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木戸孝允(桂小五郎)の神社を紹介します
木戸神社といいます。山口県山口市糸米にあります。
山口県を旅行した時、萩から下関、山口市と周って、木戸神社の存在に気が付きました。さっそく寄ってみました。
神社には誰もいませんでした。
![](https://assets.st-note.com/img/1645495062301-afEo2ZvN7j.jpg?width=1200)
地元の氏神様ですね。
町によくある神社に見えました。祭神はもちろん木戸孝允です。それにしても、質素で閑散として、ちょっと寂しく思いました。
萩で訪問した吉田松陰神社と比較してみてください。
![](https://assets.st-note.com/img/1645495262837-vPXDDQJUEN.jpg?width=1200)
吉田松陰神社は博物館もあり蝋人形館もあり観光バスも停まる萩を代表する名所の一つです。
この違いは、なんなのでしょうか。
木戸孝允と吉田松陰の神社は、その歴史的な経緯が全く違うのです。
吉田松陰は死後、久坂玄瑞により、各藩の志士の間で有名になります。維新以後は、薩長を中心に立憲君主制の国家が築かれ、軍国主義が進む中で、神社の形成など神格化されていきました。
一方、木戸孝允は、明治10年に亡くなる際に、『山口の旧宅や山林を地元の村に寄付して村人の学資にあててほしい』と、遺言します。遺言は遺児により実行され、村の子供たちの学費に当てられました。
村民は感謝の思いで明治19年に「木戸公恩徳碑」を建て、その祠と周りに桜を植えて、氏神様として感謝の心で敬ってきたそうです。
二人とも、無私な人物です。
下のリンクの記事で紹介しましたように、木戸孝允と吉田松陰は、成育歴も成人以後の人生も対照的です。まさか、死後の神社まで対照的なんですね。「対照的」連発です。
とはいえ、木戸神社の歴史は、とても木戸孝允(桂小五郎)らしい逸話で、人柄が偲ばれます。ご旅行の際には、寄ってみるのも歴史の出会いになるかと思います。
では木戸孝允に親しみを込め、村の人々とともに、もう一度参拝。
![](https://assets.st-note.com/img/1645496611002-LmFjRngtLG.jpg?width=1200)
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