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She's So Unusual. ~【ふつうじゃない私】、そして生きづらい世界に生きる全ての人への応援歌~その1

こんばんは。ほしまるです。

小さな頃から未だに、良くも悪くも私に対して言われて続けてきた言葉があります。

「ほしまるは 【ふつう】じゃないね」

そう、この

【ふつう】

という言葉。
しかも、私の場合、

【ふつうじゃない】

と、【ふつう】であることを否定されてしまうのです。

そんな、

【ふつう】と【ふつうではない】

という言葉、表現に今でも苦しむ私。そんなふうに【ふつうであること】が当然とされた世界は、私にとっては今でも生きづらい世界。

そんな、生きづらさを抱えてきた私を、昔から振り返りつつ、エピソードなどを交えて数回に渡り書いていきます。

長いです。めちゃめちゃ長いです。
しかもこの話は何回かに分けて書く予定。

ですが、お飲み物を片手に、のんびりと読めるものかと思います。

そんな私の戯言でもご興味くださる方、
今宵もどうかお付き合いくださいませ。

☆☆☆

幾度かこれまでの記事にも触れてきたことがありますが

私自身も認めざるを得ないほど、子どもらしくない子どもで、そのことを言われる時には、必ず【ふつう】という単語を否定して用いた上で言われていました。

【ふつう】じゃない

ともだちと馴染めない、他の子のように外で遊ぶより、絵本を読んだり、絵を描くことが好きで。

そんな私は当然、周りの子どもたちからとてつもなく浮いた存在であり、幼稚園の先生からも、園長さんからもいつも注意されていました。

「ふつうにお友だちと楽しく遊ばなきゃだめでしょ」

「他の子と一緒に遊ばないと仲良くなれないよ」

しまいには先生も真っ赤な顔で怒ります。

「どうしてふつうにできないの!お願いだから先生を困らせないで!」

でも、そうされても これまた可愛くない、子どもらしくない態度で、私は泣きじゃくって謝るわけでもなく

むっとして絵本を読み続けたり、絵を描き続けたり。

ここは私の居場所ではないんだ、私はふつうじゃないんだもんね、よそ者なんだね...

いつからかそう思っていました、

残念ながら、それは小学校に入っても変わらないことでした。

小学校入学と同時に引っ越して、学区も変わったけれど。

越境して、同じ小学校へ来た、幼稚園の同級生が何人かいました。

【ふつう】じゃない私を日々見てきた子たちです。

初めの頃は不器用ながらも、何人かの子と遊ぶようにしていましたが

「ねぇ、ほしまるちゃんってやっぱり 【ふつう】じゃないんだね。あの子たちが言ってた通りだ!」

悪びれもせず あはは、と子どもらしく笑う子たちを見て、私は思いました。

ああ、ここでも 私は 【ふつう】じゃないんだ、居場所はないんだ、と。

自分自身の悪いところを認めずに人とか環境のせい、にはしたくないのですが。

もしも、小学校の時に担任以外でも、ひとりでも私のことを理解しようとしてくれる先生や、ともだちがいたら。

多分、私はもっと早くに楽になれたかもしれない。

度重なるいじめ、特に高学年になるとクラスの特に女子たちからバリアを張られるように距離を置かれて無視されたり、仲間作りからはぶかれます。

小学校では、ともだちと呼べる子には出会えなかったけれど その時唯一、私がともだち、仲間と出会えた場所は、私立中学受験の塾でした。

その頃のエピソードはこちら ↓


けれど。

こんなにも未だに悩むのは、幼い頃から高校の途中まで、度重なるいじめに苦しんだこと、なかなか私自身が居場所だと思える場所がなかったトラウマから来ているだけではなく、

【ふつうじゃない私】が、【ふつうであることを求められる】、生きづらい世界に置かれた閉塞感に苛まれ続けてきたせいかもしれません。

一歩踏み出せる勇気がなく、また、踏み出せる環境ではなかったこと、そして、ひとりでも私を理解、共感はできずとも理解しようとしてくれる存在は残念ながら殆どいなかったのです。

