肩書はわたしよりもわたしらしい、かも。
肩書を失ったら、案外自分は何者でもなかった。
島旅農園「ほとり」
かれこれこの屋号で活動し始めてから1か月弱が経ちました。
メールにせよ、香川本鷹のレシピにせよ、もちろんnoteにせよ島旅農園「ほとり」を明記しているわけです。
現状メインの仕事としては、島のセンター(市の出先機関)でアルバイトをさせてもらっているので、もし屋号以外に肩書をつけるのであれば、
市役所の臨時職員
といったところでしょう。ただ、これでは私に興味を持ってもらった人に、私が何をしているのか?がイマイチ伝わらないのです。
他の自治体みたいに、「地域おこし協力隊」くらいわかりやすい肩書があればいいのですが、、、
自分で自分を説明できない
島に移住してから常々感じていたのは、アルバイトという身分では自分の仕事を説明しにくいのです。何せ、本業で自立するまでお世話になるという約束で与えていただいた職なので。
そのため、これまではあまりの不便さに「文系院卒なのに離島移住」というキャッチフレーズをつけていました。
とはいえ、キャッチフレーズだけでは一発で他人様には自分のことが伝わらないのです。
また特に商品を販売するにあたっては、屋号がないと不便極まりないということにも気が付きました。
つまり「文系院卒なのに離島移住」ではどんな商売をしているのが全く分からないのです。
島旅農園という文言を使うことで、少なくとも
「あぁ、この人は、島で畑をして、野菜を売ろうとしているんだな。もしかして宿でも運営しているのか?」
が伝わるようになっただけでも、コミュニケーションがとても円滑になりました。
個人の時代だというけれど
個人の時代が到来した!とは言いますが、こうして考えていくと、やはり肩書や屋号のパワーは大きいわけです。
いうなれば、自分の名前よりも、自分を説明してしまうといいますか。
私自身、会社員時代もそうでしたし、大学院時代もそうでしたが、会社名・大学名だけで評価されることがあり、とてもそれが嫌いでした。
「すごいのは会社や大学であって、ぼくはすごくない」
肩書の大きさと自分が釣り合っていないような気がしていたのです。だからこそ、肩書の大きさだけで偉そうにする人はもっと嫌いでした。
他方で、今回島への移住にあたり、会社や大学という肩書を失ってみると、自分は案外何者でもないという事実にも直面しました。
今は、自分で屋号を決めたことで、それが結果的に肩書にもなっています。
嫌いだった肩書に救われ、コミュニケーションが取れるというのが、奇しくもありがたいような皮肉なような。
私の思う肩書との向き合い方
皮肉なんて表現を使いましたが、一方で屋号・肩書をもったことで
「腹をくくった」感
が出てきたのも事実です。
屋号を持つまではなんとなく「唐辛子買ってほしいな」というくらいでした。しかし、屋号の下で販売を開始すると「買ってもらうんだから、~はこのようにしよう」という考え方になりはじめました。
つまり、屋号や肩書に恥はかかせられないのです。
今思えば、わたしが苦手にしていた人は「俺はこの会社・大学に所属しているんだから偉いんだ」という人だっただけで、「この会社・大学に所属する以上は精いっぱいやろう」という肩書のパワーをうまく活用していた人も沢山いたように思います。
自分を自分以上に説明してしまうからこそ、肩書や屋号との向き合い方は慎重になる必要がありそうです。
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もちろん肩書や屋号への帰属意識は行き過ぎると「やりがい搾取」「他者へのパワハラ」といった問題にも繋がりかねないので、注意が必要です。
さてさて今後はその肩書や屋号の下で、自分が実際「何をしているのか?」、そしてなによりも「何を伝えたいのか?」をより多くの方に発信できればなと思います。
そうでないと、「肩書がカタカナだらけで何者か分からない人」とよく似た状態に陥ってしまいますからね(笑)
というわけで、本日はこれにて!
ご清読ありがとうございました!
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