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壊れかけた関係の修復法~冒険の旅#6


振り返ってみると、私たちの長いお付き合い~結婚生活の間には、何度も危ない時期があった。お互い我が強く、譲らない部分が多くあるせいか、一度議論が白熱すると、意見がぶつかって止まなかった。


いつもなら仕事上のルールもあって、相手の言い分を聴こうとする。そうやってこちらの言い分を伝える。けれど時にはそういうルールを敷いていても、それでも逸脱してしまう事例をきょうは紹介したい。

意見がぶつかってしまう根本の原因

意見がぶつかるときというのは、それぞれが信じていることを否定されたと感じるときに生じる。

たとえば、「疲れたときに休む、そのときにひと言あるかないか」「一緒にご飯を食べるかどうか」「外で食べるか家で食べるか」「子どもに勉強させるかどうか」「食べた食器をすぐ片づけるかどうか」。


一見、ささいなことのように思える。ところが根っこに自分の価値観が隠れているので、とくに疲れているときや不満が溜まっているときは、それが爆発する。

あなたが仕事でいろいろと気づかい、疲れているとしよう。21時、家に帰ると先にご飯を作ってくれていた妻が待っていた。自分には妻へ気づかう余裕もなくカバンを置くとソファにへたり込む。なにげにテレビを付けゆっくりとする。

「さきに食べといてもよかったのに」
あなたは気づかうつもりで言う。

「一人で食べてもさびしいからね」
と返される。

「仕事どうだった?」
「うん」
日中気づかいで疲れて説明する余裕はない。

「うまくいった?」
「まぁね」

「そう」

口数少ないものの、用意したおかずは6割かたは食べてくれる。ビールを開け後は残す。

「もういい?」
「うん」

妻は自分が食べ終えると、後片付けをしはじめる。妻は妻で疲れているのでできれば片づけを手伝ってほしいと思う。

けどそれを言うと不機嫌になる気がして言い出せずにいる。

何日かこんな日が続いて妻も妻で不満が溜まり、つい言葉を口にする。

「片づけ、手伝ってよ」

夫ばかりがきつい想いをしてるんじゃない。私だって働いているし、子どもを預けて子どもの面倒を見ているし……。

「わかった。後でね」

夫はテレビで映画を観ている。30分が経ち、いつになったら片づけてくれるんだろう……と妻は思いはじめる。

「はやくしてくれる!? もー」と言ってテレビのヘッドフォンをパっと取る。いつもならもーと返して「わかったよ」で済む話。けどきょうは違った。

「するって言っているでしょ!!! 後で」
「後っていつよ」

「1時間後!」
「それじゃ片づかない!」

「じゃ自分ですりゃいいじゃん。片づけたいのなら」

こうなってしまっては売り言葉に買い言葉。夜まで働き疲れて帰ってきたのにすぐ食器を片づけろと言うほうがおかしいと夫は思っている。

けど妻はずっと待っていてあらためて用意した食事の後片付けくらいは手伝ってくれてもいいのにと不満が溜まる。

じつはこういうささいなボタンのかけ違いが日頃ため込んでいる不満に火を点け、消せないほど大きくなってしまうのだ。

引き金と問題の根っこ

こうしたバトルが生まれるとき、私たちは目の前の問題(食器の片づけをいつするか)だけが問題のように思って延々と議論する。どちらが正しいか、なぜそう言えるのか。理屈を並べ立て、感情も交えて相手にぶつける。

けれども不毛の議論になりがちで、問題は片づかない。

じつは「食器の片づけ」というのは表面的な問題であって、根っこに隠れているのは別の原因がある。

たとえば、
夫:仕事で必要以上に気づかっている。早く帰りたいのに言い出せない。人にいい顔をしがちで人当たりが良く、評判がいい。子育てに協力的、だが自分の自由な時間、遊びを制限していると感じている。

妻:母親と妻と仕事人の3つをやることに疲れている。夫は手伝ってはくれているものの根本的な悩み(やりたいことがやれていない)は解決していない。いつも犠牲を強いられていると感じる。誰も助けてくれない自分でやらなきゃと思っている。


こうした想いが根っこに隠れていると、ふだんは良くてもちょっと状態が悪くなったときに一触即発の状態に陥る。ほんとうは相手のことを大事に思っていてもすべてが悪と感じ、敵に思えてしまうことさえある。

こうした状態に陥ると、まるで戦争ともいえる状態になる。言い合いになり、どちらが正しいかを延々議論する。

とくに男の私は本能からくるのか、父との確執からくるのか「勝ち負けにこだわる」「やみくもに謝らない」性格が出る。


そんなときに妻マダムれいこが大人なのは一歩引いていること。私や子どもがムキになって怒っているときでも一歩引くことがあるのだ。


自分を正当化し、正論を吐き続けているとき、彼女は一歩引いて応えるのだ。「あぁそうね~」「わかった」、と。

すると怒りにかまけていた私は怒りの矛先を外に向けはじめ、結局は消えない想いをどこにも発散できず、結局は自分に返ってくる。

何か忘れ物したり、間違って注文したり、車がぶつかって来そうになったり(←これ引き寄せ)、悪いことが起きて「ハっと」し、いけなかったと自省する。

じつは相手を諭すとき、議論で打ち負かしても決して相手は負けを認めないから、むしろ相手が自分で気づくように導くほうが得策だ。

その点マダムれいこは私より一歩も二歩もそのことに長けていて、お店の店員やホテルのスタッフ、ネットの注文先や身内や友人、取引先の人がムキになって持論を展開してくるときでもさっとかわしていく。

じつはこれが争いを避ける最良の方法であり、離婚回避の秘けつ・真髄ともいえる部分なのだが、この本ではページ数の関係上、またひろく最大公約数的な読者をターゲットとしているため、あまり深くは突っ込んで書いてはいない。

だからか、読者の中には「当たり前のことしか書いておらず、期待ハズレでした」というコメントがある。じつはこれは「当たり前のことをしているようで、じつはきょうお話しした意味が隠されているから」だ。


いわば「隠し味」的にまぶしてある。読者としては離婚問題が出て来たときに「ズバっと解決策を提示してほしい」というものもあるだろう。しかしそれはケースバイケースであまり問題を突き詰めないほうがかえって早く解決することがあるし、問題はそれぞれで違うため、基本的にはヒントを多く散りばめた。

きょうの話もほんとうは何か我慢していることがあって、それが表に出て来てバトルになるケースを紹介した。一方中立的な第三者に相談して、双方の立場を理解して問題をいい方向に解決していく道すじも紹介している。

私たちに相談した結果、離婚訴訟が取り下げられた例や、冷え切った関係が夫婦円満になった例が数多くある。これは私たち自身が苦労してきた経験をもとに、夫の立場、妻の立場の双方からアドバイスするからだろう。

壊れたときが新たな関係を築けるとき

私たちはケンカし、バトルになったり、無視され冷たくされたとき、解決策が浮かばず、途方にくれる。

だが実はこういうときこそ、次への扉を開けていくチャンスでもある。何がそう自分を走らせるのか、問題の根っこにまで振り返り、新たな一歩を踏み出すきっかけにするのだ。

そうすれば目の前の問題はいつの間にか消え、新たな道が見えはじめる。そのときふたりの関係性はより良い段階に入っている。

問題というのは、当事者だけの問題に思うもの。しかし実はさまざま要因が複雑に絡み合って起きるものなのだ。だからどれか一つでもパズルのピースを変えると、かみ合っていた歯車が変わり、流れが良くなり出す。そのとき問題は消えていることがある。


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