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「雪月花~雪の後悔~」〈6〉

 年々、金木犀の花の開花が早まっている気がするな…。今年なんて9月半ばには満開になった。金木犀の甘い香りが漂う頃、思い出した記憶がある。

 顧問を務めている合唱部にこの秋、新しく転校してきた子が入部してくれた。彼は同じく合唱部に所属する仲良しの二人と知り合いだったらしい。仲良し二人は仲良し三人に変わっていた。三人は音楽を通じて友達になったという。
「雪下(ユキシタ)先生、ヨルアカの新曲を部活で歌ってもいいですか?」
「アレンジすれば、合唱曲になると思うんです。」
「ヨルアカ?」
「ヨルノアカリってバンドです。知りませんか?雪下先生、音楽の先生だから知ってるかなと思ってたんですが…。」
バンド名は聞いたことがあったし、ヒットした曲なら知っていた。けれど新曲を追うほどファンというわけではなかった。
「ヨルノアカリなら知ってるけど、ロックでしょ?合唱にするのは難しいんじゃないかしら…。」
「そんなこと言わずに、先生、これ聴いて、合唱用の譜面作ってください。」
「メロディーも素敵だけど、歌詞も泣けるんです。」
三人の生徒たちの熱意に押されて、その曲を聴いてみた。すると、記憶の奥底に沈めて忘れ去っていた、忘れていたと思い込んでいた彼のことをなぜか思い出した。

 私は高校生の頃、文芸部と合唱部の掛け持ちをしていた。メインは文芸部、でもコンクール間近になると、合唱部にいることが多かった。歌は好きだったし、得意な方だったと思う。それなら合唱部だけにすればいいのに、私は歌詞も好きだったため、文芸部で本格的に詩を綴りたくなったのだ。文芸部の部員は私も含めてたったの三人だけだった。

「滴(シズク)、合唱部も忙しい時期にごめん。」
あれは高2の夏休み。部長の香坂花蓮(コウサカカレン)から突然、軽音部から頼まれた歌詞を文芸部の三人で書くことになったと言われた。
「歌詞?すごい!私、書いてみたかったの。」
軽音部が考えたメロディーに合わせて、文芸部三人の部員がそれぞれ歌詞を考えることになった。

 私は合唱で普段から歌に親しんでいた。花蓮はそんなに音楽を聴くタイプではなかったし、もう一人の部員の月波(ツキナミ)くんは短編小説ばかり書いていて、彼の詩は読んだことがなかった。おそらく歌詞なんて苦手だろう。きっと私の書く歌詞が採用してもらえる。そう信じて、その時ばかりは文芸部よりも、合唱部よりも、軽音部に所属したつもりになって、デモテープを聴きつつ、楽譜を元に実際に歌ってみながら、必死に歌詞を書いた。

 渾身の力作が完成したと思っていたけれど、軽音部に選ばれたのは月波くんの歌詞だった。ショックだった。せっかく、メロディーラインにぴったりはまる誰にでも気に入ってもらえるような歌詞を書いたというのに…。

 花蓮が軽音部に呼ばれて、月波くんと二人きりで部室にいた時、私は思わず彼に本音をぶつけてしまった。
「月波くん…音楽好きだったんだね。作詞もできるなんて全然知らなかったよ。」
「別に…音楽なんて普段は聴かないよ。ただ、書いてと言われたから、書いてみただけ…。」
クールな月波くんらしいものの言い方だった。けれどその時の私は彼の言い方に我慢ができなかった。
「音楽…聴かないんだ。そっか。歌をちゃんと聴いたことのない人が書いた歌詞を心に刺さったなんて言って選ぶ軽音部はどうかしてるわ。」
言い過ぎたかなとすぐに彼の顔色を伺ったけれど、表情一つ変えずに、彼はいつものように本を読んでいた。
「別に音楽を否定しているわけではないし、雪下が合唱がんばっているのも知ってるし、なんかごめん…。」
彼はやっぱり表情を変えないまま、そうぽつりと呟いた。

 本音をぶつけたところで別に気まずくなるほど親しい関係でもなかった。夏休みは文化祭に向けて、文芸部の三人で部誌作りに励み、合唱部の練習にも行った。合唱部の近くで軽音部が月波くんの作詞した曲を練習していた。それを聴く度に、私は少し心がチクっとした。言い過ぎて悪かったなという思いと、やっぱり羨ましいな、敵わないなという嫉妬心が入り乱れて、歌声が乱れてしまうこともあった。

 文化祭は何事もなく、文芸部も合唱部も軽音部も無事に1年の成果を披露することができた。私はろくに顔を出せなかったけれど、文芸部にもけっこうお客さんは来てくれたらしい。

