情報発信は、「ダサく始めて」進化させればいい。
noteを書き始めて、30記事になりました。ほぼ毎日習慣として朝にアップすることができています。
Twitter、Facebook、Instagram、note、(時々ブログ)、メルマガ、LINE公式アカウント、音声発信。
「たくさんの発信が毎日できるのは、なぜですか?」と聞かれると、「楽しいから」に他ならない。
「情報発信が続かない」
「私も発信したいけど、書けることが何もない」
「やっても、反応がないから、めげてしまう」
という声をよく聞くので、情報発信を楽しく続けるコツを書いてみようと思う。
完璧を求めて準備だけで疲れてしまうのはもったいない
どんなに完璧に準備しても、100%完璧にスタートすることなんてできない。
何事もそうだけど、情報発信なんて、まさに「やってみないとわからない」ものだ。
やりながら、「ココはもっとこうやればいい」「こっちの方が楽にできるな」「これ面白い」と見つけていけばいいのだ。
スタートから完璧を求めすぎて、何カ月も、何年も「準備中」な人がいるが、もったいないと思う。情報発信は、やったもん勝ちなのだ。
幸い、始めたころなんて、そんなに誰も見ていない。どんなにカッコ悪くても、誰に何を言われることもないだろう。(言われたって無視すればいい)
準備している間に、世の中のトレンドは変わり、人の気持ちも変わっていく。だったら、今、やろうと思ったときに、やればいい。
仕事でも情報発信でも「前を行く人」は常にいる。その人と比べて「自分なんかまだまだ」と思う必要は全くない。
業界の重鎮には業界の重鎮にしか書けないことがあり、「始めたばかりの私」には、始めたばかりの私にしか書けないことがあるのだ。
人は、「人が成長していくストーリー」が好きなのだ。失敗もダサさも含めて、成長過程を全部見せていけばいい。そう思うと、情報発信が怖くなくなる。完璧に演出されたものよりも、リアルな、生身の人の成長が見えるものの方が面白い。そういう時代だ。
「誰かの役に立たなきゃ」「数字を上げなきゃ」と思うからしんどい
「情報を発信するなら、誰かの役に立つことを書かなきゃ」
「数字をチェックして、分析しなきゃ」
「コンバージョン率が、KPIが……」
確かにそれも大事だろう。でも、「顔のない誰か」の役に立つことをいくら考えても見えてこないし、単なる数字の羅列を見つめていてもやる気は出ない。
「誰か」の役に立たなきゃ、「よくわかんないけど」数字を上げなきゃ、なんて思っていても、しんどいだけで、成果は出ない。
見えない「誰か」や、よくわからない「数字」に振り回されるより、「この人に伝えたい」と思う人を一人(ひとりじゃなくて数人でもいい)決めて、その人に向かって書けばいい。
ひとりに向かって書いた記事は、10人、100人、1000人の心に刺さるし、人の気持ちが動けば、数字は「結果的に」ついてくる。
もちろん企業としてWEBマーケに取り組むなら、はじめから「数字の戦略」が必要だろう。でも個人で発信していく上では、数字は「ついてくる」でいいんじゃないかなと思う(少なくとも、それが苦しい人にとっては)
「自己満足」と「役に立つ発信」は実は紙一重
「発信しているけど、自己満足な気がします」
これもよく聞かれます。
「自己満足」と「役に立つ」の違いは、ほんのちょっとしたことかもしれません。
たとえば、タイトル。
「アラサーの独り言」「私の日記」みたいなタイトルだと、よっぽどの有名人か、もともとたくさんファンがついている人以外は、その発信に興味は持てません。よくわからない人の独り言や日記をわざわざ見たいと思わないから。
たとえば、文の書き出し。
「誰も興味がないと思いますけど」「ただのつぶやきなんですけど」みたいなことが書いてあると、読者は萎えます。なぜ、わざわざ読者の気持ちをくじくのか。自信がないけど許してね、みたいな前書きは、やめた方がいいでしょう。
長々とした自己紹介も、不要かもしれません。
「答え合わせ」をするより自分で答えを作っていこう
「いまはどのSNSを使えばいいですか?」
「私は何を書けばいいでしょうか?」
「これでいいんでしょうか?」
そうやって、誰かに確認したくなる気持ちはわかる。でも、決まった正解などないし、誰かが決めた答えが絶対なわけもない。
やっている中で自分で見つけていくしかない。
「どこかにある正解」を探し続けたり、周囲をきょろきょろ見て、「答え合わせ」してばっかいたら、苦しいし前に進めない。
情報発信は、ダサく始めて、進化させていけばいい。
自分で「仕事をつくる」のも、同じ。
もしかしたら「人生を作っていく」のも、同じかもしれない。
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