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日本の神さまを調べていたら、地球規模になってしまった(諸説あり)

はじめに。
ここに書いた話が、事実であると断言している訳ではありません。

と、言い訳のように、先に断っておく。なぜなら、真実は分からないし、文献を確認した訳でもなく、インターネット上にある情報をまとめただけだから。それでも、なんだかおもしろいなあと思った事を、まとめてみる。だから、これは私の妄想妄言だと思って読んで下さい。


1.日本神話とは

日本神話に登場する神様は、どこか癖が強くて、魅力的。日本の神話や口伝は、いろいろあるけれど、有名なのは「古事記(国内向け)」「日本書記(海外向け)」(以下「記紀」)。この2つは、異なる部分もあるけれど、内容を簡単に説明するならば、こうなる。

国生みと神生み。
そして、国の成り立ち。

イザナギとイザナミが、オノゴロ島(沖縄だと久高島)に降り立ち、淡路島などを生み、天照大神をはじめとする神様たちを生む。そして、天津神であるイワレビコが大和(日本)を平定し、神武天皇となる(諸説あり)。

日本神話は、そんなお話です。

2.歴史は、勝者の歴史

「記紀」は、7世紀後半(673年頃)から編纂がはじまり、8世紀(「古事記(712年)」・「日本書紀(720年)」)に完成した歴史書。その前には、大化の改新(645年)が起きている。

大化の改新で、仏教を推していた蘇我入鹿が暗殺され、その父である蘇我蝦夷(そがのえみし)が自害した「乙巳の変(いっしんのへん)」。蘇我蝦夷は家に火を放ち、宝や朝廷の歴史書を燃やし、命を絶つ。

なんだか、日本の過去の歴史もろとも消されたようにも思える。その後、まとめられた「記紀」は、勝者の歴史。過去の歴史は邪魔だったかもしれないもんね。

大和朝廷の力が及ばない地域(東国)に住む人達を「蝦夷(えみし)」と呼ぶのと、蘇我蝦夷の名前が一緒なのも、何かつながりがあるのかな。

3.神様の名前は、役職名

記紀に記されている神様たち。いろんな名前があって、混乱するけれど、それらは、役職名の可能性があるらしい。不老不死だった訳ではなく、何代にもわたって、継承される役職だと思うと、兄弟が結婚したり、親子になったり、子孫が始祖に会ったりするのも、理解しやすくなる。

4.天津神と国津神

記紀では、高天原の神様を「天津神(あまつかみ)」と呼び、もともと日本列島に住んでいた神様を「国津神(くにつかみ)」と呼ぶ。

それぞれが信仰していた神が違ったと考えると分かりやすい。

出雲を統治していた大物主(オオモノヌシ)は国津神。
国津神を信仰していたのは、蝦夷や隼人とされる。

天照大神(アマテラスオオミカミ)やイワレビコ(神武天皇)は天津神。

天津神は、国津神が治めていた場所(出雲や大和)を譲れと迫る。これって、もともと住んでいた人達(国津神/蝦夷)を、別の場所から来た人達(天津神)が、侵攻したってことだ。

「記紀」では、天照大神の子:瓊瓊杵尊(ニニギ)が、日向(宮崎県高千穂)に降り立ったとされている。沖縄県の伊平屋島から、日向(宮崎県)に渡り、神武天皇を輩出したという説もある。伊平屋島のクマヤ洞窟は、天の岩戸伝説の最南端の地ともいわれており、天津神が住んでいた高天原は、伊平屋島をはじめとする沖縄諸島だった可能性もある。

イワレビコ(神武天皇)が、神武東征の際、熊野から大和(奈良県)へ行った事も、琉球王府が熊野信仰の「琉球八社」を祀る事につながっていたりして。

もし、日本の歴史は、沖縄にルーツがあるとしたら、侵略の歴史かもしれないけれど、沖縄が日本発祥の地としてもっと大切にされたらいいな。

国津神を信仰していた古代大和の人達を、古代出雲族や縄文人などと呼ぶけれど、今回は、東国の人達を総称して「蝦夷(えみし)」と表記する事にします。大和朝廷側が付けた名称の為、やや見下したニュアンスがあるのが嫌ではあるけれど、東国の人達をまとめて呼ぶ名称が無い為、どうぞご了承ください。

5.日高見国と日向国

日高見国(ひたかみのくに)は、蝦夷が住む場所。「記紀」では、大和から見た東方の辺境の地域のこと。

日向国(ひむかのくに)は、天津神が住む場所。日向は、 古代の九州の東南部を指した呼称。のちに日向国(ひゅうがのくに)となり、宮崎県や鹿児島県の一部とされる。

天津神は、日に向かう国。日本に向かう国。
つまり、外から日本に向かう国。そんな風にもとれる。

6.巨石信仰と龍神信仰

古神道では、木や石に神様が宿るという信仰があり、神様を1柱と数える。御神木や、磐座と呼ばれる巨石が御神体となっている場所も多い。それらは、国津神(蝦夷)の信仰に多くみられる。天津神(神武天皇)の統治後は、「記紀」に記された神様(鹿島神宮ならタケミカヅチ)が祀られているけれど、天津神の統治前からある信仰の場には、もともとの信仰(蝦夷の信仰)が残っている。「鹿島神宮」の本殿にある鏡石は、祭祀場所といわれる磐境であった可能性があるし、要石や御神木なども、大切に祀られている。

もちろん、メソポタミアやエジプト、中国や南米などをはじめ、日本以外にも巨石信仰を行っている地域は世界各地にある。自然を崇拝する気持ちは、人類共通なのだろう。

人間が生きる為には、木と水が必要だ。樹木があり、水が湧く場所に、人は住み着いた。砂漠は、気候的要因もあるけれど、人間が土地の許容量を超える樹木の伐採をしたり、農地拡大などによって生み出される事もある。砂漠化は、人災でもあるのだ。

