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私たちはもうマルコ・ポーロにはなれない ~旅で視野が狭くなる?~

旅人を自称する人ほど、観光という言葉を嫌う癖があるように思う。

マルコ・ポーロと現代の大衆

ネットに散らばる旅先のほっこりエピソードや雄大な景色の写真を見て旅に出る。その光景をマルコ・ポーロはどう思うのだろうか?

1271年、イタリアの偉人マルコ・ポーロはアジアへの旅を開始した。その24年間の旅で見聞きしたモノ・コトをまとめた一冊が、かの有名な『東方見聞録』である。この書籍はヨーロッパ社会に東アジア情勢を初めて伝えた記念すべき一冊らしい。

さて、時は流れて2021年。筆者はこの令和という時代を生きることとなった。私の知る限り、どうやらジパングという国に黄金は眠っていないし、地球が大きなカメによって支えられているというわけでもない。

ただ彼の生きた時代と異なるのは、マルコのような特別な人間ではない人、つまり大衆が旅に出るようになったという点だ。そして私含め大衆たちは旅での経験を簡単に誰かに伝え、交換できる。それは会話でもあるし、SNS等を通じたデジタルなものでもある。つまり、誰しもが旅人になり、それを語れる時代が来たということだ。

旅人量産型社会と見聞

さて、このように旅人が量産される社会においては、以下のような感覚まで生まれてきたらしい。

この議論をみつめていくと、一つの疑問が湧いてい来る。つまり、

「旅では、視野・見聞を広めなければならない」

といった前提が旅人量産型社会には存在しているのではないかということである。

無論、このような考え方は今に始まったことではなかろう。
「可愛い子には旅をさせよ」なんて諺はその最たる例だ。旅に出ることで酸いも甘いも経験することが子にとって大切なことである。それが転じて、親が子を手元で甘やかしてはならないという意味を持つわけだ。

旅で視野が狭くなることも

ただそもそも旅に出れば、視野・見聞が広がるという前提は適切なのだろうか?

旅に出て視野・見聞が広がることは否定しない。しかし、私はその逆も然りであると考えている。

例えば、旅先で見ず知らずの誰かから優しく迎えられ、「私は私のままでいいんだ」と思う場面。これはもちろん私を認めてくれる人との新たな出会いであるともいえる。
他方で見方を変えれば、自己変容のチャンスを食い止めているともいえないだろうか。だからこそ、もし「私は私のままでいいんだ」と言ってもらいたいから旅に出ているのだとすれば、視野は狭くなって当然なのだ。

仮にこのような旅を「自分探し」と呼ぶのなら、それは同時に意固地に自分を認めようとする「自我の固定化」であるとも思えてならない。このとき、自分探しは旅を出る前に終わっていて、潜在的に自己の中にあったはずということになる。

観光としての旅で視野は広がるか

さて旅人が量産される中で、旅に対する目的が多様化してきたのも事実である。そのせいか、私としては、旅に視野・見聞の拡大が前提として課されていることにどこかズレを感じる。友人との思い出づくりであったり、温泉や美味しい食事が旅の目的とされていくなかで、そのような大義名分はもはや必要ないのではなかろうか。

またインターネットの普及で、旅は「ネットでみた写真・エピソードをなぞる」行為になりつつある。そのため、私たちはもうマルコ・ポーロにはなれない。すなわち、本当に新しいものには滅多に出会えないのだ。

このような世俗化した大衆的な旅を観光と呼んだりする。そのため、旅と観光の何が異なるのかと問われる、「新しい」見聞の拡大を目的としているか否かということもできよう。

ただ、このような大衆的な観光にこそ、私たちがマルコ・ポーロになれるチャンスが眠っているのではなかろうか?と私は思う。旅において目的を明確するがあまりに視野が狭くなる可能性は先に指摘したとおりだ。半面、観光目的があいまいであるからこそ、視野が広がりやすく、少なくとも狭くなるということを防げるのではなかろうか。

旅人を自称する人ほど、観光という言葉を嫌う癖があるように思う。
ただ私から言わせれば、そんな旅人ほど視野が狭い。

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一応、私自身、大学院で観光学修士という学位をとりました。
そして今は宿を経営するという、分かりやすく観光業にかかわっています。

そうしているうちに、私が大学院で議論していた「観光」という実態のつかめない概念が、社会的には俗な言葉として広く利用していることも肌感覚として掴み始めました。

このような状況の中で、旅や観光を定義することに意義があるか問われると、それ自体に意味はないのかもしれません。ただ定義の議論もせずに、それぞれの言葉を侮辱していく態度は、言葉に対する冒涜のように感じています。

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