家に帰りたい、ずっと家にいられたらな

そんな私の思い、状況をどれほど把握していたかはわかりませんが、父も母も私に溢れる愛情を注ぎ、悪いところは悪いときちんと叱ってくれました。また、妹も、こんな情けない姉をバカにしたり、同じ学校でいることを恥ずかしがることなく、教師や、先輩、私の同期に私のことをバカにされても

寧ろ周りに

「私は大好きなお姉ちゃんのこと尊敬してますけど!」

と言ってくれていました。(言ってくれていたそうです)

ともだち?なのか、よくわからない存在ができても、誰かが

「あの子と仲良くしない方がいいよ。あんたも苛められるよ。」

と言われ、結局1人っきりの学生生活。

小学校低学年までのいじめも辛かったですが

一生懸命勉強して中学受験して入った中高一貫の名門私立女子校でも、まさかいじめが存在するとは思いませんでした。

きっかけはきっかけに過ぎませんが。

教師からも疎まれ、先輩だけでなく、部活の同期、そしてそれが波及してクラスでひどいいじめを受けていた同期生の部活仲間のMちゃんを庇って、彼女が転校するまで必死で守ったからです。

Mちゃんは元々気の強い子でした。数十人いた部活の同期の中でも、自分の意見を強く言う方で、その延長で少しでも同期の和?を乱す子などに

「あんたがそうしていると私達同期がやる気ないように見えるから迷惑。」

などと平気で言ってしまう子でした。

私自身は、数多い同期の中で苦言を呈して纏めようとしてくれている彼女を純粋にすごいと思っていました。でも、同じ部活に入った私と同じクラスの子たちが口々に

「あの子、ちょっと威張り過ぎてカッコつけてない?」

と言うようになり、気づけば彼女は部活の同期ほぼ全員から自然と浮いていました。というか、周りが彼女から距離を置き、次第に無視し始めたのです。

勝手だよな、と私は思っていました。部内ではいつも、あの子が嫌いだの、あの子は気持ち悪いだの、口々に影で違う子のことを言い合ってたのに。それもなかったかのようにMちゃんを標的にして一時的にみんなそれぞれ休戦してるだけなのに。

ある時、私は部活のリーダーである高校生の部長、副部長から呼び出されます。

高等部の校舎へ向かいながら、何を言われるのかドキドキしていました。

聞けば、

夏の部活合宿での課題発表、彼女がいるなら、同期全員ではできません。と、署名が来たそうで。

署名に私の名前がなかったので、これは一体どういうことか?、一体貴女たちの同期で何が起こってるの?と聞かれたのです。

そこで同期の中であったこと全てを話すのは私なりに気が引けたので、私が知っていることをかいつまんで話した上で私は部長と副部長にお願いしました。

「私達の学年は個性も強く、部員数も多いので、初めから一纏め、は無理かもしれません。なので、おこがましい提案なのですが、部長と副部長で班わけをしてくださいませんか。私はSさん(いじめかけられていたMちゃんのことです)と二人で構いません。」

と。

部長と副部長は、私の話を真剣に聞いて下さり。そっか、と頷きながら

「ほしまる、ありがとうね。実はSさん(Mちゃん)と一緒にやりたくないから課題発表は辞退させてくださいって子もいたのよ....困ってたからさ。でもほしまるの提案聞いたら、それで考えてみようと思えたよ。それじゃ、ほしまるはSさんとよろしくね。」

数日後の部活前の控え室で、私達の学年の課題発表、班わけが発表されました。

Mちゃんはびっくりして私を見つめていました。まるで、「ほしまる、私と一緒にやってくれるの?」と聞きたがっている表情で。だから私はにこっとMちゃんに向かって周りから見えないように指でピースしました。

