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【わ】 忘れるという能力

すごく若い頃、恐らく中学生か高校生のときになにかで読んだことがずっと心に残っている。

「忘れる」という能力は人間にのみ備わっているもので、地球上の人間以外の動物たちはこの能力を持っていない。例えばインパラがライオンに襲われそうになったときの記憶は、その場所だったり時間帯だったりを次回から避けなければいけないという記憶として残るだけで、彼らにとって記憶するという能力は、生き延びるという目的に直結している。忘れる=死に近づいてしまうので、そもそも忘れるという能力を持っていない。

対して人間の記憶力はものすごく優秀で、美味しかったものも不味かったものも両方覚えているし、転んで怪我をした記憶も、50メートル泳げるようになった記憶も同時に残っている。

不味いものを食べたり転んで怪我をしたりという記憶は、本来動物としては生死に直結していないといけないはずが、現代の人間にとっては必ずしもそうではない。不味いというのは本来「食べられるものか、食べられないものか」という価値基準で味覚が判断することで、目玉焼きはソース派か醤油派か、という話ではなかった。

この「生死に直結していない」というのが実はやっかいで、例えば酷いフラれ方をしたとか悪口を言われたとか周りから無視されたとかそういう負の記憶がずっと消えない状態が続くと、人間は心が病んで死んでしまう。

しかし人間の凄さはここからで、普段の生活が生きるか死ぬかという状態ではなくなった現代人は「忘れる」という特殊な能力を手に入れて、精神を安定させて日常生活を送っているのである。

ずいぶん前に読んだもので、誰が書いてどこで読んだかも忘れてしまったので、内容がどこまで正確なのかにはあんまり自信がないが、若干の脚色はあるものの、だいたいこんな感じのことが書いてあった。

簡単に言うと「嫌な記憶は忘れてしまえばいい。人間にはその能力が特別に備わっているのだから。」というようなことだ。

若いながらもこんな感じの言葉に納得したのだから、青春時代ならではの何らかの悩みを持っていたんだと思うけれど、それ以来の人生はこの「忘れる」という能力をフル稼働して52歳になった今まで生きてきている。

「忘れる」というよりも「気にしない記憶に変換する」という方が正しいかもしれない。今更どうでもいいこととして片付けてしまうということだ。

50年以上生きてきて悩んだこともいくつかあるけれど、大体が今となってはどうでもいいことである。

いちばん大事なのは、負の記憶を継続させないように環境を変えることだ。

僕は日本人が持っている「逃げる」という言葉に対する感覚を全く変える必要があるのではないかと思っている。

「逃げる」というのは恥ずかしい行為である。逃げてばかりいると我慢ができない大人になってしまう。社会に出たら逃げてばかりはいられない。逃げてしまったら相手に負けたことになってしまう。

こういうのは今まで生きてきた経験上、全て間違いだ。

もう「逃げる」という言葉の他に「戦略的に環境を変える」みたいな単語が生まれて欲しいぐらいだ。

もしアフリカで世界最強のカバが凶悪な顔でこちらを睨みつけていたら、人類の選択肢は「逃げる」しかない。
インパラがライオンに食べられないようにするには、彼らの生息地からできるだけ離れないといけない。
九回裏ワンアウトランナーニ、三塁で阪神が1-0で勝っている場面で絶好調の4番松井秀喜を迎えた場合、歩かせるのは当然の戦略である。

酷いフラれ方をしたら次の相手を探すべきだし、悪口を言われたり無視されたりしたらそういうアホな相手を徹底的に見下してなるべく関わらなくて済むように新しい友達を探すべきである。

職場でうまくいかなかったら、配置転換をお願いするなり転職するなり、環境を変える努力をまずすべきで、上司が変わるまで頭を低くして待つとか、給料にしがみついてできるだけ目立たないように過ごすのはストレスになるし、誰のためにもならない。

環境が変われば、忘れるという特殊能力が発揮されて、過去はどうでもよくなるように人間は出来ているのだ。

僕はいま日本ではなくマレーシアに7年ぐらい住んでいるおかげで、自分が住んでいる町、勤めている会社なんかから飛び出しても、いくらでも世界には居場所があるということがわかった。

このことがわかったのは、人生においてとても貴重な経験だった。

この歳ぐらいになると、自分の中でどうでもいいことにしていた負の記憶を敢えて思い出して、酒を飲むなんてことも出来るようになる。

これはこれで、いいもんですよ。




※マレーシアに赴任したことで「日本語を書く」という能力が著しく錆びついてしまって、それを鍛え直すためにあいうえお順にnoteに投稿してきました。「を」とか「ん」は不可能なので、今回の「わ」をもってあいうえお投稿を終えたいと思います。もしいままでいつも読んでくれた方がいるようでしたら、心から感謝します。ありがとうございました。





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