Hiroshi Hizawa

9年間のマレーシア生活を終えて久しぶりに日本帰国。座右の銘は「人生面白いか面白くないか…

Hiroshi Hizawa

9年間のマレーシア生活を終えて久しぶりに日本帰国。座右の銘は「人生面白いか面白くないかのどっちか」。好きなものは競馬、日本酒、ロックンロール。

最近の記事

「慣れる」ということ

2023年は僕にとって人生で忘れることの出来ない年である。9年間住んでいたマレーシアのイポーを離れて日本に帰国した年だ。 11月1日に帰国したので、そろそろ2ヶ月が経とうとしているが、自分でもびっくりするほどの「逆ホームシック」に悩まされた。 マレーシアに住んでいたときは狂おしいほどに食べたかった日本の美味しい焼肉やラーメン、お蕎麦やお寿司なんかを片っ端から食べたんだけれど、それでもマレーシアに帰りたいという「逆ホームシック」は酷くなる一方だった。 僕はラッキーなことにいま

    • 9年間のマレーシア生活が終わりました

      2023年の10月末で、9年間生活をしていたマレーシアから帰国することになりました。日本企業のマレーシア子会社に赴任という形で生活をしていましたが、普通の海外赴任としては9年間は長いほうだと思います。 いま日本に帰ってきて約1ヶ月が経とうとしていますが、これまでの心の動きを書き留めておこうと思います。 マレーシアを離れる2ヶ月ぐらい前から、たくさんの友人や取引業者、役所の人たちなんかがお別れ会を開いてくれて、帰国直前は体力的に厳しい感じもありましたが、これでしばらくは会え

      • こりゃモテねーな。

        僕はいまマレーシアのイポーというところに住んでいて、滞在歴はもう9年目になる。日本の企業から海外赴任していて、いわゆる現地子会社の社長という立場だ。 マレーシアの子会社には現在6名の日本人が駐在していて、そのうち3名は現地固定(日本に帰る予定がない)で、残りの3名が将来を見据えて海外を経験させようという2名の若手と僕で構成されている。 いわゆるZ世代とかいう言い方をされている若者たちはどういうマインドなのかみたいな話を目にすることもあるけれど、僕が若かった頃だって「新人類

        • あれから2年が経った。

          今日3月18日は、忘れもしない、ちょうど2年前マレーシア全土で厳しい移動制限令(ロックダウン)が発令された日だ。 僕はいまマレーシアのイポーというところに住んでいて、滞在歴は7年半ほどになるが、当時のことはもう思い出したくもない。 最近になって知ったが、マレーシアのロックダウンというのは世界的に見ても最も厳しいレベルだったそうで、外出は基本的にひとりだけ、食材などの生活に関わる物品の購入のみが許され、出社はもちろん、登校も散歩も家の周りを歩き回ることすら禁じられた。 警察

        「慣れる」ということ

          僕とテレビジョン

          僕はもう何年もちゃんとテレビを見ていない。 「ちゃんと」というのは、テレビを全く見ていないというわけではないんだけれど、毎週楽しみにドラマを見るとか年末のダウンタウンの番組に釘付けになるとかそういうことを積極的にやっていなかったという意味で、生活の中にテレビがあっても、自分があんまり興味がないだけで、最近のテレビはつまらないとか番組の質がどうのこうのと言いたいわけでは全然ないし、僕はテレビを見るよりは酒を飲んで音楽を聞いたり本を読んだりするほうが好きなんだよ、というだけだっ

          僕とテレビジョン

          あっという間に過ぎ去った2021年

          「歳をとると1年経つのが早く感じる」というのはよく聞く話で、実際自分でもそういう感覚はあるんだけれど、そういうこと差っ引いても、2021年はホントにあっという間に過ぎ去ってしまった。 このままでは2021年は空白の年になってしまうような気がして、なんでこんなことになったのかを書き留めておきたいと思う。 まず、僕がマレーシアに住んでいるということがすごく大きく影響している。この国には四季がないので、一年中昼間は30度を超える。 「今年の桜は咲くのが早かったね」とか「江ノ島

          あっという間に過ぎ去った2021年

          いろいろどうでもよくなってきた。いい意味で。

          僕はいまマレーシアのイポーというところに住んでいて、滞在歴は8年目になる。日本に本社がある会社からマレーシアの工場に赴任しているという立場だ。 この2年ぐらいは世界がこんな感じなので、日本への一時帰国がままならず、人生で初めて2年以上日本に帰らない生活をしている。 いわゆる会社員が世界のどこに赴任していたとしても、恐らく2年以上日本に帰らないというのはそうそうないことなんじゃないかと思う。 現時点では緩和の方向に進んでいるとは言え、現在のルールでは日本に一時帰国しようと

          いろいろどうでもよくなってきた。いい意味で。

          【わ】 忘れるという能力

          すごく若い頃、恐らく中学生か高校生のときになにかで読んだことがずっと心に残っている。 「忘れる」という能力は人間にのみ備わっているもので、地球上の人間以外の動物たちはこの能力を持っていない。例えばインパラがライオンに襲われそうになったときの記憶は、その場所だったり時間帯だったりを次回から避けなければいけないという記憶として残るだけで、彼らにとって記憶するという能力は、生き延びるという目的に直結している。忘れる=死に近づいてしまうので、そもそも忘れるという能力を持っていない。

