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「農業」と「農のある暮らし」は似て非なる

農業に対する漠然とした欲求は、家庭菜園で事足りる

田舎で農業という憧れ

ときおり移住相談を受けると、

「田舎で農業とか憧れるんですよねぇ」

という話を聞く。実際、私もそう思っていた側の人間なので、その気持ちは十分に理解できる。ただ一方で、小さいなりにも田舎で農業を始めた私が常に思うのは、

農業と農のある暮らしは似て非なる

ということだ。農家に「農のある暮らし」について相談しても、あまり明確な回答が得られないのは、この相違にあると私は考えている。

業とは何か?

結論から言えば、その2者の違いは、

①「作物を換金するか否か」
②「栽培収益を次年度の栽培に活用するか否か」
③「栽培基準を持つか否か」

にある。

①について、たとえば、いわゆる田舎に行くと大きな畑で家庭菜園をしている人たちもいる。ただ、彼らがもし農家と同じくらいの耕作面積を持っていても、それを換金し生計に充てないのであれば、それはやはり趣味の範囲を脱しない。なぜなら、その換金がなくとも生活できるからだ。

②農を生業としない家庭菜園の場合は、概ね農業外の収入(会社員としての給与や年金etc)といった資金から栽培が成立する。無論、駆け出しの農家が農業外収入で農業をやりくりするという例外もあるが、「農業収入で農業を回す」というのは農を業しようとする限り目指すべきゴールの一つであろう。

③これがもしかすると一番明確な違いかもしれない。家庭菜園の場合は自家消費を目的とするため、「食べれればなんでもいいや」が通用する。
他方で商品(≒換金)作物にする場合は、取引先が提示する条件、またこちらから個人顧客に提示する条件といった栽培基準を明確化する必要に迫られる。また仮に「食べらればなんでもいいや」という品を販売する場合も、栽培基準と比較して、”B品””訳アリ品”なんていう名前を付けることになるため、栽培基準は農家について回る問題となる。

農のある暮らしの実相

私が思うに、農業に対する漠然とした欲求は、概ね家庭菜園で事足りる。

たとえば、子供や家族には自分たちで育てた野菜を食べさせたいという欲求。この心がけは私もとても賛成だが、他方で、特にナスやピーマンのような夏野菜は一苗あれば、驚くほど実をつける。そのため、もし広い畑を持っていたとしても、持て余すことが容易に予想できる。

他にも、自然に囲まれて暮らしたいという欲求。これは大抵多種多様な作物を育てることを意味するのだが、これこそ狭い範囲で実現しないと世話しきれなくなってくる。初心者なら、3m×10m=30㎡の畑でも十二分に少量多品目な栽培、また日々の採れたて料理を楽しめるであろう。逆それ以上になると、草刈りをはじめとした雑事に時間を多く取られてしまいかねない。

すなわち、小さな家庭菜園でも十分に農のある暮らしは十分可能なのだ。

農業を仕事にする

農業には大きく分けて「広大な面積で大量に生産するモデル」「小さな面積で高価格な作物を生産するモデル」の二つがある。そしてまた農業は主業or副業?という論点もある。

確かに、メディアではそれぞれの後者がよく取り沙汰される。そして、私も後者なのだが、ただ圧倒的多数の農家は前者であり、それが日本の食を支えているといっても不都合ない。

加えて、後者モデルの農家がいくら小さな面積とはいっても、やはり300㎡以上の農地を耕作していたりするし、そのモデルで生計が成り立つ人々は2000㎡以上を管理することもしばしばだ。300㎡というだけでも、先にあげた面積の10倍以上にもなるのだから、やはり家庭菜園と農業は異なるわけだ。

改めて、「農のある暮らし」について農家に相談しても、農家自身も明確な答えを用意しようがないと私は考えている。なぜなら、彼らにとっては農が業だからだ。なんなら家庭菜園を楽しむ非農家にその相談を持ち掛けたほうが、より実態に即したアドバイスが得られるであろう。

もしこの記事をお読みになった方が「田舎で農業」という希望を持っていいらっしゃるのであれば、今一度それが「農業」なのか「農のある暮らし」なのかを問い直してみてほしい。
そこの線引きがあいまいなままだと、田舎での生活に過度な期待をいだいてしまったり、夢を実現できない自分が嫌になってしまいかねないからだ。

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偉そうなことを書きましたが、私はこの事実に農業を始めてから気づきました。よくある相談なので、noteでもシェアさせてもらえればと思いまして。

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