多症で
どんどん作られていく母乳がたまり、
毎日すごく辛かったのを覚えています。

助産師さんに飲み方を教えてもらい
1から授乳をマスター


いろんな助産師さんに
授乳の仕方を一から教えてもらい、
私の猛特訓が始まりました。

もともと片側が陥没型だったことから、
風船のようにパンパンに膨らんでいました。

赤ちゃんがくわえられない事に気づき、
激痛に耐えながら少しずつ搾乳して
少しでもパンパンな状態を和らげます。

乳頭保護器を使用しながら
赤ちゃんにくわえてもらう
工夫を繰り返しました。

助産師さんから
「本当に頑張り屋さん!」

と褒めてもらうくらい
何度も何度も練習していきました。

おかげで赤ちゃんも
たくさんおっぱいを飲んでくれる
ようになったんですが、

どうしても母乳が作られすぎるので
退院後も母乳育児教室に通い続け
上手に圧抜きができるようになりました。

母乳が出過ぎてしまう悩みに
共感してもらえず..


赤ちゃんを連れて出かけようとしても
すぐに胸が張って母乳パッドが
びしょびしょになり、

ひどい時は洋服まで染みてきます。

外出する時は、必ず私の着替えを持ち歩き
授乳場所がないところへは行けず

スーパーにいくことさえ
かなり気合を入れないといけません。

少しでも胸に何か触れると
激痛が走り、抱っこするのも辛いです。

母乳が出なくて苦しむママさんが多い中、
母乳が出過ぎてしまう悩みを
なかなか受け入れてもらえず、

挙句の果てには
「うらやましい悩みだね」
と言われたことが一番苦しかったです。

あんなにお母さんになることが夢で
「赤ちゃんと片時も離れたくない!」
と考えていた私が、

「誰か私と代わって!」と思ってしまった
ことに自分でも驚いています。

でも、

子育てで一番嬉しいのは
子どもを褒めてもらうこと☆

こんな毎日心が折れそうな生活をしていても
嬉しいことがあります。

「あら、かわいいわねー!」
と話かけてもらえたり

「あなたは頑張ってるわね」
と褒めてもえらえること。

さらには、私がお腹が減り過ぎて
赤ちゃんを連れて大好きな吉野家に入り

おんぶしながら食べようとしたら
息子が大泣きし始めて

「あー!食べないで
 お店を出るしかないか」

と思った時に、隣に座っていたご夫婦が

「赤ちゃん抱っこしててあげるから、
 あなた食べちゃいなさい」

と優しく声をかけてくれました。

「怒られてしまうのかな..」

なんて一瞬身構えてしまったけど
息子をあやしてくれた時は、
感謝の気持ちでいっぱいでした。

「世の中捨てたもんじゃないなー!」

としみじみ感じ、
また頑張ろうと思えました!

息子から片時も離れなかったことで
私は人一倍子どもの気持ちがわかる
ようになったんだと思います。

最後に、保育士の先輩から
教えてもらったことがあります。

それは、

「保育と子育ては違うよ」


ということです。

子どもと関わる仕事をしていたけど
「赤ちゃん」と触れ合う機会がなかったので

出産前から育児に関する本を
読み漁っていました。

そして、悪戦苦闘の日々を経験し
息子の気持ちを少しずつ理解できる
ようになっていきます。

子どもの気持ちを理解するには
一緒に過ごす時間を増やすことが大切です。

私の悪戦苦闘の生活から
子育てで悩んでいる読者さんに
何か届けられるとすごく嬉しいです。

次回の投稿も楽しみにしてくださいね。

自己紹介させてください☆↓


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