16.自分にとって女は損だと思えてならなかった
ずっと男で生まれたかった
物心ついた頃から、男で生まれて来たら良かったのにと思っていました
女で生きるのも悪く無いなと思ったのは、
大学生の時、初めて感じました
しばらく落ち着いていたのですが、今後のキャリアを考えていて、
男だったら良かったのになと、再び思う様になりました
自分の中で、この感情を整理する必要があると感じ、
初めて言語化したいと思います
こんな事を言うと、
面倒な奴として周りから煙たがられるのでは無いか、
社会生活を送っていけないのでは無いか、
身近な人を困らせるのでは無いかと、
ずっと自分の中に押し込んできたものです
発想の転換に繋げて行けたら良いなと思います
女の子らしさを求められるのが嫌だった
女の子らしく、スカートを履くのが大嫌いでした
幼稚園の音楽発表会の時に、女の子はスカートとタイツが必須でした
タイツの肌にピタッとくっついて来る感じも苦痛で、
タイツを履かなければならないスカートが嫌いでした
男の子だったら、スカートもストッキングも履かなくて済んだのにと
子供ながら思っていました
自分が女の子じゃなければなと
大人になった今も、
冠婚葬祭などで、
必要あればタイツやストッキング着用していますが、
会場を出ると1秒でも早く脱がないと気が済まない位、
未だに大嫌いです
学生の頃の制服も、
冬にどんなに寒くても、女の子はスカートというのが、
意味がわからず、嫌でなりませんでした
早く制服を脱ぎたくて、
家に一刻も早く帰って、
自分の好きな部屋着に着替えたくて仕方ありませんでした
なぜ女の子だからと言う理由なだけで、
服装を決められなければならないのか、
ずっと不思議でなりませんでした
また、七五三でドレスを着せられたり、
ふりふりした女の子らしい服を着せられるのが大嫌いでした
結婚してウエディングドレスを着たいという夢も
一切持った事がありませんでした
大人になると、
オフィスカジュアルというある程度の枠組みはあるものの、
ジーパン以外というざっくりした規定だった為、
着るのものに関するストレスはかなり減りました
女の子らしさ、可愛らしさを求められるのが、
なぜかたまらなく嫌でした
ふりふりした服を着せては、
大人達が可愛がって愛でる姿が、
なんだか自分は着せ替え人形にされている様な感覚で、
良い気がしませんでした
なぜ、性別が"女"という理由だけで、
こんな目に遭わなければならないのか
周囲の大人は、
きっと自分が喜ぶと思い、
色々と手を尽くしてくれたのだろうと、
子供ながら勘付いていました
嫌と突き付けると、傷付けるかなと、
当時、全てを拒否することは出来ませんでした
でも、よく考えれば、
価値観の押し付けとも取れ、
嫌だともっとはっきり言えば良かったと、
今になっては思います
女の子らしくおめかしをさせられるのは、
写真を撮ったり、何かの発表会だったり、冠婚葬祭の場だった為、
今でも、写真を撮られたり、パーティーの様な場や、
冠婚葬祭の場に足を踏み入れることも、
苦痛になってしまいました
また、家で祖母や母親から、
「女の子なんだから家事を手伝いなさい」と言われることが
受け入れられませんでした
自分には兄がいます
兄は自分のことだけしていても怒られないし、
家事をやらなくても何も言われませんでした
兄と同じ様に自分の好きな事をしていると、
自分だけがなぜか母親から家事をするよう怒られました
家族の一員として、
全員で家の事を分担するというのであれば、
納得できましたが、
なぜ「女の子だから」という理由で、
男女差を付けられるのか、
理解できませんでした
そして、家事をする分、
他の事を休める環境があれば良かったのですが、
兄と全く同じ様に勉強や、習い事もしっかり詰め込まれ、
兄と比べられ、
息抜きできる環境が自分にはありませんでした
自分が女であると自覚させられる事も嫌だった
思春期
思春期になり、周りが恋愛をし始めている中、
恋バナについていけませんでした
恋愛体質と真逆で、
好きと言う気持ちがあまりよくわからなかったのと、
異性を好きになるというのは、
はっきりと男女を分けられた気がして、
自分にとっては見たくない現実でした
また、初対面に近く自分の内面をほとんど知らない異性に、
自分のことを好きだと言われる事に
嫌悪感を感じずにはいられませんでいた
自分の見た目を、
女性としての性的な魅力として見られている気がして、
自分が好きになった人以外は、
変な期待を持たれない様に、
注意を払っていつも行動をしていました
また、身長の割に初潮が遅めでした
生理が来ないのが気楽で、
周りの同級生よりも初潮が遅いのがなぜか少し嬉しくもありました
だから、初潮が来た際に、