          【わ】 忘れるという能力

          【ろ】 ロックンロールが教えてくれた

          僕は1969年生まれで、現在生きている人類の中で唯一ロックな年号に生まれている。 ロックとの最初の出会いは、ビートルズとエルヴィス・プレスリーだった。 ビートルズは1962年にデビューして1972年に解散しているし、プレスリーはもっと前だから年代的に合わないことになるが、親父が音楽好きで家でよくレコードを流していたから、小学校のときにはこの2大アーティストの有名な曲はほとんど知っていた記憶がある。 僕が10代だった1980年代は、今から考えると信じられないような素晴らし

          【ろ】 ロックンロールが教えてくれた

          【れ】 令和の新入社員

          僕はいまマレーシアのイポーというところに住んでいて、滞在歴はもうすぐ7年になる。日本に本社がある製造メーカーのマレーシア工場の責任者という立場で赴任している。 世界がこんなふうになる前は、年に1~2回程度一時帰国をしていて、会社にも顔を出していたが、ここ2年ぐらいは日本に帰国できずにいる。 こんなに長期間日本に帰っていないと自分でも予期しなかったような変化が起こるもので、なんとなく日本に帰るのが面倒くさいとすら思うときがある。いまのルールで一時帰国をしようと思ったら、日本

          【れ】 令和の新入社員

          【る】 涙腺スイッチ

          僕はいまマレーシアのイポーというところに住んでいて、滞在歴はもうすぐ7年になる。 日系企業のマレーシア工場に赴任しているという立場で、45歳のときに赴任してきて今年で52歳になった。 マレーシアは日本から移住したい国14年連続ナンバーワンで、リタイアしたあとの生活をマレーシアで過ごしている人がとても多い。ハワイなんかと比べると移住の条件が比較的低くて、MM2H(Malaysia My 2nd Home)というリタイアした方々に向けた10年ビザもあったりする。 そういう方

          【る】 涙腺スイッチ

          【り】 理科と算数

          ここ何年かで甥っ子たちが大学に入学している。彼らに話を聞いてみると、大学への入学試験制度も僕の時代とはずいぶん違って、驚かされる。 僕は今年で52歳になっていて、子供がいないからいまの教育がどのようになっているのかがよくわからないまま年をとってしまったけれど、恐らく相当に違っているんだと思う。 いまはマレーシアのイポーというところに住んでいて、日常会話は英語で過ごしているので、英語を小学校から教えているというニュースにはびっくりした。すごくいいことなんじゃないかと思う。ぜ

          【り】 理科と算数

          【ら】 ラーメン食べたい

          1984年にリリースされた作詞作曲矢野顕子の名曲「ラーメンたべたい」。 オリジナルよりもこの弾き語りバージョンのほうが好きだ。 違う。矢野顕子は大好きだけれど、彼女の才能の素晴らしさや数々の名曲を紹介したいわけではない。 僕は本気でラーメンが食べたいのだ。 僕はいまマレーシアのイポーというところに住んでいて、滞在歴は6年半ぐらいになる。 日本の会社のマレーシア子会社に赴任しているのだけれど、いまは世界がこんな感じなので、だいたい2年ぐらい日本に帰っていない。 世界がこ

          【ら】 ラーメン食べたい

          【よ】 良かれと思ってやったこと。

          僕はいまマレーシアのイポーというところに住んでいて、滞在歴は6年半になる。 日系企業のマレーシア子会社に赴任しているという立場で、こういう人はたくさんいると思うけれど、6年半もいると、日本にいたときの感覚というかそういうものをどんどん忘れていくことになる。 これはたぶん長期海外赴任者あるあるだとは思うけれど、最近それが顕著になっている気がする。 さらにいま世界がこんな感じなので、2年ぐらい日本に帰っていないから尚更だ。 言葉なんかはその最たるもので、普段の生活では日本語に

          【よ】 良かれと思ってやったこと。

          【ゆ】 優柔不断シチュエーション

          優柔不断を日本国語大辞典で調べると「ぐずぐずして物事の決断が鈍いこと。また、そのさま。」と書いてある。 僕はこの「優柔不断シチュエーション」が大嫌いである。 例えば、忘年会などの二次会にカラオケがセッティングされているとして、「人数確認しますので、二次会に参加する方は手を上げてくださーい!」みたいな状況で「どうする?行く?」「ん~どうしよっかなー。」「〇〇君は行くの?」「えー、△△ちゃんはどうするの?」みたいな会話が続いて10分ぐらい店の外でぐだぐだしているこの時間、これ

          【ゆ】 優柔不断シチュエーション

          【や】 辞め時

          夏休みのある日、誰もいない第一小学校の視聴覚室で、ある会議が行われていた。 メンバーは第一小学校の生徒会長の森本くんと男子メンバー3人、第二小学校の生徒会長の大谷さんと女子メンバー3人の計8名である。 今年の秋の運動会は史上初の第一第二小学校合同開催で行われることが決定され、競技ごとの開催場所や運営資金の配分など、お互いの学校間での様々な調整が必要で、それぞれの小学校から代表者が選ばれ、秋の大運動会開催運営委員会が結成されて、その第一回目の会議である。 森本くんは、昨年

          【や】 辞め時