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仏教の教え 空海の言葉

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どの宗教を信じるかによらず、仏教の教えや空海の言葉からは多くのことを学ぶことが出来ます。
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#高野山

三鈷杵。目の前にある障害を取り除く事のできる密教法具

三鈷杵。目の前にある障害を取り除く事のできる密教法具

前回までは、金剛杵の基本的な部分と、それに続いて独鈷杵(とっこしょ)について解説しました。

今回は、金剛杵の中でも一番有名であろう「三鈷杵(さんこしょ)」について解説します。

三鈷杵の形状と意味では今回、解説する三鈷杵と前回の独鈷杵ではどのような違いがあるでしょうか?

(独鈷杵の画像)両端が三本の鉾になっています。
それに加えて、真ん中の一本に向かって、二本の鉾が内側に向いています。

三本

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独鈷杵とは。○○○菩薩や○○天が手に持っている法具

独鈷杵とは。○○○菩薩や○○天が手に持っている法具

前回は、独鈷杵を含む金剛杵について解説しました。

今回は「独鈷杵」について解説します。

一般には「とっこ」と呼ばれます。
高野山などでは「とこ」と発音されることもあります。

別名で一鈷杵と呼ぶこともあります。

形から見ると、五鈷杵や三鈷杵よりも、より武器のような印象を受けますよね。

実際に、他の金剛杵よりも、攻撃的な意味合いを持ちます。

独鈷杵を持つ仏・大精進菩薩(だいしょうじんぼさつ

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八白土星はこんな人 古法二十七宿 大師御法暦

八白土星はこんな人 古法二十七宿 大師御法暦

九星占術の起源は、中国最古の王朝「夏(か)」の時代であると言われます。

現在、巷にある○星占いは少なからず、九星占術の影響を受けているものと思われます。占いに関しては、当たる当たらない/信じる信じないという人に分かれると思います。

私は昔、祖母から「暦は『当たるも八卦当たらぬも八卦』『転ばぬ先の杖』と考えて、『石橋を叩いて渡る』ために見るもの」と教えられました。

また、暦も細かい系統があり、

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「地獄の蓋をも開く力」があるパワースポット。悩む女性に僧侶が示した場所とは・・

「地獄の蓋をも開く力」があるパワースポット。悩む女性に僧侶が示した場所とは・・

以前、丹生都比売神社(天野大社)にある光明真言の彫られた石碑について書きました。

実は、この石碑について、高野山に住む人も知らないことが多く、「いつもお参りするけど知らなかった!」という人が、多いのです。

今日は、私がこの石碑を知ったきっかけをお話します。

バブル崩壊後、苦境に陥った女性の話です。

その方はよく法徳堂にお越しになっていたのですが、自らの苦境について悩みを打ち明けくれました。

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昔の高野山にはお寺がもっとあった。その数なんと・・・(現在は宿坊が50カ寺弱あります)

昔の高野山にはお寺がもっとあった。その数なんと・・・(現在は宿坊が50カ寺弱あります)

高野山といいますと、海抜約1000メートルの山上に拡がる真言密教の聖地です。

実は、山としては「高野山」という山は存在せず、内八葉外八葉の峰々に囲まれた東西に6Kmに拡がる盆地を高野山と呼びます。

平成16年には「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として、世界文化遺産に登録されました。

現在のお寺の数は117寺院。そのうち宿坊は52寺院高野山には宿坊が多くあるイメージがあると思いますが、現在なん

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波浪の滅生はただしこれ水なり、一心は本より堪然として澄めり

波浪の滅生はただしこれ水なり、一心は本より堪然として澄めり

From:高野山法徳堂

出典秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)

読み方波浪(はろう)の滅生(めっしょう)はただしこれ水なり、 一心(いっしん)は本(もと)より堪然(たんねん)として澄(す)めり。

解説風雨で水面がざわめこうとも、心は水の底と同じように安定して澄んでいる。

風雨とは煩悩に端を発する心のざわめきを指していて、表面的に心がざわめくことがあるとしても、心の本質は穏やかなもので、煩悩を取り除

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万能な魔法の言葉(真言)光明真言とは?光明真言には5つの仏が隠れている。

万能な魔法の言葉(真言)光明真言とは?光明真言には5つの仏が隠れている。

光明真言を唱えると、様々な魔を取り払い、聞くだけでも自らの罪障がなくなっていくという万能な真言と言われています。

真言とは?真言とは、意味を解釈して理解をするものではなく、その発する音だけで効力を発揮する言葉です。

光明真言の唱え方は?金剛合掌(指を交互に組み合わせる)しながら、とにかくひたすら唱える。

毎日繰り返し唱えることで、「病や災いが消失」「家庭円満」「商売繁盛」「魔除けや除霊」など

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それ生は我が願いにあらざれども、無明の父、我を生ず。死は我が欲するにあらざれども、因業の鬼、我を殺す。

