あれから2年が経った。
今日3月18日は、忘れもしない、ちょうど2年前マレーシア全土で厳しい移動制限令(ロックダウン)が発令された日だ。
僕はいまマレーシアのイポーというところに住んでいて、滞在歴は7年半ほどになるが、当時のことはもう思い出したくもない。
最近になって知ったが、マレーシアのロックダウンというのは世界的に見ても最も厳しいレベルだったそうで、外出は基本的にひとりだけ、食材などの生活に関わる物品の購入のみが許され、出社はもちろん、登校も散歩も家の周りを歩き回ることすら禁じられた。
警察と軍隊による検問が道路のいたる所で行われ、半径10km以上の移動も禁じられた。検問ではパスポートなどの個人を証明するものの他に、所在地を示すなんらかの証明(電気代の請求書など)の提示が求められ、軍隊は銃を持っていた。
これに違反すると、罰金や禁固刑などが命じられるので、マレー語をあんまり話せない僕にとっては、状況を説明したり、なんとか許してくれよっていう交渉をするのも難しかった。
マスクをしていないだけで課される罰金は、日本円で3万円弱だった。
最初は2週間程度のロックダウンという話だったので、まあなんとかなるかと思っていたが、この厳しいロックダウンは1ヶ月続いた。
僕は幸運にも精神的に病んでしまって休まなければならないという経験をしてこなかったけれど、人生で初めて、このままではメンタルがやられると感じた。明らかにおかしくなりそうだった。
そのあと現在までにホントにいろいろなことがあった。
感染状況によって猫の目のように変わるルールに翻弄され続けてきた。
僕はマレーシアの現地子会社の社長という立場で赴任しているので、従業員の出社制限だったり、業種別に段階的に許可される操業認可だったり、ワクチン接種のルールや従業員への推進だったりなどの仕事上の問題や、何がどこで買えるかだったり、移動が許可されるエリアや同行人数だったり、ゴルフなどの運動がいつから許可になるのかという個人の生活に関わる問題など、そういうことが全て感染状況によって変化し、先週まで可能だったことがその日からまた禁じられたりを繰り返してきた。
マレーシアなので、これらの情報は全て日本語で知らされるわけではない。僕はマレー語があんまり聞けないし読めないので、マレー語で発表された内容を英訳した文書を読んで理解しなければならない。
このことがどういうことを意味するかと言うと、近隣の日系企業と情報を共有しようと思っても、情報が食い違うということだ。
どういうことかを説明したい。
会社のスタッフが政府の発令を調査して報告してきたとする。
うちの会社の場合は、Aというスタッフが細かく調べて、ローカルのトップBに報告して、Bがそれを僕に報告してくるというスタイルだったが、Aは英語が堪能だが日本語が話せない、Bは日本語をある程度話すが、彼から日本語で報告される内容は僕には70%~80%ぐらいしかわからない。Bは英語があんまり得意ではないから僕との英語の会話も同じように70~80%ぐらいの理解になってしまう。
僕とAが英語でやり取りする場合は、ほぼ100%理解する事ができるので、僕はこのふたりから情報を聞き取って正解を探らなければならない。
こういうのは会社によってまちまちで、現地の日本人のマレー語力や英語力、日本語で会話が出来るローカルスタッフがいるのかどうか、それぞれの人のそれぞれの言葉に対する語学力になどよって解釈に違いが出てしまうことになる。
当然日本語でのニュースも配信されているが、これとも食い違うことが多々あった。
これがホントに大変だった。このおかげで近隣の日系企業との絆はずいぶん深まったけど。
読んでくださっている方にとっては「こんなに大変だったんだ」という話を延々と書かれても面白くもなんともないのはわかっているけれど、3月18日は特別な日として今後の僕の人生に位置づけられるような気がしたので、文章にしてみました。
日本政府は「3回のワクチン接種を終えている人に関しては、入国後の隔離を免除する」と発表し、マレーシア政府は「2回のワクチン接種を終えていれば、4月1日から観光客も含めて入国を許可し、隔離も免除する」と発表しました。
やっと日本に一時帰国ができそうな雰囲気になってきた。
二年半ぶりの日本、最初に食べたいのは今のところ「鰻」だ。
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