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理論は答えではない ~安易な理論批判を問う~

理論の活用には「なぜ理論に当てはまらなかったのかを突き詰めること」に最大の意義がある。

筋違いな理論批判

「理論なんてこの現場には当てはまらない」

理論に耳を傾けない輩は大抵こう言う。

強く言わせてほしい。
当てはまらなくて、当然である。

一つの理論が数多の現場それぞれに完璧に当てはまるのなら、もはや神のお告げとでも言える代物である。

理論となにか

さて、理論をざっと説明するとすれば、それは「複数の現場レベルの事象を一般化したもの」である。つまり、状況としては「それぞれ異なる現場にも関わらず、何かしらの一般性に気づきました」ということ。

そもそも現場が無限にある以上、理論構築の際にすべての現場の情報を組み込むのは元来不可能なのである。それでも、限られた複数の例をつぶさに観察し、そこに法則性を見出すことで、一般化を図るのだ。

対象が数式のように日本人にとっても、インド人にとって、ナイジェリア人にとっても同じ意味を持つのならまだマシである。しかし、先のような場面で「現場」とひとくくりにされる対象は、人間という存在によって、事情がそれぞれ異なっていくのである。

理論を用いる最大の意義

だからこそ、理論に答えを求めるのは不可能であり、もはや無意味なのだ。特に人間という感情の生き物が関わる事象においては、理論は当てはまらないことの方が多いのである。

だからこそ、裏を返せば、理論の活用には「なぜ理論に当てはまらなかったのかを突き詰めること」に最大の意義がある。

理論は近道

とある現場の経験を一般化することで、また他の現場に応用する。

本来ならば現場毎で長い時間をかけて、場合によっては勘だけを頼りに判断しないといけないことを、理論を通じて過去との比較することができる。つまり、判断の近道として理論を用いることが、理論の力を活かすことにつながるのである。

だからこそ、理論は答えではないし、現場に理論が当てはまらなくても全く問題ない。その理解の上で理論を活用できれば、「なぜ当てはまらなかったのか」という新たな問いにいち早く近づくことができる。

理論をバカにすると、それは先人が築き上げた近道を無視して、不必要な苦労と時間を浪費することにもなりかねない。

だからこそ、現場の個々の例を見つめるだけでなく、理論も学ばなければならないのだ。

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理論を用いてちょっと上の次元から、すなわち俯瞰して対象を見つめることで可視化される問題もあります。いうなれば、木を見て森を見ず状態から脱却するということです。

ただ欲を言えば、木も見て森も見て。
それが現場と理論のバランスに繋がるのではないでしょうか。

というわけで、本日はこれにて。
ご清読ありがとうございました。

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