 文化祭が終わり、秋も深まり、学校の周りに植えられていた金木犀の木が花を咲かせ始め、甘い香りを漂わせていた頃、月波くんが学校に来なくなった。

 花蓮と私は何か自分たちのせいではないかと心配した。花蓮には言えなかったけれど、きっと私のせいだと思った。あの時、嫉妬心から月波くんの歌詞を侮辱するようなことを彼に言ってしまったから…。顔には出さなくても、ショックを受けたかもしれない。だって月波くんは感情を表に出さないだけで、感情を剥き出しにした小説を書くことが多かったから…。

 私は謝らなきゃと思った。自分のせいで彼が不登校になり、人生を台無しにしてしまったらと考えると不安になった。でも謝る術さえなかった。同じ部員だというのに、良い意味で距離のあった私も花蓮も月波くんの連絡先を知らなかった。連絡先を交換するほどの関係ではなかったのだ。まだ携帯電話も普及しきっていない時代で、メールアドレスも、電話番号も住所も知らない…。いつでも学校で会えるから、連絡事項なんて直接話して済んでいた。

 もどかしい気持ちのまま、花蓮と私は3年生になり、月波くんとは会えないまま、卒業してしまった。

 私は大学生になり、教員免許を取り、高校の教師になった。傷つけてしまったとしても、月波くんとはそもそも親しい間柄だったわけではない。ただの同じ部活仲間だっただけだ。気まずくなってしまった切なさを時々思い出しては胸が痛んだ。もう忘れてしまおうと当時の記憶を必死に封じ込めようとした。

 20年以上経った今、私のすぐそばで当時の私たちのような三人が無邪気に笑い合っている。当時の私たちなんかより仲睦まじくて、深い関係を築いているような三人の若者たちが、きらめく日常を送っている…。

 「先生?雪下先生?どうかしたんですか?」
彼らから勧められた音源を聴いているうちになぜか涙が込み上げてきた。
「何でもないの。大丈夫。なんかこの曲、聴いてたら感動しちゃった。素敵な曲ね。」
「先生に気に入ってもらえて良かった。じゃあ合唱曲にアレンジしてくれますよね?」
「今度、ライブあるんです。私たち、二人は2枚ずつチケット取れたから、1枚余っていて、雪下先生、良ければ一緒に行きませんか?」
「テレビとかではメンバー二人しか見られないけど、ライブではもう一人のメンバーも顔出してくれるんですよ。」
「ヨルアカって二人組みのバンドじゃないの?」
「ファンじゃない人からはそう思われがちなんですが、実は普段姿を見せないメンバーがもう一人いるんです。楽器はやってなくて、作詞だけ担当してる人で…。」
ヨルノアカリって三人組みのバンドだったんだ。作詞だけのメンバーなんて…まさかね…。でももしも彼だとしたら、彼に会えたとしたら、ごめんねとありがとうを伝えたい。

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『ヨルノアカリ物語』主な登場人物 (※名前が決定している人物のみ)

「春夏秋冬」、「雪月花」、「花鳥風月」、「雪星香」4部作・全20話、「ヨルノアカリ物語」です。すべて1話ごとに完結している連作群像劇です。読み切り連作です。

若者なら誰でも密かに隠し持っている自分の弱点、欠点、短所など負の部分を、日常的に誰かと関わることによって克服できるかもしれない淡い希望の物語です。
派手ではない単調で退屈な日常、うまくいかず、やるせない日常を過ごしていても、ちょっとしたことがきっかけで、人生にほんのり明かりが灯るかもしれない瞬間があることを伝えたくて描きました。
ひとつのバンドを巡って、悩み、コンプレックス等を抱えた人物同士が出会い、結び付き、それぞれの人生が少しだけ良い方向に変わるかもしれない物語です。

「春秋冬~夏を求めて~」〈1〉

「春夏秋~冬のつまずき~」〈2〉

「春夏冬~秋なんて嘘~」〈3〉

「夏秋冬~春の憧れ~」〈4〉

「雪月花~花の記憶~」〈5〉

「雪月花~雪の後悔~」〈6〉

「雪月花~月の夢の行方~」〈7〉

「夏の冬~幸せと不幸せの間で揺らめいて~」〈8〉

「雪と花~月の正体~」〈9〉

「鳥風月~羽ばたく 花の名~」〈10〉

「花風月~ナカナイ鳥~」〈11〉

「花鳥月~風が凪ぐ~」〈12〉

「花鳥風~スイマー ドラマー 真昼の月~」〈13〉

「雪星香~若者たちの夢を刻んだ 追憶のドラム~」〈14〉

「雪星香~色褪せない若者たちの絆の香り~」〈15〉

「雪星香~若者だった大人の日常にきらめきを~」〈16〉

「多恵が結んだリボン~タロウとハナコの運命~」〈17〉

「芽実が咲かせた花~ハナコとタロウの再会~」〈18〉

「ハナコが教えてくれた生き様~ある獣医師との出会い~」〈19〉

「あの時みつけた夜の明かり~明里と慈朗と多恵~」〈20〉

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