活性でもなく、再生でもない「緩やかな衰退」を
島の昔話はもはや歴史となりつつある。
ここは全部畑だった
島には竹林がある。そして毎年毎年、竹林の面積は広がっている。
竹林でとれるタケノコはとても美味い。
しかし、タケノコが薫る一方で、島ではこんな会話がなされる。
「ここは全部畑だった」
にわかには信じがたいくらいに島では竹林が広がっているが、道の脇に小さな石垣があったり、いつか使ったであろうナイロンの肥料袋が転がっているところをみると
「ここは全部畑だった」らしい。
島の未来=元に戻すこと?
島民と話していると、島の未来は元に戻すことなのか?と思えてくることがある。
つまり、田畑の広がる風景である。
島民が昔を振り返るとき、それは彼らの幼少期の話だ。
現在70代と80代が人口のその80%を占める島では、田畑が広がる風景は、つまり60年以上前のものということになる。
60年前、70年前の日本
今から60~70年前、つまり1950~60年台。
1950年、日本はGHQの占領下だった。
1960年、日本は高度経済成長期の真っ只中だった。
私はGHQの占領も、高度経済成長期も学校の社会の授業でその現象を知った。
つまり、教科書に載っている歴史なのだ。
島の昔はもはや歴史の一部である。私は島の昔話を耳にするとき、時々、朝の連続テレビ小説を見ているような気分になってしまう。
島民の昔話は、私を朝8時の気分にさせてくれるのだ。
当事者にとっては思い出なのだろうが、いかんせん1995年生まれの私にとっては歴史のように感じてしまう。
元には戻らない
元には戻らない。私はそう思っている。
単純に人口が桁違い少ない。戦後すぐの島には1000人規模で人間がいたらしいが、今は150人程度。そのうち90%近くが65歳以上の高齢者だ。
確かに島は素晴らしい。間違いない。
ただ昔の島を懐古しながら、今の・未来の島を生き抜くのは不可能だ。
なぜなら、今の人間、またこれからを生きる人間では1000人規模の社会システムを維持できないからだ。
だからこそ、島の未来を考えることは元に戻すことではないと思う。
かといって新しさが必要という訳でもないだろう。
必要なのは元に戻すことを目指した再生でも、何か新しさを求めた活性でもない、今を受け継ぐ「緩やかな衰退」である。
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この5年で島の人口は100人減少したそうです。
人口減はもう歯止めが聞きません。
活性や再生を目指して策を講じるのも大切だとは思いますが、現状を受け止めて、「緩やかな衰退」の道を模索するのも必要だと思うのです。
でないと今を生きる島民が疲弊してしまうからです。もっと言えば、島民を支える行政マンも疲弊していきます。
地域の問題については様々な考え方があるとは思います。私はもはやドライすぎるかもしれません。
ただ、どこか疲弊していく人たちをみていると、少しセンシティブな気分になってしまう今日このごろです。
というわけで、本日はこれにて。お読みいただきましてありがとうございました。
※カバー画像はさぬき広島・茂浦エリアです
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