同じ学年の他の輩たちは、そんないきさつは知らず、「わー、◯◯ちゃんと一緒!」とか、喜びあってました。

私に対してこそっと「Mちゃんと一緒なんて、ほしまる可哀想♪」なんて言う子もいました。

その時から、Mちゃんと私の僅かな日々が始まりました。

夏の合宿も終わって、夏休みも明けて。

Mちゃんとは夏合宿の課題発表の台詞覚え、練習はもちろん、他にも色々お互いの話をしたり。

入学したての同じクラスにもともだちらしき仲間たちはできていましたが、

今 思い返すと、Mちゃんは一番初めてできた親友だったかもしれません。

始めは私に対しても、威圧的、攻撃的な口調のMちゃんでしたが、次第にMちゃんは私に心を開いてくれました。

Mちゃんは邦楽、私は洋楽、沢山おすすめの曲をテープに入れて渡し合いました。

でも、私達の親交が深まる一方で、Mちゃんへの執拗な嫌がらせ、いじめもエスカレーターしていたことはなんとなく知っていたし、Mちゃんのお母様からも聞かされていました。

私が一緒に居るときは、Mちゃんに被害がいかないように心掛けていました。

でも、クラスが違うので守りきれなかった。

先生方からも疎まれ、先輩(部長と副部長以外)からも生意気だと言葉で暴言を吐かれ、クラスの中ではかなりのいじめに遭っていたようです。

担任も服担任も、それを無視、というかスルーしていました。

何故そうなるなのか?

それは私が、私のクラス担任兼学年主任から呼ばれた時に知ることになります。

「S(Mちゃんのことです)がいじめられたり、先生から目を付けられるのはS自身、私達先生の立場から見たら非常に問題のある生徒だからだ。担任としてはね、君はあの子とは関わることは避けてほしい。君は仲良くしているようだが、気をつけなさい。ほしまるはね、学年トップの成績なんだから。あんな生徒に足を引っ張られないように」

絶句、とはこういう時のことを指すのだと悟りました。

つまり、この学校の先生達じゃ、話にならないんだ。

その時の絶望感はとてつもないものでした。

勉強を頑張って、入りたかった学校。それでもいじめは存在していて、教師は見ないふり、関わらない。

いじめられる方に原因があると言い放つ。

よく、私の通っていた名門中高一貫の女子校は、温室だの、お嬢様学校だのと謳われましたが。

そんなのはある意味表面上にすぎないんだ、と。

表面上、清く正しく美しく 学生生活を送っていればいい。校則はかなり厳しく、些細なことでも破れば罰も大きい。

成績優秀、もしくは文武両道なら大いに結構。

それは、例えるならば、ひとたびこの学校の校門を潜れば、まるで生徒は監獄の中に入った囚人ようにさえ感じられました。

私達は、囚人なのかも。

六年間という期間、過ごさなければならない囚人なのかも。

そんなことを思い始めている過程で、更に私をどん底に突き落とすような出来事が起こります。

Mちゃんの自主退学です。

Mちゃんは秋以降、学校を休むことが多かったのですが。

彼女が登校したくない気持ちもわかるだけに、クラスは違えど、Mちゃんのクラスの子に各科目の進度、小テストの範囲を聞いたり、教科書が違う科目はコピーさせてもらいながら、ノートはいつも書き写して渡していました。

最初の頃こそ、家を訪ねると、少し顔を見せてくれたMちゃんも、顔を見せることはなくなっていき、お母様に預かってもらいました。

残った期間休んで、留年して下の学年へ行くこと、冬休み明けてから行くこと、等々含め家族でかなり話し合い、幾度となく学校へも赴いて、ご両親と校長、学年主任、担任と話し合いが持たれたそうです。

