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小学生生活最後のモラトリアム期に出会った人生を変えた2枚のCDの話 ~ BOØWY、The BlueHearts

小学生生活最後のモラトリアム期。春休みの思い出。

北海道の春は短く、そして到来も遅い。

卒業シーズンの3月下旬、南部の道南地方といえども、まだ少なからず雪は残っていて、やっと、フキノトウが芽を出すか否かという時期。

4月に入ってもまだ肌寒く、GW直前にやっと桜が花を咲かせ始める。そしてGWが徐々に終わりを迎えていくに従い、桜の花びらも「ちりぬるを、いとおかし」と言わんばかりに散っていく。そしてGW明けには、山の緑も勢いを増し、もう初夏の装いが始まるのだ。

この短い春。無論、春休みもとても短く、あっという間に過ぎていく。

そんな短いモラトリアムの時期。少年には大きな出会いがあった。この出会いが少年の人生の何事かに大きく影響を及ぼしていくことになるのだが、この時はまだ、誰も知る由がない。

田舎町の学生生活は、基本的に幼稚園・保育園から、ベースとなる構成メンバーは変わらない。小→中→高と上がっていくにつれて、ちょっと遠くの近所→隣の地域→隣の町と追加加入メンバーが増えていくだけなのだ。

つまり、出会いはあるが、大きな悲しみに暮れる別れは、さほどないのが実情だった。(親の転勤などで一部、転校する友人がいたが、一部にとどまっていた)

となると、その別れの郷愁に浸る必要もなく、少年は、次のステップまでにぽっかり空いた日を、いつも通りの日常生活で送るのだった。

そんなある日。父からの一言。「函館へ行くべ。」

この一言こそ、天啓だったと言わざるを得ない。

少年は当時、音楽を聞きはじめていた。5年生の夏ごろ、父がおもむろにCDラジカセを買ってきたのが始まりだった。ラジカセはあるが、CDがない!ということで、父と少年は田舎のレコード屋に向かう。そこで買ったCDは、黒歴史に近いが、初めて買ったCDである。

黒歴史は置いていて、2枚目、3枚目は大きくジャンプアップし、たしか、ハウンドドッグの「GOLD」、米米クラブの「GO FUNK」、TMネットワークの「CAROL」と続く。そんなバンドやグループに関心があったのだ。(渡辺美里「ribbon」、シングルのプリプリ「ダイアモンド」、中村あゆみ「ともだち」、、なども)

そして、少年は、音楽を聴くという行為に、自分の思いを重ねていくことになるのだった。

さて、函館の件。

当時、ボーニの横に、北斗電機という電気屋があった。いわゆる電化製品を扱っていたが、PC98のゲームや、CDなども売っているフロアがあった。

お年玉を握りしめながら、少年はフロアに向かう。その額からすれば、2枚購入可能だった。2枚だ。モラトリアムの時期。来る中学に向けてのはなむけとなる2枚を選ばねばならない。と鼻息を荒くしていた気がする。

そこで出会ったCDがその後の流れを変えたように思う。大げさではなく、人生の流れが変わったかもしれない。

その2枚とは、
THE BLUE HEARTSの「Train Train」
BOØWYの「Singles」

BOØWYの「Singles」

BOØWYの音楽的な本質はこのシングル集に入っている中では「Bad Feeling」や「わがままジュリエット」「Cloudy Heart」が近いのだが、それはあとから気が付いた話。少年は聞いたことのある「Marionette」に心を奪われ、「No,New York」「Only You」「B.Blue」「Working Man」のわかりやすいポップさの虜になっていた。

初体験にして、一気に小学校6年生の少年を虜にしてしまったのだ。これはすごい。今の時代とは違い、インターネットもないし、1989年当時はCD付きラジカセすら一家に一台ではなかったし、TV番組も限られていた。ほぼ情報は口コミが主流だった時代の出来事なのだ。

それほど彼らの楽曲には魅力があったということなのだ。おそらくこれには、氷室京介の声の質があるように感じる。聞いていて心地よい、柔らかな声。

BOØWYは、カッコよさとは何かを考え続けていた思春期に差し掛かった少年のバイブルのようなものだった。この声にあこがれ、このよくわからない英語が混じった歌詞の世界にあこがれた。なにがビーブルーなのかもわからないし、なぜ、ニューヨークがNOなのかもわからない。泣き顔でスマイルだからわがままなジュリエットなのか?とかそのくらいしかわからない。けれども、思春期の始発駅にたたずむ少年がこれからの数年で体験しいくカッコよさも、彼らみたいにカッコ良くなれないというカッコ悪さもすべてこのアルバムに詰まっていたような気がする。


そして、もう1枚。

THE BLUE HEARTSの「Train Train」

楽曲はポップというよりもストレートでスカスカ。歌詞は日本語中心でわかりやすい日常会話の延長のようなもの。。そんなアルバムがTHE BLUE HEARTSの「Train Train」だった。

このアルバムからは、楽曲の多様性、歌詞の向こうに見える現実世界を垣間見たような気がする。アパルトヘイトもそうだし、誰かを好きになった時の純粋な気持ちもそうだし。

ブルーハーツは、少年がこれからの数年間で経験していくことをすべて先取りしていたのだと思う。故に、思春期の始発駅でこのアルバムと出会えたことで、その後の人生に出現する様々な凹凸を切り抜ける心の強さを得たと感じるのだ。


音楽的嗜好性の確立

この2枚と出会ったことで、自分の音楽に対する嗜好が確定した。それは、何らかの形で聞き手のマインドに訴えかけて、勇気づけてくれる音楽だ。

その内容は、愛にあふれていることが必須。

それは、カッコ良さも、カッコ悪さも、誠実さも百分の1でも届けたい誰かへの思いも、それがその音に詰まっていることだ。

詰め込まれた思いは、CDなどを媒介としたとしても、聞き手には伝わってくる。思春期のある種特別な、大型吸収期間ならば、なおさらのこと。

僕は、この2枚から多くのことを学んだ。そしてこの2枚の先に、ジャンルは違えど多くのアーチストが待ち受けていた。

同じように、愛を伝えるアーチストが。

今でもこの2枚は、音楽好きな僕のベースを支えるアルバムとして、大切なポジションを占めている。

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