女性に一歩近づいた気がして悲しかったです
生理ではなく、痔の間違いだったら良いのにと、
何度もトイレに行っては確かめていた記憶があります
初潮が来た日、慣習だからと、
母親が夕飯に赤飯を出してくれました
出産できる身体になった事をお祝いされる事が不思議でならず、
とても嫌悪感を抱いた記憶があります
父親が一緒にその場でご飯を食べる事もたまらなく嫌でした
兄にも初精通があったはずです
何もお祝いをしていないので、
いつ来たのか知りません
なぜ自分の時だけ赤飯を炊かれて祝われるのか、
なんだか晒し者にされている気分で、
堪えないと涙が溢れてしまいそうな位、
苦痛で仕方ありませんでした
また、荷物を運んでいる際、
「女の子だから重たい荷物を運ばなくても良いよ」と言われるのが嫌でした
助けてもらえるのはありがたかったですが、
自分で出来ることは自分やること位できます
助けて欲しい時に、助けてと一言伝える最低限のことはできます
「重たそうだから代わりに運ぼうか?」とか、
「一緒に運ぼうか?」と、
ただ言ってもらえれば良かったのに、
「女の子だから」と言われることに
引っ掛かりを感じずにはいられませんでした
女の子にはそんなことすら出来ない、
守ってあげないと何も出来ないと言われている気がしてならず、
良い気はしませんでした
そんな言葉尻1つで周りの男性に突っかかっていたら、
誰にも助けてもらえなくなるかもしれないし、
素直にありがとうと言える方が
愛嬌があって可愛らしいと思われるのが現実の為、
助けてもらえるだけで良いと自分になんとか言い聞かせ、
「女の子だから」を辞めて欲しいと言ったことはありませんでした
初めて不慣れな事をすると、
失敗したり、
上手くできないことがあるかしれません
でも、それも含めて良い経験で、
自力で何かを成し遂げたということが、
自信にも繋がります
甘やかす事は一見優しく見えますが、
経験や失敗できる貴重な学習の機会を
「女の子だから」という理由で奪わないで欲しいと思います
変に気があると受け取るような男女を意識すること無く、
助けてと話しかけた際に、
変に構えず気楽に会話をさせてくれたら良いのになと常に感じます
なぜか好意があると勘違いされたり、
分け隔てなく接する様に好意を持たれたり、
恋愛関係抜きで接して欲しいと常々感じます
女であることを意識しない為に理系に進んだかもしれない
また、理系へ進んだのも、得意だった、興味があった以外に、
自分が女性であることを気にしなくて良かったというのも
理由の1つだった様に今になって思います
大学生や社会人になって、
周りが理系の人だらけになると、
ただデータを元に客観的に評価する環境や、
論理的に話ができる環境がとても心地が良かったです
でも、仕事をしている内に、
自分が女性である事が損だと思う様になりました
自分が働いていたIT業界はパソコンがあればどこでも働ける為、
肉体労働の職種より、
男女関係なく働ける環境と言われています
でも、日本のIT業界や、
そもそも日本の働き方が原因か、残業が月40時間前後であったり、
体力がないとやっていけない部分もありました
また、男性が多い職場のせいか、
重工系のIT企業のせいか、
たたき上げの文化が根強く残っていました
女性である以上、
生理前後は、PMS(月経前症候群)の影響で、
倦怠感があったり、
頭痛がしたり、
思考力や判断力が低下したり、
落ち込みやすくなったり、
イライラしたり、
いつも通りでいられない期間があります
客観的に見て、
月に約1週間の高頻度で自分のコンディションが変化して、
いつも通り動けない期間が発生してしまうのは、
男性と比較すると不安要素と思われる部分があり、
キャリア面で痛手になると感じました
生理前後は、
ホルモンバランスの関係で、
判断力が低下してミスが増えたり、
感覚過敏のような状態になって小さな事でイライラします
いくら男女差が付かないように会社側が配慮したとしても、
コントロールできないホルモンの影響で、
結果として必ず評価に差が出てしまうと感じました
また、業務で海外の現地工事の同行の際は、
どうしても男性より女性の方が危険が伴いやすく、仮
にスキル面で要件を満たしていても、
一緒には行きづらいと感じていました
自分を遠方の出張へ行かせるかどうかマネージャ側が迷ったり、
行っている途中でも、
一緒に行っているメンバーに、
女である事で気を遣わせてしまっている部分があると、
申し訳なく感じる時がありました
スキルアップの為に経験を積む事は必要と思うけれど、
女性に無理させるのはどうなんだろうという
マネージャー側の葛藤を感じ取ってしまう時がありました
自分の性格や体質を考慮した結果、
組織で働くのは向いていないかもしれないと思い、
