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【よ】 良かれと思ってやったこと。

僕はいまマレーシアのイポーというところに住んでいて、滞在歴は6年半になる。

日系企業のマレーシア子会社に赴任しているという立場で、こういう人はたくさんいると思うけれど、6年半もいると、日本にいたときの感覚というかそういうものをどんどん忘れていくことになる。
これはたぶん長期海外赴任者あるあるだとは思うけれど、最近それが顕著になっている気がする。
さらにいま世界がこんな感じなので、2年ぐらい日本に帰っていないから尚更だ。

言葉なんかはその最たるもので、普段の生活では日本語に接していない時間の方が長いから、じわじわと日本語を忘れていく。
「憚る」とか「労る」とか、普段はあんまり使わないけれど読めるというカテゴリーの漢字たちは徐々に頭の中から消え去ってしまうし、日本語で文字を書くということが極端に減るから、文章力が落ちる。
僕がこのnoteを始めたのも、錆びついてしまった日本語の文章力を少しでも取り戻すことが目的のひとつでもある。

味覚もそうだ。マレーシアでも日本食屋はあるし、自分で料理もするので日本食の味を忘れてしまうわけではないけれど、美味しいと感じるレベルが下がっていくという感覚がある。
「○○食堂の鯖の味噌煮が美味しい」って思うのは、いろんな鯖の味噌煮を食べているからであって、比較対象があるということだ。
こっちにいると鯖の味噌煮は自分で作るか、僕が住んでいるイポーに一軒だけ鯖の味噌煮を出すレストランがあるのでそこで食べるかの二択しかない。僕は自分で作る方が美味しいと感じるので、たまに作るのだけれど、味をどこに寄せればいいのかがわからなくなっている。もっと甘くすればいいのか、味噌を強くすればいいのか、味のゴールが曖昧になっている感じだ。鯖もノルウェー産の冷凍ものを使うしかないので、そもそもの魚の味にも差があるはずで、鯖の味噌煮の味を忘れるということではなくて、新鮮な鯖を使った味噌煮の味を忘れてしまっているという感覚だ。

人間の脳には必ず許容量があって、忘れた日本語の代わりに英語やマレー語が入ってきているし、日本食の味を忘れた代わりに本格中華やインド料理の味を覚えているので、あながち悪いことばかりではないんだけれど。

こんなふうに、長いこと日本を離れていると自分に起こるいろいろな変化を自覚するようになる。最近自分で気づいたのは、良かれと思って他人になにかをするときに、躊躇をしなくなったことだ。

「自分の言動や行動に対して、相手がどう思うか」ということに対して、あまり深く考えなくなったということでもある。

マレーシアでの生活は英語がほとんどで、日本にいたときのような細やかに相手を気遣うような英語力をそもそも持っていないというのもあるし、そういう表現自体が、日本語に比べると圧倒的に少ない。あんまり喋れないけど、マレー語にもほとんどないんじゃないだろうか。

例えば空港の出入国管理で、たくさん人が並んでいたとしても、係員の食事の時間になったら平気で閉めちゃうし、コンビニやスーパーの店員なんかも無愛想な人はたくさんいるし、忙しいときなんかは長蛇の列が出来ても全然対応してくれなかったりする。

知らないやつから「タバコくれよ」って言われることも普通にあるし、中国語がほとんどわからない僕に対して、ずーっと広東語で話しかけてくる屋台のおばちゃんなんかもたくさんいる。

逆に知り合いになってある程度親しくなるとこれがぜんぜん違う。僕が外人だということもあるかもしれないけれど、しばらく会わなかったりするとすぐ連絡してくるし、具合が悪くて寝てるなんてことが知れたら、すぐに食べ物がたくさん届けられたりする。家内がお腹を壊したときに、ヤクルトが一ヶ月分ぐらい届いたこともある。
腹痛で病院に行くと、医者からも「ヤクルト飲みなさい」って言われるんです、イポーって。

街で知り合いを見かけたらだいたい声をかけてくる。1回しか会ったことのない人でもあんまり関係ない。そうやって人間関係が築かれている感じだ。

知り合いと酒を飲んでいたとしても、知り合いの知り合いやその家族が集まってくることは普通のことだし、その知り合いの知り合いの知り合いのグループが合流して大人数になることもよくある。

もし僕が日本にいたら、知らない人にいきなりタバコくださいって言うのはすごくハードルが高いし、ヤクルトがあんまり好きじゃなかったらどうしよう?って思うし、お口にあうかどうか分からない食べ物をお届けするのもちょっと腰が引けるし、あんまり親しくない人に街で会っても、お互いになんとなく目を背けたりするんじゃないだろうか。

もちろん人間はひとりひとり違うので、イポーの人たちが全員こうだというわけではなくて、シャイな人もいるし、ヤクルトが嫌いな人もいるだろうけれど、僕が親しくしている人たちはだいたいこんな感じだ。

こういう感じは、僕はすごく好きだ。

マレーシアのイポーに長く住んでいるから慣れたということなのかなとも思ったけれど、それもなんとなく違うような気がする。

ここまで書いてきてふと気づいたんだけど、僕が子供だった40年ぐらい前の日本は、もしかしたらこういう感じに近かったのかもしれない。

人と人との距離が近いということを、無意識に嬉しいと感じている自分がいるからだ。

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