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ヤドカリ放浪記2012〜越後高田・春日山城編〜

10月5日
AM5:38
道の駅あらい

いつもよりほんの少しだけ遅く起きれた朝
いつもの様にケータイをイジイジしながら朝を過ごす
AM7:29
東京吉祥寺よしきゅう膳 あらい道の駅店

朝六時から開いている道の駅内にあるラーメン屋
朝ラーメンが380円からだったので入ってみる
プラス40円で中盛りで注文してみる
ちょっと太麺
かつお味の強い魚介類系醤油ラーメンである
ちなみに朝ラーメンは前日の十月四日から始まったらしい
AM8:15
高田公園

高田城跡を整備された公園
城内の堀には無数の蓮の葉が犇めきあっている
日本三大夜桜の一つであるらしい
とにかく久し振りに観光を楽しむ
AM8:20
お城弁財天
木彫家・内藤伸氏の御作で高田信用金庫創立者や高田市長らがあいはからって建てた社
西堀の一角に建つ
AM8:27
小林古径邸

上越市出身の画家の東京にあった住居を移築・復元した建物
国登録有形文化財である有料施設
AM8:32
高田城三重櫓

本丸南西隅の土塁上に構築された御三階櫓とも呼ばれた天守閣に代わる城の象徴
1886年、取り壊されるが1992年に資料と調査により復元
有料施設である
AM8:38
管理棟

高田城跡の観光案内所兼土産売場
情報収集をする
AM8:47
上越教育大学附属中学校

本丸跡…
中学校前に史跡本丸跡と刻まれた石碑が有るのみ
ちなみに高田城は慶長十五年、越後七十五万石の太守に家康の六男・松平忠輝が信濃松代から福島城へ入封し、慶長十九年に伊達政宗・上杉景勝等により天下普請で築かれた城
しかし櫓は復元しているが肝心な天守閣は復元してないのね
AM9:01
極楽橋

高田城の二の丸から本丸に通じる木橋
まぁ〜復元だが…(´・ω・`)
AM9:13
大手橋跡

長さ三十二間一尺五寸・幅三間・高さ四間の木橋が架かっていた場所
外堀に架けられ城内と城下を結ぶ大事な架け橋であった
史跡高田城大手橋跡と刻まれた石碑が立つのみである
AM9:19
榊神社

明治四年廃藩置県が行われ高田藩有志が藩祖・榊原康政公を祀る神社設立を思い立ち広く領内より募金
明治八年十二月、社名を榊神社として認可を得、同九年一月、対面所跡に社殿を建立
神器に康政公の鎧・冑・刀剣類等を保存
明治三十九年十月八日、県社に昇格
以後三代忠次・十一代政令・十四代政敬を合祀し現在に至る神社
あまり気は伝わって来なかった
神不在の神社かな?
AM9:35
青田川
ちょっと良い感じの小川
ちょっととした散歩道
川沿いに添って散歩する
途中丸、石が敷かれている小径に入り、散歩する
AM9:40
旧師団長官舎

小径を散歩していたら裏から入っちゃった旧陸軍第十三師団の第三代師団長が居を構えていた洋館
入場無料で館内は越後高田歴史回廊2012と題した展示が催されている
二階は外観から予想出来ぬ和室造り
AM10:03
小林古径生誕之地
先程の青田川に架かる南土橋付近
碑が立つのみ
現在は(有)古沢紙工…
AM10:09
粟飴翁飴本舗

寛永年間創業の老舗
十返舎一九ゆかりの飴屋らしい
翁飴を試食させてもらった
AM10:19
瑞泉寺
高田城下に時刻を報せた鐘・時の鐘がある寺
寺前に立つ石碑には寛文九年高田藩主・松平光長の母・勝子(高田姫)が鍋屋町の大鐘屋土肥佐兵衛に造らせたものであり、馬出町東角の町年寄吉田家の屋敷に設置し、明治九年ここ瑞泉寺の梵鐘となるまで日時計で時刻を計り、鐘を突いた
その音色は世に高田に過ぎたるものの一つと謡われている。と刻まれている
この鐘は市指定文化財である
AM11:00
お馬出し公園

