最近の記事

自分へのごほうび【後編】

息子が療養していた頃、外出といえば病院。あとはたまの買い物、そしてもっとたまの登校。そして療養中でもどんどん成長し、どんどん大きくなる足。そんな感じで、あんまり出掛けないし、すぐサイズアウトするからと靴をほとんど買ってなかったんです。本人も面倒だったのかサンダルばかり履いていて、冬もコストコで買ったモコモコのサンダルを愛用。だからスニーカーは黒のnew balance1足しか持ってませんでした。 高校入学のタイミングで王道のスタンスミスを買い足して、その2足を履いてたのです

    • 自分へのごほうび【前編】

      2022年5月、「息子が毎日学校へ行けるようになったらバイザヤードを買う!」とツイートしました。引用元のツイートは削除されてしまっているけど、自分へのごほうびに何かを買ったって内容だったはず。 (バイザヤードとは、ティファニーの一粒ダイヤのシリーズのことです。) その頃の息子は調子のいい日があれば寝込む日もあり、なんとか日々をこなしている感じ。学校に週に1日、1時間だけ登校していたけれど、歩いての登下校はできず、仕事を中抜けさせてもらい車で送迎していました。息子の体調も良く

      • 息子が走った!

        先日、息子の通う通信制高校の体育祭が開催されました。参加は自由。参加すると体育の授業3回の出席に充当されます。息子は元々運動も好きだし、運動会に張り切るタイプだったので、参加は想定内。息子のクラスは約半数が参加だった様です。私は運動はからきし駄目で、運動会も好きじゃなかったから、不参加の気持ちよくわかる! 参加が決まったら次は出場種目。やり過ぎたら一気に体調が悪化するし、どこまでできるのかはやってみないとわからない状況なので、負担の少ない種目に最低限出るに留めると言ってた息

        • 通信制高校に通ってみて

          通信制高校へ入学して3ヶ月。久しぶりの学校生活、初めての電車通学など色々心配していたのですが、今のところ寝坊で遅刻が1回、早退・欠席無し!元気に楽しく通うことができています。そんな3ヶ月を過ごしてみて思ったこと。 ・生徒のタイプは色々 入学式から制服(購入は任意)、普通のスーツ、おしゃれスーツ、ロンTやパーカーのザ・普段着、えーっと部屋着で来ちゃった?とかもうほんと色々でちょっとびっくり。息子によると女の子はJK満喫タイプと静かなタイプの二極化、男の子は静かな子が大多数ら

        自分へのごほうび【後編】

          志望校決定→合格まで

          息子が通信制高校へ入学するまでのお話③ 息子と通信制の具体的な話をしたのは、中2の秋~冬くらい、2年生の成績が斜線になることがほぼ確定した頃だったか。そして息子が通信制に行きたいと言ったのはいつだったか…はっきり覚えてないけど、中3になった頃にはそう言っていたような気がします。全日制に行ける程に体調が戻っていなかったし、通信制の方が心身共に負担が軽い事、また学校生活の諸々の負担が軽く済んだ方が大学受験を考えた時に良いであろうという事が通信制に決めた大きな理由です。そして中3

          志望校決定→合格まで

          公立?私立?通信制?

          息子が通信制高校へ入学するまでのお話② まず公立高校については、うちの地域では中1の成績から内申に反映される事、英検が入試の英語の成績に換算されるシステムがある事などから、私としては割と早い段階からかなりレベルを下げないと無理だろうと思っていました。また公立の通信制や昼夜間定時制も調べましたが、息子に合わなそうだなと感じたので選択肢から外しました。東京は昼夜間定時制が充実していて羨ましい。神奈川は内申関係ない、本番一発の入試制度があって羨ましい。都道府県で差が大きすぎ!

          公立?私立?通信制?

          まさか息子が通信制へ!?

          EATに通い始めて少し経った頃、医師から「痛くて辛いとは思うけど、今頑張らないと通信制高校に進学せざるを得なくなるから頑張って」と言われました。その時の私の正直な気持ちは「通信制?この人、何言っちゃってんの?」でした(ゴメンナサイ…)。それから3年後、息子が通信制高校に通うことになるまでのお話。 高校進学について、コロナ後遺症初期の頃はまだ中1だったこともあって、まぁ中2になれば学校にも戻れるだろうし、レベルは下げないといけないかもしれないけど、なんとかなるでしょ~くらいの

          まさか息子が通信制へ!?

