ビジネスを気取るぐらいなら、窓に花を飾ろう。(記者の逡巡録)
僕が学んだ記憶では、<経済活動>とは、「信頼」できる仲間を作っていく行為であり、「商品」の魅力や「取引」のコミュニケーションを通じて互いに人間として成熟していく行為だったはずです。
<通貨>だって、「信頼」できる仲間をさらに増やすために、物々交換を拡張する形をとって、人類が温かな気持ちで発明したものであって。ですから「商品」が実在せず、「取引」からコミュニケーションが省略され、仲間の「信頼」を裏切ることが勝者とされる、仮想の<通貨>取引は<経済活動>でもなんでもありません。仮想<通貨>の取引なんて、生業にする価値はなく、ましてや生活を委ねるなどもってのほかで最底辺のギャンブルだといえます。競走馬の生き様やパチンコ台のエンタメ性に投資する方が、よっぽど<経済活動>です。
お金はないと困ります。ラーメンにだって煮玉子つけたいです。そこそこちゃんと働きましょう。でも、お隣さんにお裾分けしたり、知人の子供の面倒見たり、手作りのプレゼントをしたり、地元の野菜を食べてみたり、窓に花を飾ったり、誰かのために演奏したり、記念写真を撮ったり、雪かきしたり、火の用心を呼びかけたり、盆踊りに参加したり…こんな行為たちは、ほとんどGDPや大企業の収益に貢献しませんが、「信頼」できる仲間を増やしていくという点で、まっとう過ぎる<経済活動>なんです。
えらそうに書き連ねましたが、日々、大企業や官僚の取材をしていて、人間の成熟よりも、お金を増やすことを優先する活動、<ビジネス>などと呼ばれる、二流の<経済活動>があまりに横行しているなとしみじみ感じていますもので。
以上、<経済>部記者の独り言でした。