貴重な水源を守る為に、木と水のある場所に神様を祀り、神聖な場所として大切にしたと考えるのは、私のような素人でも想像がつく。茨城県の「鹿島神宮」も「泉神社」も、水の湧く場所に建てられている。沖縄の御嶽もそうだ。神様を大切にする事は、人類が生き延びる為の知恵なのだ。信仰心があってもなくても、自然がなければ、人類は生きられないのは事実だ。

水の神様(水神)は、龍神とされているらしい。しかも、白龍らしい。鹿島神宮で写真に写った白龍さまを思い出して、なんだか、納得してしまった。

鹿島神宮にて

日高見国に住む、蝦夷と呼ばれる人達は、龍神や磐座(巨石)、そしてアラハバキを信仰していたとされる。

7.アラハバキ

アラハバキは、どんな神様か分かっていない。だから、さまざまな説がある。「縄文の神」説や「蝦夷の神」説が有力らしい。ハバキは、脛(スネ)に巻く脛巾を指すとして、足の神とされたり、イワレビコ(神武天皇)に敗れた長髄彦(ナガスネヒコ)を指す説もあるらしい。瀬織津姫とする説もあるけれど、確かではないみたい。

アラハバキは、元々は主神だったけれど、客人(まろうど)神とされている事も多いそう。「鹿島神宮」も、タケミカヅチが祀られる前は「香島の天の大神(かしまのあめのおおかみ)」を祀っていた。客人神に注目するのも、おもしろそうだ。

8.蛇神とツクヨミ

龍神と同じように、蛇神が祀られている神社も多い。「出雲大社(島根県)」に祀られている大国主(オオクニヌシ)は海蛇の神様とされ、「大神神社(奈良県)」に祀られている大物主(オオモノヌシ)は「記紀」では白蛇の化身として書かれている。宇賀神の胴体は、とぐろを巻いた蛇そのものだ。神社のしめ縄も、蛇が交尾をしている姿という説もある。

大蛇ヤマタノオロチがスサノオによって退治されたのは、天津神が蛇神を信仰する人達(蝦夷)を制圧した事を暗示している可能性もある。

蛇神信仰は、世界各地でみられる。蛇は脱皮する為、不死や再生を象徴するから。常陸国風土記では、夜刀神(やつのかみ)という蛇神が登場するらしい。蛇神と夜。それらが、連想させるものは、夜を統べる神「ツクヨミ(月読命/月夜見尊)」だ。

「記紀」では、天照大神やスサノオと共に生まれたにも関わらず、ほぼ登場しないツクヨミ。末子相続だった古代日本では、末っ子のスサノオの登場シーンがめちゃ多い。登場が少ない為か、隠された神ツクヨミには、いろんな説がある。

9.物部氏

神武天皇に大和を譲った鐃速日命(ニギハヤヒ)は、ツクヨミ系で物部氏の始祖とされている。イワレビコ(神武天皇)にタケミカヅチが与えた神剣・韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)は、物部氏の氏神である「石上神宮(奈良県)」の御神体。

神道を推した物部守屋は、仏教を推した蘇我氏に政争で負け、物部氏は信州諏訪(長野県)に行ったという記録があるらしい。諏訪といえば、葦原中国平定(出雲の国譲り)の際に、タケミカヅチと戦って負けたタケミナカタを祀っている「諏訪大社」がある。諏訪大社の背後には守屋山があり、諏訪大社の御神体は守屋山であり、その山頂には諏訪大社ではなく「守屋神社の奥宮」がある。諏訪大社については、謎が多い為、気になる存在だ。

物部氏の始祖ニギハヤヒは、蛇神とされる大物主や、天火明命(アメノホアカリ)などと同一視される事もある。物部氏を追いやった蘇我氏が暗殺された乙巳の変。それは、645年が乙巳の年だったからだけど、蛇を表すが入っていると思うと、物部氏の念が入っているようにも感じる。まあ、こじつけだけど。

10.縄文人、中東・アジアを大移動

ツクヨミ(縄文人)が中東や、東アジアや中央アジアに渡り、シュメールやエジプトの文明に関係する説とか、遊牧民族「月氏(げっし)」となった説や、ユダヤの民として日本に戻ってきて秦氏となった説もある。

縄文時代は1万6千年前といわれているし、縄文人が海や陸を移動して、地球規模で移動していた可能性は、否定できないけれど。それにしても、スケールがでかいや。

日本の神様を調べていたはずが、はるか中東のシュメールやエジプト、ユダヤの歴史までつながってしまうとは。これは沼が深いや。

それでも、日本から海や陸を移動した縄文人が、世界各地で繁栄し、また日本に戻ってきていたとしたら、天津神が沖縄を経由して、宮崎に来て、大和(日本)を統一したとしても、外からの侵略とは言えないかもしれないね。争いはあったけれど、それは、縄文人が帰還した歴史なのかも。

今も続く争いは、どうすれば治まるのだろう。みんな地球人なのにな。

11.ひとまず、今回はここまで

地球規模で知りたい事は増えていく。「記紀」に絞れば、ニニギ以降の神様が不老不死ではなくなった理由とか、なぜスサノオが田んぼのあぜを埋めたのかとか、草薙剣がなぜヤマタノオロチから出てくるのかとか、「記紀」に書かれているエピソードの裏側を調べていくと、とても興味深い。そして、誰かに話したくなる。要点をまとめて、簡単に話せるようになりたい(全部、インターネットの受け売りだけど)。

このおもしろさ、伝わっていますか?


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つづく?

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