城郭の出入口に造られ敵からの侵入を防ぐ防衛の為の施設
高田城築城と共に造られたものと考えられ、今もその一部が残っている
馬出しがあった一帯は城内と城外を結び付けるお城の玄関口であり高田城下で一番賑わいをみせていた重要な場所である
1930年まで馬出しが地名として残っていたらしい
AM11:06
町奉行所跡

高田の町政を監督指導する役所で町役所とも呼ばれた
松平光長時代は榊神社の所にあり、のち暫く高田郵便局の場所に移ったが稲葉正通時代にこの地に転じて廃藩に及んだ
奉行所には藩主から任命された二名の町奉行の他、訴訟・微税・治安等を担当する係りが居て管下を町年寄ん督励し町政を運営したとか…
お馬出しの石垣が一部残っている大町公園入口に石碑が立つ
AM11:16
大町通り

二七市に四九市が開かれる通り
上職人町と下職人町も入っている通りだ
ちょっと懐かしい通り♪
AM11:42
旧今井染物屋

高田最古の町家
映画・ふみ子の海のロケにも使われたらしい
公開日が設けられており、この日は中は見れなかった
AM11:53
宇賀魂神社

境内に史跡道標あり
江戸時代、幕藩体制の整備が進み高田城下を往来する旅人も多くなると北国(加賀)街道と奥州街道の交差点に立てられた道標
ちなみにこの道標に使われている石は幻の城と言われている福嶋城の石垣らしい
PM0:04
高田世界館

日本最古級の映画館
近代化産業遺産群であり国指定有形登録文化財らしい
まだ現役らしいが落語などを聴く会場になっている感じ
映画もリバイバル上映っぽい
PM0:08
高田小町

明治中期の大庄家をリフォームして生まれ変わった交流館
無料休憩所として利用も出来る
ギャラリー等も開催している
此処でちょいと一休み
PM0:25
高野商店
映画・ふみ子の海でロケに使われた国登録有形文化財
昭和十年に建築された町家
イベント時には甘味処として利用されるらしい
PM0:29
きものの小川
着物屋というより和風雑貨屋
イベント時には何やらやるらしく、この時は浮世絵師の揚洲周延展が開催されていた
此処も町家をリフォームした味のある建築物
PM0:44
頸城野郷土資料室
国登録有形文化財
一目で良いなぁ〜と感じた建物がそうだった
不定休に当たってしまった
PM0:50
幸村家住宅

国登録有形文化財
趣のある町家
見学可能
イベント時には此処も甘味処になるみたい
PM1:00
高田駅

和風と洋風を併せ持つ外観のJR駅
意外と賑やかな駅だ
PM1:01
日本海庄や高田駅前店

駅にある居酒屋
ランチタイムで日替り定食のカレーに惹かれIN
頼むはもちろん日替り定食
550円とは思えぬカレーセットが運ばれてきた♪
ご飯と味噌汁はお代わり自由なので腹一杯食べる
満腹である(*´ω`*)
PM1:32
旧金津憲太郎桶店

江戸時代後期からの桶職人の暮らしがそのまま保存されている町家
当時は49軒もの桶屋があった事から桶屋町と呼ばれていた
無料開放していたので見学する

すげーぞ
PM1:43
城下町高田桶屋町五郎八
昭和初期の町屋と江戸時代の城下町地図を公開している現在はテナントとして店が入っている状態
PM1:46
金津桶店
通称・上の桶屋
桶屋町で唯一生き残っている桶屋だ
昔ながらの木の湯舟も展示している
PM1:52
料亭宇喜世

