マガジンのカバー画像

読み返したい

57
文字通り、読み返したい文章。
運営しているクリエイター

記事一覧

「編集者」を辞めて見えた「編集という仕事」の価値やあり方、キャリアのこと。

「編集者」を辞めて1年以上が経った。 それまで10年近く編集の仕事をしてきて、2021年に妻の仕事の都合でアフリカで暮らすことになり、仕事を全部辞めて主夫になった。 会社員時代とはまったく違う、子育てと家事の日々。 子育ては修行のようでありながらも、子どもらの小さい時期の成長をこんなにも間近に見れる日常に、かつてない充実感を覚えている。 一方で、そんな日々を送るうちに「編集者」としての感覚は失われていっている。 編集者としての自分がこれまでどんなことをしてきて、これ

片道切符だった、宇宙で死んだ犬の話

半世紀以上前のこと、『ライカ』と呼ばれる一匹のメス犬が人類の手によって宇宙へと打ち上げられた。ライカは宇宙を初めて飛行した”生物”であるが、その光の裏には壮絶な物語が隠されていた。光と闇というものは、やはり表裏一体なのであろうか。 何か目立つ物を打ち上げてくれないかね…1957年10月4日、ソ連が人類初となる人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功し、世界中が新時代の幕開けに歓喜した。一夜明け、当時ソ連を率いていた共産党第一書記ニキータ・フルシチョフは一仕事を終えて休暇

ググっても出てこない、脚本家になる方法

こんにちは。脚本家の下田悠子です。 2016年3月に初めて仕事として脚本を書き、現在に至ります。 この投稿はいま脚本家を目指している方、あるいはチャンスを掴みかけているのに、どう動けばいいのか変わらず彷徨っている方に、少しでも私の経験が役立てば、という想いで書いています。 というのも私自身、専門学校での勉強を終えてからプロデビューするまでの道筋が分からず、検索しても手がかりが得られなかったからです。 また、デビューしてからの1・2年はこの業界のスピード感と世間とはズレた「

¥100

ヤンシナで入賞できなかったけど脚本家にはなれた話。

こんにちは。脚本家の下田悠子です。 フジテレビヤングシナリオ大賞の募集が始まっていますね。 私が応募したのは第27回。 脚本の勉強を開始して10ヶ月頃経った頃でした。 基礎的なことも十分会得できていなかったあの頃、コンクールの傾向も調べていなければ対策も立てず、学校に提出する課題を投稿しました。

¥100

日本人がNASAで働くには

このnoteは日本の大学を卒業した筆者が、コネクションゼロの状態から、アメリカの大学への留学を挟まずに、NASAへの就職を果たした過程を記録したものです。これからNASAを目指す人、また夢を叶えようと努力している人の考え方のヒントになれば幸いです。 一度きりの人生をかけてこれをやる2012年の夏、NASAの1機の探査機が火星に着陸した。キュリオシティという名のその白いローバーは、胴体からまっすぐに伸びた首の先に大きな目玉がついた頭を持ち、足についた6つの頑丈な車輪で火星の荒

私の”人生をかけた一作”「おかえりモネ」を振り返ってみました

はじめまして。 朝ドラ「おかえりモネ」チーフ演出の一木です。助監督時代を経て、ドラマ演出歴は17年ほど。 この記事では、これまでのドラマ制作で思うことについて、プライベートも含めてつづってみたいと思います。 これまでは大河ドラマ「義経」「天地人」「八重の桜」「いだてん」、朝ドラ「どんど晴れ」「ゲゲゲの女房」「まれ」ほか、岩手県大船渡舞台の「恋の三陸」、福島県浪江町舞台の「LIVE!LOVE!SING!」など、東北を舞台にしたドラマを多く手がけました。 「おかえりモネ」は

40歳

10月1日で40歳になった。10年前も同じようなことをしたのだけど、30代の振り返りを書く。 30歳のときに、民間セクターの世界銀行をつくると決めた。その時のことはよく覚えている。天津で2012年に開催されたサマーダボスの閉会式を見ているときのことだ。世界経済フォーラムが民間セクターの国連なら、僕は民間セクターの世銀をつくろうと思った。 それ以降、インタビューされる度に「民間セクターの世銀をつくり、世界中の人に安くて使いやすい金融サービスを届ける」と言ってきた。笑う人はた

