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寮母さん慰労会から考える地域振興

私が大学院時代に下宿していた寮には寮母さんがいた。その学生寮では、日々の食事を用意してくれる寮母をねぎらう会、すなわち慰労会が毎年行われていたのである。

しかし、その準備の段階で今思えば不自然な点があった。寮母さんのための会なのに、その食事をなぜか寮母さんが準備するというのである。当時の私は入寮一年目だったので「そんなものか」特に気に留めなかったのだが、ある一人の寮生が機転を利かせてその図式は改善された。つまり、寮生で寮母さんのために食事を準備するということである。

この話だけみれば、寮母と寮生の小話であるのだが、案外この不可解な図式が地域活性においては日常化しているように思えている。すなわち、寮母さんが当時「当然のごとく料理を作る人」として学生から認識されていたように、「地域住民=地域のために頑張る人」として当たり前のように捉えられいるかもしれないということだ。

ただこれら2つには決定的な相違があることは予め指摘しておきたい。つまり、寮母さんは料理という労働を通して対価を得ているが、地域住民は無償で動員されることが少なくないということである。ここには労働とボランティアという大きな差が存在している

さて、この学生寮での一件、寮母さんの「私の慰労会なのに私が料理準備するの変じゃない?」というふとした一言を耳にした寮生の気づきに端を発している。すなわち、これは寮生が主体的に寮母さんに意見を伺ったというよりもむしろ、普段のふとした会話の中でこぼれ出た寮母さんの声を拾ったということである。

これを地域の問題に置き換えると、組織的もしくは公的なアンケートや会合での意見交換ではなく、現地の日常的な会話に隠れた意見をいかにすくい上げるかということになる。地域の意見を伺うという命の下で1日、長くても数日のアンケートやインタビューが多いが、これでは聞こえてこない小さな声があるのだ。

しかし寮母さんがそうであったように、この小さな声が全体を動かす可能性も否定できない。だからこそ地域振興においても、地域の権力者では全くない言葉が、コペルニクス的転回、つまり議論の前提をひっくりかえすような変化を場にもたらすかもしれない。

きっと地域の中に寮母さんは少なくないはずだ。

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実際第三者がどっぷり一つの地域、長く滞在するというのは難しい話なのですが、そういった超絶泥臭い研究や調査にも公的な研究費を回してほしいなと思うわけであります。

近視眼的な成果はアンケートのほうが出やすいのは確かです。しかし、それだけでは語りつくせない問題が存在すると私は確信しています。

というわけで、本日はこれにて!
ご清読ありがとうございました!


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