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【り】 理科と算数

ここ何年かで甥っ子たちが大学に入学している。彼らに話を聞いてみると、大学への入学試験制度も僕の時代とはずいぶん違って、驚かされる。

僕は今年で52歳になっていて、子供がいないからいまの教育がどのようになっているのかがよくわからないまま年をとってしまったけれど、恐らく相当に違っているんだと思う。

いまはマレーシアのイポーというところに住んでいて、日常会話は英語で過ごしているので、英語を小学校から教えているというニュースにはびっくりした。すごくいいことなんじゃないかと思う。ぜひ僕の時代のように、試験に合格するための丸暗記英語を、英語が話せない教師から教えてもらうようなシステムになっていないことを願いたい。

僕の時代はベビーブームのちょっと前という感じで、毎年毎年生徒数が増えて、有名大学はどんどん競争率が上がって難しくなっていった感じだった。

塾通いは(ちゃんと勉強するかどうかは別にして)普通のことだったし、全国試験の結果や偏差値で学力を数字で均一に計られて振り分けられるような時代だった。
僕も大学に入ってからしばらく塾の講師をやっていたからよくわかるんだけれど、丸暗記が主体の、試験の当日さえ記憶していれば、そのあとにさっぱり忘れちゃっても人生に何の影響もないような勉強がたくさんあったように思う。

なぜだかいまでもよくわからないけれど、僕は中学生を卒業したあたりから、これをやってもあんまり意味がないなと思う科目に対しては、全く興味が持てなかった。

英語や国語は意味があるという感覚が持てたのでまあいいとして、日本史や世界史が全く理解できなかった。
「鎌倉幕府が開かれたのは何年?」みたいな、過去に起こったことの年号をたくさん暗記しなければいけないのかが全く理解できなかったし、今でもよくわからない。過去にどういう事があって、その事件がその後の世界にどのような影響を及ぼしたのかという学問には興味があるが、クイズ王でもあるまいし、何で年号を丸暗記しなきゃいけなかったのかがいまでもわからないままだ。

それほど嫌いでなかった算数は、高校生になると数学と名前を変えた。更に数学Ⅰとか数学Ⅱとかに分類され、微分とか積分とかが出てきた段階で、何でこんな学問が将来必要になるのかわからなくなってきて、そうなったら本当に何がなんだかわからなくなった。X関数ぐらいまで理解していればなんとかなると思っていたし、今の僕の生活にはエクセルもあるからなんの支障もない。

実験なんかも楽しかった理科も、物理や科学と名前を変え、サインとかコサインとかそういう感じになっていって、空に雲が出来る理由とか、酸性かアルカリ性かによって試験紙の色が変わるという面白さからは遠ざかってしまって、定数とか質量とかを表す式などを示されても、そもそも数学で躓いているので理解の範囲を遥かに超えていった。

こんな感じだったので、文系という選択肢しかなかったし、高校生の頃は女の子にモテることと、どうやったらもっとギターが上手くなるかということにしか興味がなかったので、当然浪人をして、一年間頭を切り替えて勉強することだけに徹して、社会は政治経済を選択してなんとか大学に滑り込んだ。大学時代もサボりすぎて4年生のときにフル単位を残して焦ったけれど、なんとか卒業した。

社会人になってからも、20代の頃はマーケティングに関する文献を読み漁ったりしてたくさん勉強したけれど、それは自分の給料に跳ね返ってくる勉強なので嫌ではなかったし、勉強自体も面白かった。今まで転職もしていないけれど、日本での仕事を通じて出会った人たちは、僕の人生の宝物のような存在だ。

この7年ぐらいはマレーシアに赴任をして、日本にいただけではわからないこともたくさん経験したし、友達もたくさん出来た。英語力も手に入れたし、南国リゾートにも詳しくなった。マレーシアに来てから始めたゴルフもちょっとだけ上手くなった。

こんな感じで長いこと生きているけれど、好きなお酒は毎晩飲んでるし、いまのところ健康で、お金にもそれほど困っていない。

僕は学生の頃に数学と物理化学が無理だったけれど、社会に出たら「どうしても嫌」とか「どうしても無理」ということは多分にして、他人と比較して嫉妬していたり、自分はそんな器じゃないという横柄さがあったり、自己犠牲を伴うのは割に合わないという社会性の欠如などが原因だったりするので、そういうのを無くすと、意外とこういう機会はあまりない。

それでもどうしても筋違いな場面に遭遇してしまったら、ハッキリと伝えるなり断るなりして、全力で逃げることをおすすめします。

都内のタワーマンションに住みたいとか、政治家に転身して日本を変える!とかそういう野望もないから、筋を曲げてまで生きる必要はないし、まあ日々楽しく暮らせればいいかなと思っているので、この程度の人生であれば「これは嫌だ」とか「これは無理」ということは全力で避けて人生を歩んだ方が絶対に健康だと思うわけです。

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