老舗料亭で国登録有形文化財
昼の膳のきのことビーフカレー膳で1300円
お造り膳で1800円なり!!
さすが料亭だな💦
まぁ〜ここでリッチに食べても良かったな
PM2:15
雁木通り

発展した町の中に雁木は所々に当時の面影を残している
約十六kmにも及んだ雁木通りは日本一の長さを誇り北越雪譜なる作品にも登場している城下町高田の象徴
雁木と共に石畳も見所の一つだ

そんな雁木通りの一ヶ所、仲町通りで雪国での生活の一部を体験する
二階から屋根に伸びる梯子群も見れたし、越後高田見飽きません!!
翌日から越後高田町家三昧秋ノ巻なるお祭りも始まるし…
一日来るの早かったな(^ω^;
PM3:18
上越市埋蔵文化センター

謙信公と春日山城展なる催しが無料開催されていたので立ち寄る
2007年に放送されたNHK大河ドラマ風林火山で使用された龍の床絵をバックに上杉謙信所用の甲冑の展示から謙信公の生涯・武具・兵力・謙信の戦い等様々なコーナーが楽しめる
大毘沙門天王像、上杉景勝の書状なども展示
無料の割には充実な展示だ♪
PM3:38
春日山城跡

北朝時代に越後国守護である上杉氏が越後府中の館の詰め城として築城したのが始まり
1507年、守護代であった長尾為景が上杉定実を擁立して守護上杉房能を追放
新守護として定実が府中に入ると長尾氏が春日山城主となる
上越市中部にある春日山山頂に築かれ天然の要害を持つ難攻不落の城とされ為景・晴景・上杉謙信・上杉景勝の四代の居城となった
しかし上杉景勝が会津へ移った後に越後を支配した堀氏は政治を取り仕切るに不便として1607年に直江津港近くに福嶋城を築城して移り、春日山城はその役目を終える
別名を鉢ヶ峰城ともいう春日山城の名称は奈良の春日大社から分霊勧請した春日神社に由来する
日本百名城の一つである
PM3:40
春日山神社

山形県米沢市の上杉神社より分霊された上杉謙信命を祀る神社
春日山城跡を観て周る前に参拝する
PM3:42
神輿殿
謙信公みこしが奉納されている殿堂
謙信公みこしは上杉謙信の遺徳を偲び義の精神により奉納されたもの
PM3:45
お屋敷入口
城主の館跡
黒金門・蓮池などもある
春日山神社のある郭へ通じている
今は畑になっているらしい
PM3:51
千貫門跡
春日山城の古絵図に必ず描かれている門
現在でも門が建っていたと考えられる部分のみ土塁が分断されている
PM3:53
空堀
千貫門の内側に連続する二本の堀
門からは道の様に見える
侵入した敵を沢に落とす様に巧妙に仕組まれた堀である
奥には塹濠阯がある
PM3:58
虎口
郭への出入口
曲がりくねった坂道になり、それを登り切ると土塁が左右から突き出ている
これは敵の侵入を邪魔する為
栗の毬が一杯落ちている
PM4:02
直江屋敷

上杉家重臣直江家の屋敷跡
千貫門までの上下三段の郭が造られている
古道も残っているスポット
PM4:05
お花畑
この上に建つ御堂に献ずる花や薬草を植えた場所
城に珍しいスポットだ
PM4:07
毘沙門堂

謙信が信仰していた毘沙門天の尊像が安置されている御堂
本来はもう一段上の諏訪堂横にあったみたい
毘沙門天像、意外と小さかった…
PM4:09
護摩堂阯
謙信が出陣前に毘沙門堂に籠り戦勝や息災を祈祷した御堂が建っていた場所
最初白い建物が護摩堂と思ったがそれは休憩所だった…
PM4:12
諏訪堂阯
毘沙門堂と護摩堂の間の高台にある御堂阯
特に説明もなく石碑が立っているのみだ
PM4:14
本丸阯

