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人目を気にするには、人の目が必要

個人の生き方の多様性が叫ばれる時代になったせいか、いわゆる「人目を気にしない生き方」をメディアがこぞってフィーチャーしているように感じる。

一昔前までは他人の言うことや雰囲気を読み取れない人間をKYなんてこきおろしていたのに、今やKY気質の人間の方が「自分があって素晴らしい」なんて言われることさえある。

私自身が人目を気にするかというと、昔に比べれば気にしなくなったように思う。それはこのとんでもない田舎の島に移住して以来ではあるが。
ただこれは「人目なんか気にしないように生きる!」と決心したわけではなくて、いつの間にかそうなっていただけである。つまり、私の周りには人目を気にするほど人がいないのだ。

例えば、人目を気にする場面で大きなウェイトをしめるであろうパートナー探しについて。私の場合は異性愛者なのでこの場合女性を指すのだが、そもそも島には同世代の女性もまして男性もほとんどいない。ちなみに20代は私を含めて総勢2名である。となると、寝癖以外に日常的に身だしなみを整えようだなんてことはほとんどないし、畑作業があるので作業着を着ていることも多い。先日も島外に買い物に出たとき、何も考えず長靴で街に繰り出してしまった。

他にも「打ち負かしたい」という気持ちも今やほぼない。願わくば、動く歩道みたいなものがゴールまで連れて行ってくれないかとさえ思っている。そもそも比べる人が居ない島では誰かに自分を比べられることもないので、良くも悪くも「まぁまぁ、とりあえず飯は美味いし」なんて思い始めているのだ。

ある種このような腑抜けな毎日を送っていると、色々な物事が面倒くさくなってくる。私という人間は他人の目がなければ、ここまで何もしないのかとさえ思えてくるのだ。結果的にある程度着飾っていた都会暮らしの頃より、外見だけでなく内面も人の目を気にしなくなりつつある。これは意図的な心持ちではなくて、人目を気にすること自体がおそらく単純に面倒くさいのだ。

多分、人の目を気にするのは人の目があるからできることである。
だからこそ、人の目がそもそも少ないド田舎では、人目を気にすることが自体が体力の浪費のような気がしている。

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ただ他方でこんな感情を抱いているのは私が「よそもの」として島に住み着いたからなんだろうなと思います。島が地元の人は島内の人間関係や島民の目を気にする場面が多いですしね。

また特に島の場合は住民の大半が65歳以上ということもあり、私の先の見えない挑戦も「まぁ若いし、見守ってやるか」と思ってくれているのかなぁとも感じます。おかげさまで草刈りなんかを手伝ってくれる方も結構多くて・・・(移住して10か月、ようやく草刈機を購入しました)

というわけで、本日はこれにて!
ご清読ありがとうございました!



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