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ふるさとは都会

都会に少し里帰りをしたくなってきた。

最寄り駅に思いを馳せる

「見覚えのある街だな」

大阪生まれの私は、香川県の高松でそう思った。
高松の景色は私の実家の最寄り駅にどこか似ているのだった。

そう、私が毎日通った茨木市である。高松の街は茨木の町を彷彿とさせた。

大阪府茨木市はいわゆるベットタウンで、特にJR茨木駅・阪急茨木市駅周辺は住宅街やマンションが立ち並ぶ。駅前には商店街があり、チェーン店もそれなりにある。

そりゃ、梅田や難波もちろん東京と比べれば田舎だが、程々に都会な茨木。モノレールだって走ってる。茨木もなんだかんだ都会だ。

香川の離島

他方で、私が暮らす島には、コンビニはおろか、商店、飲食店、そして信号もない。

つまり、ど田舎である。

島育ちの男女に比べればシティーボーイな私であるが、田舎で生まれ育ったわけでもないのに、いまだにどこか島に懐かしさを感じている。

それは本やメディアが植え付けた幻想なのだろうが、私は島に「ふるさと」を感じずにはいられない。

すなわち、人よりもサワガニの多いこの島では、かの山でウサギを追い、かの川で小鮒釣りをしたくなるのだ。

都会で感じる懐かしさ

島で毎日「ふるさと」を感じる私ではあるが、高松という都会でも「ふるさと」を感じた。もちろんだが、高松と島は似ても似つかない。

マンションやビルが織りなす街並み。片側2車線もある道路。コンビニに、スーパー。広告だって山程ある。

ふるさとという言葉からは連想できないものばかりが高松には溢れている。そして、それに懐かしさを覚える自分がいる。

なぜなら、それこそが、私が毎日、茨木で見た景色だからだ。

ふるさとは都会

いくら田舎の島に「ふるさと」を感じても、私のふるさとはやはりあの街、都会のあの街なのだと思う。

小川もない、道はすべてコンクリート、緑はすべて緑化計画によって演出されたあの街なのである。学習塾の広告で溢れた阪急茨木市駅につけば、ふるさとに帰ってきた実感がわくというものだ。

私は今、皆が思い描く理想のふるさとに住んでいる。
ただ当の本人は、都会に少し里帰りをしたくなってきた。

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高松では半年ぶりにスターバックスにも行ったのですが、スターバックスでも懐かしさを感じる始末。
このままでは留学前や院試前、ほぼ毎日ペースで通っていたマクドナルドに行こうものなら泣いちゃうんじゃないだろうか。
当時、夜10時頃マクドナルドに行けば、「いつもの」と言わんばかりにクルーの方が100円のコーヒーを自動的に提供してくれていました。

生まれ育ってもない地域に懐かしさを覚えることを「消費的ふるさと」と呼ぶみたいですね。情緒もへったくれもないけど、言い得て妙なネーミング・・・

※ちなみにですが、私の生まれは茨木市のお隣、摂津市です。

というわけで本日はこれにて!
ご清読ありがとうございました!

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