南隣の天主台と共に春日山城のお天上と呼ばれたスポット
標高百80mの本丸からはかつての越後府中と周辺の山々の支城跡や日本海が一望出来る
関川右岸に広がる林に囲まれた村落が点在する風景は1557年の越後国絵図に描かれ中世の景観とほとんど変わっていないらしい
うんいい眺めだ♪
PM4:20
天守閣阯

本丸同様見晴らしの良いスポット
しかし石垣の代わりに自然の起伏を活かした空堀・土塁などによって多くの郭を守ってい為、天守閣を持たなかったはずなんだが春日山城…
PM4:21
井戸丸阯
井戸曲輪

廃城後400年の星霜を経て、今なお満々と水をたたえる大井戸
PM4:24
景勝屋敷跡

御館の乱で勝利をおさめ謙信の跡目を相続した上杉景勝の屋敷が建っていたと伝えられる場所
尾根を巧みに利用して段を削出し、数段で一つの屋敷を形成されていた大規模な屋敷だったとか…
景勝屋敷を中心とする柿崎和泉守屋敷などの屋敷群跡が地形に逆らわず定形化していないのは春日山城の古い段階での普請を示していると言える
PM4:31
鐘楼阯
鐘があった跡地(´・ω・`)
PM4:34
二の丸阯

本丸から毘沙門堂を経てお花畑に至る実城と呼ばれる郭群の東裾を取り巻く様に造られた郭
実城と共に春日山城の中心地区を成している
本丸の直下にあって本丸を帯状に囲っている様子はまさに本丸警護として造作されている
古絵図には御二階と台所が記されており現在も笹井戸なる井戸跡が残っている事も当時の二の丸における生活をしる手掛かりである
PM4:39
笹井戸
二の丸説明板のすぐ裏にある小さな井戸
此処も今なお水が湧いている
意外と綺麗な水である
PM4:41
土塁跡
春日山城内で最も良好に残っている土塁跡
郭を普請する際削平した時に出た土を盛り堅め防御の役割を果たしていた
同じ場所に米蔵阯もある
よほど結固たる防御層だったのだろう
PM4:45
三の丸跡

春日山で最も良好な状態の土塁が残る米蔵跡前にある郭
謙信自ら名を与え住まわせた養子三郎影虎屋敷跡である
それぞれ段違いに造られた屋敷群を総称して三の丸屋敷跡と呼ばれている
PM4:50
甘粕近江守宅跡

川中島大合戦の際、信玄得意の啄木戦法による迂回軍の進路を阻み奮戦した勇将が居を構えた場所
PM4:56
謙信公銅像

春日山城と春日山神社の入口に建つ上杉謙信の勇姿
弁慶にしか見えません
時間が時間だけに駆け足見学になったが、そこそこ楽しめれた春日山城だった♪
時間があったらもう少しゆっくり見たかったな
PM5:45
ローソン柿崎馬正面店
週刊少年チャンピオンを立読み
ドカベンドリームトーナメント編を立読み
丘と唐部が登場して新潟ドルフィンズが初期東京メッツ化しているw
翌週は虹を呼ぶ男だな…
極道くんはいつ?
幕の内弁当と缶酎ハイを買ってCVSを後にする
PM6:28
道の駅風の丘米山

米山山荘に隣接する今宵の寝床なり道の駅
初めて訪れたが、なかなか良い道の駅ではなかろうか?
道の駅スタンプを設置している休憩所はどおやら二十四時間開いているらしく、座敷で一泊出来そう♪
自転車放浪の旅人には有り難い道の駅だよね
しかし風の丘と言うだけあって風が強いのが難点だが…
何はともあれ一日下駄で歩き回った疲れからか二十一時過ぎには眠くなって爆睡に入る柏崎での夜
そんな城巡りな一日
やっぱ放浪が俺にはあってるって感じたわ(*´ω`*)

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