夏を送る。

今年も静かな夏だった。 思いもよらぬ雨続きで順延を繰り返した夏の全国高校野球選手権大会。8月まるまるかけてグラウンドを縦横無尽に躍動する高校球児。 背中を押す声援の響かないがらんどうの甲子園球場。それでも選手たちは画面の向こうでまばゆいばかりに輝いていた。 静かな夏は音もなく去り、いつのまにか9月がやってきていた。夏に別れを告げる線香花火の落ちる音さえも聞いていないというのに。 最後の花火に今年もなったなと、敬愛する夭折の天才は誰にともなく呟いていた。最後どころか最初すらな

旅の二周目の景色は、少し違って見える

最近、旅が続いている。これまでは取材前提の旅が99%だったけれど、取材を考えず、撮れ高を意識せず、ありのままの土地の姿を捉えようとその土地に馴染むような時間を過ごしている。 例えば、旅先で髪を切る。これがすこぶる気持ちがいい。その土地の友人が通っている美容室を紹介してもらって、共通の話題を探りながら、旅情から日常へと想いを馳せる。もはや旅といっても、少し遠い距離に住んでいる友人を訪ねる感覚に近い。 SNSの情報流通のおかげで再会を懐かしむというよりも、バカ話を中心に移動を

140文字で人の心を動かすツイートはどう作られているのかを考察する

140文字みっちり書かれたツイートに、うっとりすることがあります。 同じような内容でも、140文字のテキストの組み立て方によって、伝わり方が違いますよね。ツイートもコンテンツ作りなわけで、どういう内容だと反応が多くなるのか、ものすごく興味があります。 このコラムでは、人の心を動かす140文字ツイートが、どのように作られているのかを考察してみようと思います。 Twitter道場でLTをやったコラムの内容は、ナイル社内で行われているTwitter道場で、LTをしたときの内容

再開発の進む渋谷の経過観察

どうもO太郎です。 再開発が進む渋谷は、都市計画好きとしては大注目の街。 東京にお住いの方なら行くことも多いこの街の現在の様子を、少しばかり記録します。 渋谷駅の南口エリア。渋谷駅の端の端にあった移転する前の埼京線ホームあったあたりのすぐ隣のエリア。桜が丘の坂の麓は更地にされて再開発で重機が大量に入っています。 銀座線のホームが東側に移された後、京王井の頭線への移動は迂回路を回る事となりました。西口側には東急プラザ(渋谷フクラスビル)へ続くペデストリアンデッキ(遊歩道

向いていないな、と感じる新聞記者業を10年以上続けてみて

政府の全戸配布の布マスクがいよいよ配られる頃の2020年4月17日、僕は東京・池袋の交差点が見える、少し離れた手すりに腰かけてノートパソコンを開き、布マスクの寄付を受け付けている団体に電話して、記事を書いていました。   1年前、池袋乗用車暴走事故が起きた現場の交差点です。仕事中、献花の前で手を合わせる人がいたら声を掛けて話を聞き、一部はTwitterでも実況しました。 その翌日、外で仕事をした理由をつぶやきました。 事故防止の発信を続けるご遺族に、あなたの言葉で行動を変

空洞を抱きしめて、未来へ(人生で初めて一人暮らしになった記録)

2020年8月2日、午前7時前の成田空港、国際線出発ターミナル。 この日、ここで目にした光景を、私はこれからもきっと忘れないだろう。日本の玄関と呼ばれ、普段なら昼夜問わず、大きなスーツケースを転がし行き交う大勢の人で賑わっているはずのこの場所に、私たち家族以外にはほぼ誰もいなかった。 余裕をもって出発しておいて、空港で朝食をとろう、なんて言っていた。たとえ自分がどこに行くわけではなくとも、これから旅立つ人たちに囲まれフードコートで食べるごはんは、どんなに他愛のないものでも何

【映画感想】はりぼて 〜これぞ映像ドキュメンタリーの力!

富山のチューリップテレビが制作したドキュメンタリー映画「はりぼて」を見てきました。 調査報道によって、富山市議会議員の政務活動費の不正が次々に明るみに出て、議員14人が辞職するという、むちゃくちゃな内容なんですが、同じローカルテレビ局の記者が作ったドキュメンタリーということで、どうしても撮影とか編集にばかり目がいってしまいました。 どの時点でドキュメンタリーにすることにしたのか定かではないですが、記者会見や議会などで、通常のニュース取材では絶対撮らないであろうカットが多く