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おもてなしが生み出す若手就農者の悩み

タダの論理が日常化している島でお金を稼ぐという難しさ

タダより高いものはない

これまでタダにつられて騙されたなんて人はどれほどいるのだろうか。このような場合、「タダより高いものはない」ともいうが、実際タダはタダなわけで、それによって不利益を被ったという人は案外少数派ではなかろうか。

私からすれば「タダより高いものはない」の真意は、タダによって経済が回らなくなることにあるように感じている。

純粋にもてなしたい高齢者

先日、島内の会合で島民からこんな声が上がった。

「誰かにおすそ分け、プレゼントするためにたくさん野菜を育てている」

島は多くの人が家庭菜園を楽しみ、それぞれの家で作物の物々交換が行われている。おそらく来島者の中にも、島民から野菜をもらったという人も少なくないのではなかろうか。私自身、しばしばおすそ分けをいただくし、それ自体はとても嬉しいものである。

私自身も時に来客があるときは、自分が育てた作物をプレゼントすることもあるのだが、ときどき迷いが生じる。

「これをタダでプレゼントしてしまってもいいのか?」

心のさもしさとの葛藤

現に私としてはアルバイトなしでは食っていけないくらいの収入しかない。つまり、商品となりうるモノをタダであげるという行為が現在すべきことなのかと問われると、心から「はい」とは言えないのだ。

こんなことを考えていると資本主義の亡者のような気がして心がさもしくなる。かといって実際作物には手間も原価もかかっているので、アルバイトからの卒業を遠ざけるのも事実だ。はたまた、恩を売れば帰ってくるともいうが、返礼を期待してプレゼントするというのもどこか下品ではないか。

そんな問答を日々繰り返しても答えはなかなか出てこない。とはいえ、ただ一つ言えることはある。

年金と私の収入

年金ありきの高齢者のおもてなしと、私のビジネスは対等に渡り合えない。無論、長年の労働の対価としての年金収入とはいえ、作物を収入の拠り所の一つとしている私からすると、やはり「タダより高いものはない」のである。

私だってできる限りのおもてなしをご提供したいと考えているが、それによって赤字が出たりするようでは本末転倒となる。他方で、高齢者の場合おもてなしをすること自体が生きがいという人も少なくない 。人にあげるために野菜を作っているという心持ちは非常に優しいものである 。何も考えなければ手放しで称賛したい。

それでも、タダの論理が日常化している島の中で、金銭を得る活動を始めるというのは、数字的にも、精神的にも葛藤があるのは事実だ。

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月並みですが、お金稼ぐのって難しいですね。
気持ちと現実のすり合わせは永遠の課題かもしれません。

というわけで本日はこれにて!
ご清読ありがとうございました!


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