          メンタルを守れ!私編②

          カウンセリング以外には、仕事を続けて息子と離れる時間を作ったことはお互いにとって良かったと思ってます。美味しいものを食べる、買い物をする、コーヒーを飲みに行く、車の中でYOASOBIの群青をかけて「あーー!」っと叫ぶとかもよくやってました。お酒が飲めない体質で良かった。飲めてたら危なかったと思います。 あとはXですね。本当に色々と助けられました。Xからの情報がなかったら息子はここまで良くならなかったかもしれない。 でも良いことばかりではなくて、回復した方のポストを見て喜べ

          メンタルを守れ!私編②

          メンタルを守れ!私編①

          私、ずっと自分のことをメンタル最強!と思ってたんです。落ち込んだりしないわけじゃないけど、すぐ立ち直るし、基本メンタルは安定してて。でもそんなことなかったと痛感した息子のコロナ後遺症でした。 だめだとわかっていても息子の状態に引きずられて一喜一憂して、すごく気持ちの振り幅が大きくなってしまって。一日の中でも安定しなくて。もう気持ちのメトロノーム全振り状態。逃げたしたいと思ったことも何度もあった。息子の体調の変動が大きかった頃は、仕事から帰って家のドアを開けるのがすごく怖かっ

          メンタルを守れ!私編①

          メンタルを守れ!夫編

          我が家のコロナ感染の発端は、間違いなく夫です。なので、すごーく嫌な言い方をすると、息子のコロナ後遺症は夫のせいとも言えるわけです。息子がPS8だった頃、この現実を夫は受け止めきれないだろうと思い、夫には「逃げろ!」と心の中で叫びました。そしてこの息子の後遺症のことは全部私が背負おうと決めたんです。 当時夫は単身赴任中で、コロナの影響で帰宅回数も少なく、単身赴任先でも在宅ワークが多い状況でした。同僚以外の知り合いがいない土地で、一人でいる時間が多かった夫に、息子の後遺症のこと

          メンタルを守れ!夫編

          メンタルを守れ!娘編

          息子が後遺症を発症した当時、娘は小3。息子が大変な状況になってしまって、娘の事も精一杯気にかけていたつもりだけど、足りなかったことはたくさんあっただろうと思います。娘には本当に申し訳ない気持ち。 当時夫は単身赴任中、更に実家は遠方、私一人ワンオペの日々。まだまだコロナ禍でお友達との家の行き来もなくなっていて、息子の通院時には娘は一人留守番でした。娘も一緒に連れて病院へ行ったことも数回あったと思うけど、病院での感染も怖かったし、娘が一緒に行くより留守番がいいと言っていたので

          メンタルを守れ!娘編

          メンタルを守れ!息子編②

          息子はもっとメンタルが弱いと思っていたんです。でもものすごく強かった。 学校が大好きで、学校へ行きたい気持ちはずっと変わらず。久々に登校する時もいつも堂々としていたし、全然登校してないくせにクラスの集合写真はいつもど真ん中。卒業アルバムの部活の集合写真なんて、みんなはユニフォームなのに一人制服でど真ん中。(ちょっとは遠慮しなさいよと言ったら、みんなに真ん中に行けと言われたんだよ~とヘラヘラしてました。自ら行った疑惑は払拭できない…怪しい。) 修学旅行で一人だけ別行動が多か

          メンタルを守れ!息子編②

          メンタルを守れ!息子編①

          息子が大クラッシュを起こし、長期戦になることを覚悟した時に一番に思ったのは、息子のメンタルを守り切らなければいけないという事。身体はきっといつか治る。その時にメンタルが元気だったらきっとどうにかなる、でもメンタルを壊してしまったら、きっと身体よりもっとずっと長期戦になってしまうと思ったから。 最初にやったのは、息子が寝る場所を自分の部屋からリビングへ移したこと。部屋に引きこもってしまうことが怖かった。息子には「テレビがある方がいいでしょう」とかなんとか言って無事成功。ある

          メンタルを守れ!息子編①

          2023.4~2024.3頃

          3年生に進級。6月の修学旅行に向けて、4月半ばから修学旅行に関する活動をする時間に登校するように。久々の学校で、狭い教室にたくさんの人、更に状況的に「グループ毎に話し合い」が多く、色々な所から色々な声がするのがしんどいと言っていたのが印象的。部活にも顔を出したり、楽しそうだった。 5月、GWに修学旅行の練習を兼ねて久々の帰省。長時間移動や久々の環境に疲れつつも、寝込んだりする事なく過ごせて自信になった。 後遺症発症当初は全く効かなかったBCAAだけど、この頃なんとなく試し

          2023.4~2024.3頃

          2022.4~2023.3頃

          中学2年に進級。義務教育って登校しなくてもテスト受けなくても自動的に進級するんだな~と思ったのを覚えてます。 暖かくなってきたし、心機一転という感じで4月下旬より週に1回1時間程度の登校再開。最初は車で送迎していたけど、途中から徒歩で行くように。体調は良かったり悪かったりを繰り返しながら、なんとか日々をこなす感じ。 が、6月半ば、梅雨入りと共にクラッシュし、起きられない毎日。この時から中学2年が終わるまで学校へは行けず。全体的にずっと調子が良くない日々が続く。なんかもうこ

          2022.4~2023.3頃

          2021.9~2022.3頃

          息子が大クラッシュする直前、いくつかテレビ取材を受けていました。後遺症ではないでしょ~と思っていた(思いたかった)けど、情報が欲しかったし、テレビの取材への興味もあったし。あるニュース番組で私のインタビューとH先生のインタビューの組み合わせの回があって。H先生とは直接話していないけど、記者の方を通して早く病院で診察を受けた方がいいとの伝言を受け取りました。あぁ、本当にまずい状態なのかもしれないと思ったのを覚えてます。 そして大クラッシュ直後、H先生のオンライン診療を受けまし

          2021.9~2022.3頃