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盗んだバイクで走り出すかのごとく旅に出る時代は終わったのかもしれない

旅は支配からの「卒業ごっこ」だった


尾崎豊が流行した時代

30年ほど前、誰にも縛られたくないと「盗んだバイクで走り出す」ような若者に列島が酔いしれた。95年生まれの私は当時の熱狂を知らないとはいえ、そのメロディを口ずさむことができるくらい有名な歌だ。彼はまた別の歌でこのようなフレーズを残している。

「この支配からの卒業」

「15の夜」や「卒業」が世に送り出された1985年代後半から彼が没する1992年まで、尾崎豊の叫んだ自由を手に入れる方法こそが旅だったのではないか。
本記事では、この予想を彼の生きた時代背景から紐解いていく。そして、その視座から今後の日本人の旅行形態を考えたい。

バブル経済における支配

85~92年という字面を見て、多くの人間が思い起こすのはあの空前のバブル景気ではなかろうか。どうやらバブル景気が破綻するまでは、血みどろ汗まみれで働けば、手にするカネは基本的に増え続けたらしい。

私は一人の現代の若者として、バブル景気を労働者として過ごした人々の武勇伝を耳にする際、感じることがある。「楽しかったとはいえ、おそらく体力的に辛かったのも確かだろう」と。血みどろ汗まみれな働き方は身体に支障をきたしかねないし、現代よりもはるかに上意下達と性差によるハラスメント、そして長時間労働が常態化していたのも事実だからである。

だからこそ、いうなれば「カネはもらえる、しかし自由がない」時代だったのであろう。そしてまた3高(高学歴、高収入、高身長)に代表される画一的な社会規範も存在した。それが国民、特に青年・壮年層の中に蔓延することで、一度それを得てしまえば、かえって不自由から抜け出したくても抜け出せなかったのかもしれない。つまり、3高と引き換えに自由を捨ててしまった人もいたということである。

増える旅行者と「卒業ごっこ」

このようなバブル経済の広がりに先んじる形で、日本で拡大していたものが海外旅行である。海外旅行自由化は東京五輪の1964年に始まるのだが、実際に大幅な拡大を見せるのは1978年の成田空港開業を待たねばならない。ちなみに、その後邦人海外旅行者は1978年の353万人、1988年には2年前のプラザ合意による円高も相まり1000万人を超えた。なおバブル経済が破たんするまでは国内旅行者数も右肩上がりに上昇している。

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(社団法人日本旅行協会 旅行統計2004より)

さてようやく本題に戻る。やはり、この時代では、尾崎豊が叫んだ自由を手に入れる方法こそが旅だったのではないか。すなわち、辛く厳しい日常から、何のしがらみのない自由を手に入れる行為こそが旅だったということである。海外旅行をその権化に、日本国内にもリゾートホテルが多数建設された。もはやそれはリゾートというシェルターに入れば、日常の苦しみをひと時でも忘れられたということであるのかもしれない。

ただ残念なことに、非日常から帰れば、そこにはまた辛い日常が待っていた。そのため、あくまで旅は支配からの「卒業ごっこ」だったということである。そしてついに崩壊するバブル経済によって、国民全体で共有していた成功体験から強制退去させられる人間すら現れることになるのだが。

非日常への逃避から日常の拡充へ

他方で、現代においても私たちはバブル時代の若者のように自由を求めて旅に出ているのだろうか?このように問いを立てるのは、現代における旅では旅行先と居住地での行動様式の差が縮まりつつあるからである。

旅先における偶然の出会いは今も昔も変わらない。ただ、昔と決定的に違うのは出会った人と気軽に連絡先を交換できたり、彼らの日常をSNSを通して容易に確認できる時代になった。

また旅に出る前から「自転車好きのオーナーがいる宿」「アニメファンが集まる飲食店」なんていう場所が旅行対象として旅行者の中で市民権を得始めている。また「コロッケがおいしい肉屋さん」「昔ながらの銭湯」なんていうような自分の居住地にも存在しうる場所が旅行目的地としてメディアやSNSでもフィーチャーされる。つまり、旅だからこそ「~を見るべき」といったような支配が薄れつつあるということだ。

そのため、旅において旅行者が選択の自由を得ることで、旅における日常と非日常の境目は年々曖昧になりつつあるといえる。これは旅行先での出会いや経験が日常生活に自然と影響を与えるようになったことを意味し、逆もまた真である。

だからこそ、これからの旅は非日常へ逃避ではなく、日常を豊かにする方法として広がる気がしてならない。たしかにまだまだ社会的規範がもたらす支配は存在するし、非日常に逃げたくなるような辛い日常も消えたわけではない。とはいえ、旅という点において旅行者、とりわけ若い旅行者は自由を手にしつつあるのも確かだ。

もう自由を求めて「盗んだバイクで走り出す」かのごとく旅に出る時代は終わったのかもしれない。

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旅を日常と非日常の2分法で捉えるのではなく、その境界のにじみに注目しませんか?というのは、私の事業の「ほとり」という言葉に込めた思いでもあります。今回はデータと歌からこの話を広げてみましたが、自身の思想的な展開はこちらの2つから↓

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島旅農園「ほとり」HPより

長くなりましたが、本日はこれにて。
ご清読ありがとうございました。


<参考>
社団法人日本旅行協会 旅行統計2004 
https://www.jata-net.or.jp/tokei/004/2004/01.htm


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