落ち込むなんて、私の人生がもったいない_小説家の「片づけ帖」#16
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■1秒でも落ち込んでたまるものか
いきなりで恐縮なのですが、生きる基本姿勢として、私は「1秒でも落ち込んでたまるものか。せっかく生きてるのに、私の人生がもったいないじゃん」と心底思っているし、「救いが無い物語は書かない」と決めています(だって、読んだ人が暗い気持ちになって、その後どうするのか? と)。
この心の帯を締め直す、良い経験に恵まれました。
前提として私は、世に存在する全ての作品、表現、仕事には命があり、美があると思っています。人が命を投じた結果なのだと。
ですから基本的に私は全てに敬意を持っているつもりです。そのうえで、どこを見るか。あくまでも”例え”ですが、誰かに「音楽に気を取られていては作品のもつ歴史的背景(あるいは作者のメッセージ)に気づけない」と指摘されたとしても、自分自身はその作品のどこを見て切り取るかの問題。明確に自分が決めるものだと思っているのです。
今週は、1週間のうち3日も演奏会とオペラ鑑賞に行き、感受性を磨いた週でした。
まず火曜日は、閑崎ひで佳×髙橋望「ピアノと舞の出会い」に行き、
「大好きな曲を、大好きな音色で聴く」という、文字にするとたったこれだけのシンプルな体験が「こんなにも魂を深く癒すのか」と、しみじみ感動しました。
木曜日は「ボリス・ゴドゥノフ」というオペラを観ました。
出張の予定が変更になったのを機に、金曜日は日本フィルハーモニー交響楽団の第745回東京定期演奏会に行ってきました。
日本フィルの演奏は、陽だまりの安全な寝床で心を回復させる音でした。深呼吸をして、脱力する。そして初めて、それまで自分にどれだけの力が入っていたかを自覚したのです。
「今日も、自分の人生に音楽があってよかった」と、心から感謝しました。
前日に観た「ボリス・ゴドゥノフ」は身震いするほど美しい音楽でしたし、目に映るものもハッとするほど美しい瞬間が少なくないオペラでした。このタイミングでこの作品を体験できたことは、私の財産の1つになると理解できました。一方でストーリーにはまったく救いがなく、ひたすらに重い。こちらの生き抜く力を抉っていくように感じられたのです。
翌日も仕事で創作物の締め切りが2本あったので、私は精神を引きずられないように、自覚しているよりもかなりのエネルギーを使って平静を保っていたようです。
今週は音楽が起爆剤となりましたが、人の作品や仕事に触れることで自分の考えが整理でき、根本を再確認することがよくあります。
■人との関わり方を整える
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