起業や自営業等も考えましたが、
何かトラブルが起きた際に、
力で向かって来られると
どうしようも出来ないなと思うと、
躊躇ってしまいます
余談
また、友人の話ですが、
30歳位から数年海外勤務のチャンスが出て来るメーカーにいる友人は、
ちょうど結婚の時期と被り、
出産のことも考えると、
出向者として働く事は諦めたと言っていました
彼女は、英語以外の言語を色々と学び、
1度退職してワーキングホリデーに行ったり、
海外で働きたい思考がとても強い友人でした
結局、1つ上の男性の先輩が、海外出向する事が決まった様です
別の研修医として働いている友人は、
女性ならではの悩みに寄り添いたいという想いから
産婦人科医に進むことも考えたけれど、
産婦人科の医局の状況では働けないと考え、
諦めたと言っていました
夜勤や不規則な生活が続き、妊娠しづらい身体になる上に、
(不妊治療に行っている女医の方が非常に多いらしいのです)
同じタイミングで働き手がいなくなっては困るから、
出産できるのは1年に2人までと決まっており、
順番が回って来るのは、35歳前後、
1年以上前から順番待ちとのことでした
あぁ、生理とか、出産とか、子育てとか、無かったら良いのに
身体が動かなくなる、
思う様に動けなくなる期間が無ければ、
自分のキャリアを諦めずに済むのに
何で自分は女に生まれたんだろう
男だったら良かったのにと、
男性に負けない様にと
頑張れば頑張るほど、
女性は損だと思わずにはいられなくなりました
男性と張り合うのを辞めよう
女性は損だと思って来て、
何とか気力と努力でカバーしようと抗って来ました
良い大学に行って、
会社でも男性と肩を並べて頑張るんだと
感情的になったり、泣いたりする事で、
「これだから女は」と言われない様に、
自分の感性と感情に蓋をして、
弱音もほとんど吐かず、
辛くても歯を食いしばって頑張らなければならないと思ってきました
生理痛で身体が重くても、
鎮痛剤を飲めば、
痛みを気にしないで済みました
意識的には、生理を無かった事にできました
でも、本当は生理痛がある状態は普通では無くて、
色々とストレスを溜めたり、
無理をしていた状態でした
こうしていろんな自分の溜め込んだ物を吐き出してみると、
自分は生理痛の痛み止めを飲んで、
自分と向き合わず、
見ないふりをして来たのだと思います
改めて考えると、
男性と張り合って頑張る必要なんて、
本当は必要なかったと思います
自分のできる方法で、
これなら続けられる事を、
ただマイペースに頑張れば良かっただけなのに、
周りの男性と自分を比較してしまっていました
なぜ自分は男性と張り合う様になってしまったのかと考えた際に、
原因の1つは、兄と同じ様に育てられた事があると思いました
習い事でしていた水泳と、塾での勉強は、
兄と同じ習い事でした
「兄は同じ時期〇〇だったのに」といつも父親から比較されていました
でも、兄はすぐ辞めてしまった自分だけ続けていた習字やピアノは、
両親はよくわからなかったのか、
指摘される事もありませんでしたが、
褒められる事もありませんでした
得意なことも、性格も違う兄と張り合う必要なんて全く無くて、
お互い違うからこそ助け合えば良かったのに、
競い合わされて来ました
大学受験の際も、
当時の兄の模試の結果を出して来ては、
比較されていました
大学生からは、兄も自分も実家を出て、
親が成績や子供の状況を細かく把握出来なくなった為か、
比較される事がほとんど無くなりました
それもあり、大学生の時に、女で生きるのも悪く無いなと、
少し思えていたのかもしれません
社会人になっても、
未だに自分の中で、
兄と比較されて育てられた事が残っていた事に加え、
職場で年配の男性が「これだから女性は」といっている場面に何度か遭遇し、
女性を理由に休んではいけない、
楽をしてはいけないと、
男性と張り合って頑張らなければいけないと、
より一層思うようになってしまっていたのかもしれません
社会に女性が進出し始めた頃、
社会人になった父親は、
会社で女性が泣くと、
不利になる光景を目にした為、
兄と比較することで、
自分が社会に出た際に、
男性の中でも、
渡り歩いて行ける様に育てたかったのだと思います
でも、あまりにも手荒でした
自分の性格や、個性や、メンタル面を無視されていました
自己肯定感が育まれていない状態で、
家庭内で比較され、
学校など、家庭の外でも比較され、
自分の心はボロボロになっていました
でも、自分の中にいつしか余計なプライドが生まれてしまい、
弱い自分を出したくないというプライドから、
それをごまかす様に周りと競い合い、
性格も気付けばきつくなってしまっていました
休むことは良くない事と思えてならず、