それ生は我が願いにあらざれども、無明の父、我を生ず。死は我が欲するにあらざれども、因業の鬼、我を殺す。

こんにちは。高野山法徳堂です。

本日、ご紹介する空海の言葉は、、、

それ生は我が願いにあらざれども、無明の父、我を生ず。死は我が欲するにあらざれども、因業の鬼、我を殺す。

現在の言葉で言い表すと、、、

自分で願って生まれてきたわけではないけれども、この世に生を受けた。
生まれた限りは死は望まないが、様々な原因が重なり鬼がやってきて私を死に至らしめるのです。

すべてが思い通りには進まない。

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物の興廃は必ず人による。人の昇沈は定めて道にあり。

物の興廃は必ず人による。人の昇沈は定めて道にあり。

こんにちは。高野山法徳堂です。

本日、ご紹介する空海の言葉は、、、

物の興廃は必ず人による。人の昇沈は定めて道にあり。

現在の言葉で言い表すと、、、

物事が栄えるか滅びるかは、その物事に関わっている人によります。
人が向上するか沈んでしまうかは、その人の学んだことや生き方によります。

この言葉は、まさに今のような状況に当てはまるように思います。

ー高野山法徳堂

PS
高野山はあじさい

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影は形に随って直く、響きは声に逐って応ず。

影は形に随って直く、響きは声に逐って応ず。

おはようございます。高野山法徳堂です。

ずいぶんと春らしい気候になってきましたね😊
久しぶりに車に乗ったのですが、いつの間にかツツジがきれいに咲いていました🌻外出自粛をしていると季節感が失われてきますね・・

さて今日、お届けする空海の言葉ですが、、、

影は形に随(したが)って直く、響きは声に逐(したが)って応ず。

どのような意味かといいますと、、、

影はその形にそって現れて、声は発し

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それ釈教は浩汗にして際なく涯なし。一言これを蔽えばただ二利あり。(御請来目録)

それ釈教は浩汗にして際なく涯なし。一言これを蔽えばただ二利あり。(御請来目録)

高野山法徳堂です。

今日ご紹介する空海のことばは、

それ釈教(しゃっきょう)は浩汗(こうかん)にして際なく涯(がい)なし。一言(いちごん)これを蔽(おお)えばただ二利(にり)あり

これはどういう意味かといいますと、

仏教の教えは、際限なく広大な教えであるが、一言でこれを表せば”二利”に尽きる。

ここでいう「二利」とは、自利と利他の2つを指します。

利というと、経済的な利益や金銭的な利益

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身は花とともに落つれども、心は香とともに飛ぶ。(性霊集)

身は花とともに落つれども、心は香とともに飛ぶ。(性霊集)

高野山法徳堂です。

今日、お届けする言葉はこちら、、、

身は花とともに落つれども、心は香とともに飛ぶ。

どのような意味かといいますと、

体は花とともに落ちたとしても、その心は花の香とともに漂う。

といった意味になるでしょうか。

これは花を人間の体に例えています。
落ちるとは、人が亡くなることを指しています。

落ちた花も、すぐに香りを失うのではなく、しばらくの間、落ちた花のまわりに香り

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菩薩の用心は皆、慈悲を以って本(もとい)とし、利他を以って先とす。

菩薩の用心は皆、慈悲を以って本(もとい)とし、利他を以って先とす。

From: 高野山法徳堂

今日、ご紹介するのは秘蔵宝鑰にある次の言葉、

菩薩の用心は皆、慈悲を以って本(もとい)とし、利他を以って先とす。

現在の言葉で表すと、

菩薩が心はすべて慈悲を基本とし、まず人の為を先に考える。

のように、自分よりもまず他人のことを考えることが、幸せにつながると説いています。

では、菩薩とはどのような仏なのでしょうか。

菩薩とは、悟りを開くための修行をしながら

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如何ぞ己身の膏肓を療せずして、たやすく腫脚を発露す。

如何ぞ己身の膏肓を療せずして、たやすく腫脚を発露す。

From: 高野山法徳堂

今日、ご紹介する空海の言葉は、三教指帰にある

如何ぞ己身の膏肓を療せずして、たやすく腫脚を発露す。

という一節。

これは現在の言葉にすると、

なぜ、わたし達は、自らの欠点を正そうとはせず、他人の揚げ足をすくおうとするのだろうか。

今も昔も人間の性質は変わらないというのがわかりますね。

ー高野山法徳堂