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「慣れる」ということ

2023年は僕にとって人生で忘れることの出来ない年である。9年間住んでいたマレーシアのイポーを離れて日本に帰国した年だ。

11月1日に帰国したので、そろそろ2ヶ月が経とうとしているが、自分でもびっくりするほどの「逆ホームシック」に悩まされた。
マレーシアに住んでいたときは狂おしいほどに食べたかった日本の美味しい焼肉やラーメン、お蕎麦やお寿司なんかを片っ端から食べたんだけれど、それでもマレーシアに帰りたいという「逆ホームシック」は酷くなる一方だった。
僕はラッキーなことにいままで精神的に追い詰められて病んでしまうという経験がないまま54歳まで生きてきた。もしかしたら少しはあったかもしれないけど、忘れちゃってるので、まあ大した悩みでもなかったんだと思う。
でも、今回ばっかりはハッキリとメンタルがやられた。
もう会社もやめてこれからの生活なんかも顧みないでマレーシアに戻らないとこの気持ちは収まらないんじゃないかと本気で思ったりした。

今、帰国から2ヶ月経ってみてこんな気持ちになった理由が少しずつわかってきたように思う。

まずはマレーシアから離れるときに数多くの会社のスタッフや友人たちにお別れ会を開いてもらったり記念品をたくさんいただいたり旅行をしたりしたので、彼らの笑顔や僕に送ってくれた言葉が頭にこびりついて離れなかったことが大きかった。外国人だった僕にとって、彼らからの手助けやお世話は忘れることは出来ないし、帰国後しばらくの間、彼らの顔を思い出さない日はなかった。

次に職場が全く変わってしまったこと、今までとは違う仕事をすることになったことで、完全にリズムが狂った。マレーシアと違って日本語が通じるし、コミュニケーション上の問題は激減すると思っていたけど、職場環境が全く変わってしまったので、なんだかんだやることがたくさんあったマレーシアとは違って、比較的自由な時間が多くなった。これが逆に災いした気がする。

次に常夏のマレーシアから、冬に向けて帰ってきたことだ。これは意外に大きかった気がしている。日本の冬を経験するのは実に9年ぶりである。着る服も不足しているし、何度ぐらいがどれぐらい寒いのかと言う感覚が完全に欠如しているので、毎日ただただ寒い。寒いだけでストレスになるような気がして、寒さのレベルを判断できないという感じだ。

最後に引っ越しだ。以前日本で住んでいたマンションは賃貸に出してしまっているので、新たに部屋を借りる必要があった。帰国当初はホントに何もなかった。電気や水道、ガスは引っ越し当日に手配されたが、電灯(ライト)もガス代もなにもない。カーテンもないし布団もない。冷蔵庫や洗濯機、ソファーやテーブルなども購入してから届くまで1週間ぐらいはかかったので、簡易テーブルでスーパーの弁当を毎日食べるような生活が続いた。また、マレーシアから船便で送った荷物は届くまで2ヶ月かかった。当面必要なものは飛行機で送って2週間ぐらいで到着していたが、食器などが揃わない生活が先週まで続いていた。

こんなことがいっぺんに重なってしまって、精神的に不安定になって、眠れなくなったりして体調がものすごく悪くなった。まさに「病は気から」。

しかし徐々に時間が経つにつれて、「慣れて」きた。人間って素晴らしい。

この「慣れ」は日本からマレーシアに行ったときに「慣れて」いった感じとは全くの別もので、人生で初めての感覚でもあった。

日本から初めて海外に出て行って「慣れる」ためには、自分から動かないと絶対にダメだ。どこに行ったら欲しい物が買えるのか、どこに行ったら美味しいものが食べられるのか、どうしたら早く現地の人たちとコミュニケーションを取れるのか。新しく経験したことがそのまま「慣れ」に直結するので、挑戦しないと「慣れて」いかない。

それに対して、今回の「慣れる」という感覚は「過去を忘れる」ということではなくて、「受け入れる」だったり「なんとなく解決していく」という感覚に近い。自分からなんとかしようとしてもどうにもならず、時間が必要だったんだということなんだと思う。

マレーシアにいる仲間と毎日会いたいと思ったところでそりゃ無理な話だし、海外から帰ってきたんだから仕事が変わるのは当たり前だし、気温も10度を境にどういう感じなのかもわかってきたしダウンジャケットも手に入れたから大丈夫だしそもそも日本にいて冬を避けることなんて出来るわけがない。

こういうことに気づいていくのにホントに時間がかかった。(まだちょっとかかってるけど)
荷物が届いたばっかりで家は段ボールだらけだけれど、徐々に生活に必要なものは揃ってきていて、料理なんかも出来るようになってきた。日本の食材はものすごく美味しい。

今はまだマレーシアの気候と笑顔が絶えない国民性や友達を忘れ去ることが出来ずに、日本の好きではない部分が気になってばかりいるんだと思うけれど、これからまた徐々に時間が経てば「慣れて」いくんだろう。

恐らく人生はこういうことの繰り返しなんだ、ということが54歳になってやっとわかってきたんだと思う。残された人生で、自分で環境を変えようと決断するときに、別れがあったり挑戦があったり戸惑いがあったりする中で、どういう気持ちになるのかがわかっただけでも、良かったのかな。
※写真はもう食べたくなってるイポーのカレー麺。


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