いつも無理して、
しまいには周りで休む人に対して、
なぜ頑張らないのだと、
自分も被害者から、加害者になりかけていました
男性と同じ評価軸に乗る必要は無い
でも、こうして書き出してみると、
女が損だと思えてならないのは、
男性と同じ様に、
同じ成果を上げて、同じ評価軸で評価されようとしていた
自分の考え方が原因だったことに気付かされました
そもそも「男性と同じ様に」と、
周りの人を、男女で分けて比較する必要なんて無かったです
叩き込まれてしまった「男性と同じ様にやらなければいけない」というのは、
ただの思い込みでした
男性と女性で体の作りや、体力、筋力は違います
同じ男性、女性でも
体の作りや、体力、筋力、得意な事は違います
それは、ただの「個人差」です
これだから女性はと言われても、
その男性がステレオタイプなだけと、
耳を貸さなければ良かったです
もっと早く自分の中から手放してあげれば良かったと強く後悔します
我慢は当たり前で、美徳で、
みんなが同じ評価軸を進まなければならないなんて、
日本を出てからそんな価値観は一切無くなりました
なぜ、日本にはこんなおかしな価値観が横行しているのか、
怒りすら感じます
その仕事に就くなら、
決められた1つのパターンの働き方しかやってはならないと、
決めつけてしまうのでは無く、
個人差を加味して、
長期間コンスタントに働ける人と、
スポットで働く人をなぜ上手く混ぜられないのだろうか
また、会社員として生きることが普通なのではなく、
出世=成功でもなく、
性別や年齢などで引っくるめて、
40代から●●なんてと、変な偏見を貼り付ける必要はなくて、
ペースは遅くても1つの道を極めて専門性を磨いたり、
自分が無理せず働ける時間で勤務するという働き方が
なぜこんなにも日本では許されないのだろうか
言われた通り、言われたことをこなす
ロボットにさえなれば良いという奴隷なのか?
人それぞれ、興味を持ったり、理解できたり、初めて知るタイミングは、
同じ年齢でも、同じ家庭環境の兄弟でも、同じ性別でも、
個人差があって当たり前だと言う事に、
今更気が付きました
なぜ、個人差があるというこんなにも単純なことが、
無下にされているのだろうか
女として生きることが損だと思っていたのは、
今あるキャリアの評価軸にそのまま乗ってしまうから損になるのであり、
努力ではどうしても難しい、
女である事の制約条件をまずは受け入れて、
その上で女である事が損にならない、
女である事を気にしなくても済む
自分に合った環境ややり方をただ探せば良くて、
無いのであれば自分で構築していけば良いだけの話です
駐在員の妻として海外へ帯同するにあたり、やむなく退職しました
数人に「キャリアを諦めて、家庭を取ったんだね」と言われました
自分から一度も"キャリアを諦めた"なんて言った事は無く、
むしろキャリアアップをする為に、
自分は海外行きを選びました
それなのに、ただ会社を辞めただけで、
周りからは勝手にキャリアを諦めたことにされました
余計なお世話だと、
心の中では相手に対して唾を吐いていました
日本でその様な発言を自分に言って来たのは男性でしたが、
今自分の周りにいる駐在員の妻である日本人女性も、
一度退職してしまったからキャリアを諦めるしかないと口を揃えて言います
そもそも諦めるほどのキャリアを自分たちは持っているのだろうか?
そもそも同じ会社で働き続ける事がキャリアなのだろうか?
男女関係なく、
自分で自分の限界を決めて、
どこなら自分を生かせるか、
その為に何を努力したら良いか考えることを放棄し、
思考停止になっていると感じました
意外と主婦はキャリアアップに有効
主婦はキャリアを諦めたようによく言われますが、
専門性を磨く為に勉強したい人にとっては、
良い職業/環境であると、
実際になってみて感じました
家事以外の時間は好きなように自分の時間を使え、
経済の勉強をして、
投資の勉強をしたり、
ITの勉強をしたり、
専門性を磨く為に時間と体力を自分1人だけの時間にすることができます
働いていた時よりも、はるかに多くの時間を使えます
また、仕事の為に覚えないといけない事も無く、
自分の好きな事に対し、
フルに記憶力や思考力を使うことが出来ます
今一度自分の頭で考えて、
世間一般で言われているイメージや評価は、
実際にそうなのか、
自分の頭でよく考えた方が良いと改めて感じました
常識や偏見を盲目的に信じることは、
自分の可能性や選択肢をどんどん狭めてしまうと思います
最後、少しだけ話がそれてしまいましたが、
最後まで精読頂き、ありがとうございました
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