今が一番つらいから
今が一番辛いらしいので、もう少しだけ踏ん張ってみようと思います。
先の見えない開墾作業
フルタイムでの退勤後、毎日2時間程度、日が暮れるまで開墾作業に精を出す。
精を出すとはいっても、この猛暑。
30分も続ければ、へたばりたくなるような日が続く。
耕すだけならまだしも、雑草をひたすらに拾う作業というのは、本当に気が滅入るときもある。
10年以上も耕作放棄されていた農地は、そんな私をあざ笑うかのように固く雑草を抱きしめている。
コブシ(ハマスゲ)という雑草。
他の植物の発芽を抑制する作用を持つ畑作の大敵。
塊根を作ってねずみ算で増殖する。
耕作放棄地という壁
耕作というものは、ざっと整理すると、耕運⇒種まき⇒定植⇒収穫といった流れであり、文字通りの力を一番要するのは耕運である。
特に耕作放棄地を耕すというのは、耕運機をもってしても固まった土壌を崩すのは難しいものだ。
人力でスコップを突き刺そうものなら、数センチしか刺さらない。
そのような固まった土壌に生える雑草もそう簡単には抜けはしない。
とにかく気力と体力の勝負である。
密集するコブシ
今が一番つらいから
毎日毎日同じことを繰り返していると、心がだんだんと沈んでいく。
にもかかわらず、雑草は私の沈む心とは裏腹に、精一杯にその葉を天に伸ばす。
先日も雑草との戦いに疲れ、道路で座り込んでへたばっていると、偶然土地の貸主が声を掛けてくれた。
「よおやっとるやないか。今が一番辛いから」
そうか、今が一番辛いのか。
そう思うと、少し心が軽くなった。
彼曰く、畑というものは開墾が一番辛いという。
なぜなら開墾しただけでは、別にこれといった成果がないからだ。
だからこそ、結果が出ない今が最も辛いという。
たまには先を見て
辛いものは確かに辛い。
これは否定のしようがない。
ただ必要以上に辛さを感じる必要もないではないか?
だとすれば、辛さを最低限に留める心の持ちようというものがあるかもしれない。
同時に彼はこんなことも口にしていた
「ずっと耕すのも大変やから、成長の早い作物でも植えて、収穫の喜びを感じながらやった方がええかもしれんな」
これからの季節なら、例えば、小松菜やほうれん草といったところだろうか。
実際、このような作物を植えるかは別にしても、彼の言う通り、小さな達成感を味わいながらやっていかなければ、大きな壁には打ち勝てないのかもしれない。
事実、私は今、新たな農地の開墾の後に行う、小さな唐辛子の苗の水やりを楽しみにしている。
それは先の見えない開墾とは違って、水やりは明らかに目に見える成長を感じられるからだ。
先が見えるというのは、目の前の辛さを軽減してくれる。
逆に言えば、辛い時こそ、先を見た方がいいのだろう。
今が一番つらいという先が見えた今、もう少しだけ踏ん張ってみようと思えてきた。
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他人の何気ないふとした一言で、やる気が出たり、逆にやる気がそがれたりと、モチベーションを保つというのはなかなかに難しいもの。
人の意見に一喜一憂せず、我が道を行け!という考え方もあります。私もそう思うタイプでした。
ただ、島のような極めて小さな社会では、人を無視するなんてことは簡単にはできません。
だからこそ、島ではより一層、一人一人の言葉には良くも悪くも重みがある気がしています。
そのため、ふとした一言に動じないというよりも、適度に受け止め、適度にいなしながら「のらりくらり」やっていけたなと思う今日この頃です。
というわけで、本日はここまで!
ご清読ありがとうございました!
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