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「進化論」 Mr.Children

キリンの首の長さと、17年ゼミについて。

想像もつかないくらい遠い昔から、世の生き物は、生存環境に応じてフォルムや生き方を変えてきた。これにより、過酷な生存競争に勝ち抜いてきたと言われている。

いわゆるダーウィンの進化論。

有名なのはキリンの首。

高いところにある木の実をとるために、まずその実を取るのに有利な、首が長い種が生存競争に生き残り、首が長いという遺伝子を後世にのこした。そして、永遠のような時を経て今のフォルムになっていったという。

必要性があったがために、その必要性に合致できた種が生き残っていくというのは理解できる。

そして近年話題の17年ゼミ。

17年に一度、アメリカ北部であたりを覆い尽くさんばかりに一斉に短期間に大量発生するセミが存在している。このセミを17年ゼミという。

なぜか17年周期。なぜ17年周期なのか。

これも生存競争で説明ができる。

17というのは素数で、この数字と1でしか割り切れない。仮にこれが17年ではなくて6年サイクルだった場合、1と2と3と6で割り切れるから、6年ごとに2年、3年、6年周期のライバルとの熾烈な生存のための戦いをしなければならない。でも17年だと、1と17でしか割り切れないわけなので、ライバルは17の倍数のセミだけ。17の倍数とは、、289。。

また、セミの天敵の寄生虫も、17年サイクルで生まれないとこの17年セミに影響を及ぼすことができない。

つまり、こういった個体の種の保存のために、自然と17年周期のセミが生き残っていったという理屈なのだ。

まさに必要性があったから順応していった。そしてそれはすぐに起こったことではなくて、長い年月を経て実現していった。つまり、初代セミ、初代キリンがいたとして、その想いが遺伝子レベルで受け継がれていった結果の出来事なのだ。

初代キリンは、あの長い首を想像していたわけではないだろうし、初代17年ゼミは17年サイクルでこの世に生まれることを祈っていたわけではないだろう。

ちょっとした、ささやかな、、、もっとたくさん食べたい、もっとたくさん生きたいという、ささやかではあるが「強い望み」が最初にあったのではないか。そんな風に思う。

強く何かを望むこと。

それを、我々、人類に置き換えてみるとどうだろう。

人類も何かを「強く望んだ」ことで、世の中をより便利に、より快適に作り替えてきた。

きっと初代人類は、今のテクノロジーなんて想像もせず、単に今よりもっと快適に暮らしたいなあと思っていたに過ぎないのかもしれない。

その思いが引き継がれて来た。

これからこの世界がどのように変化していくか。どんな未来が待っているのか。それは、今を生きる我々が何を望み、何を引き継いでいくかにかかっているのかもしれない。

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