学校の結論としては

周りの生徒への影響も考えて、どうか退学なされては。

ということだったそうです。

ノートを渡しに行ったある時、Mちゃんのお母様から知らされたことですが

Mちゃんは、ある時期から精神科に通っていたそうです。

まだその当時はスクールカウンセラーなんて存在すらありませんでしたし

うつ病などの精神疾患には今以上に偏見や差別もあったからでしょう。

お母様も当時は病名は伏せておられました。

要するに学校側としては

精神科患者が登校されたら、何かあったときに困る

ということだったのかもしれません。

Mちゃんはもう学校には来られないので

生徒が登校しない日に、担任たちが立ち会いの下、お父様とお母様がMちゃんの持ち物を持って帰るからね、とお母様は涙ぐみながら私に言いました。

「ほしまるちゃん、Mと仲良くしてくれてありがとう、本当にありがとう。」

その後のMちゃんは、精神科に通いながら、地元の公立中学へ通ったそうです。

しかし、いじめられたことが原因で私立を辞めたと噂が広まり、またいじめに遭ったそうです。

そんなMちゃんは、更に精神を病み、精神に病を抱えた子どもの施設に入り、施設、精神病院を転々とします。

たまに、私からMちゃんに手紙を送ることもありましたが、最後には必ず、「返信、無理に書かなくて大丈夫だよ。読んでくれてありがとう。大好きだよ。」と書きました。

私は時々お母様と電話でお話させていただいたりもしましたが、お母様からある時、こう言われます。

「ほしまるちゃん、もうMや私たちのために電話してこなくていいのよ」

「Mね、もう心も体も衰弱しきってて。遠い遠い田舎の、閉鎖病棟で過ごすことになったから。」

「Mのことはもう忘れて、ね。ほしまるちゃんはほしまるちゃんの夢や願いが叶うようにおもいっきり生きてね」

お母様は泣きじゃくっていらっしゃいました。

「私、Mちゃんが初めて出来た親友だから。Mちゃんのことはずっと忘れないですよ。」

「おばさま、Mちゃんを産んでくださりありがとうございました。Mちゃんと出会えて、良かった。」

泣きながら、そう言うのが精一杯でした。

たまに思います。

Mちゃんへのいじめが止まって、穏やかな日々が戻ったならどうだっただろう、と。

でも、もしかしたら、そうなった時にはMちゃんにとって私はともだちとして不必要だったのかもしれません。だって、周りを見渡せば、【ふつう】で、青春を謳歌するキラキラした魅力的な生徒は沢山いたはずだから。

Mちゃんが学校を退学した後、私を待ち受けていたのは、壮絶ないじめの日々でした。

Mちゃんを守っていた私だから。Mちゃんの代わりにターゲットにされたわけです。

そこから数年に渡るいじめとの闘い、孤独な学校生活の話はまた次回。

☆☆☆☆☆

さて、重い話になりましたが。

ここまで読んでくださった貴重な方へ、

そして、理由はどうあれ、この世で生きづらさを抱えて生きる全ての方々へ。

今日はこの曲を送ります。

Cyndi Lauper(シンディ・ローパー)の True Colors (トゥルー カラーズ)です。

シンディをよく知らない方でも、個性的なファッション、キュートな笑顔、素晴らしい歌声、ステージパフォーマンス、日本を愛してやまないアーティスト等々、何らかの形で見聞きしたことはおありかと思います。

シンディの トゥルー カラーズ。

近年ではLGBTQの方々の人権運動のテーマ曲としても使われていたりします。

歌詞に出てくる虹は彼らのシンボルでもあります。

多様性を求める人への希望、支えとなるのも頷けます。



I see your true colors
And that’s why I love you
So don’t be afraid to let them show
Your true colors
True colors are beautiful
Like a rainbow
あなたの本当の色が見える
それがあなたを愛する理由
だから恐れずにその色を見せて
あなたの本当の色
本当の色は美しい
虹の様に

また今後もシンディは私の記事に登場するかと思います。

小さい頃から大好きで、未だに憧れの存在であるシンディ。

彼女の小さな体全身から溢れるパワー、力強いエネルギー、そして他者への溢れる愛情を見る度に、私も誰かにとっての光でありたいと願ってなりません。

タイトルの

She's So Unusual

は彼女のデビューアルバムのタイトル。

unusual:まれな、ふつうでない、ありきたりではない、等々。

そんなシンディ。

昨年も来日公演を行ってくれました。

↓以下、添付の写真は、なんとオープニング二曲の間だけ写真撮影が許されたため、スマホで撮った写真です。

長らくシンディのファンですが、

どんなに年を重ねても、彼女の色を持ち続け、輝き続ける彼女は本当に美しい。

そう思います。

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All Photos by my cellphone, Cyndi Lauper '35th Anniversary Tour' at Orchard Hall, Sibuya, Tokyo 10th October, 2019

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