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信心深さと世俗主義【連載】人を右と左に分ける3つの価値観 ―進化心理学からの視座―

※本記事は連載で、全体の目次はこちらになります。第1回から読む方はこちらです。

 第1章で見てきたように、右派は「政府や宗教の適切な権威による判断は、私達の社会で人々の心に疑念を生み出そうと試みる騒がしい民衆扇動家に耳を傾けることよりも常に優れている」という設問に賛同しやすく、宗教を軽視するような設問(「無神論者や確立された宗教に反抗した人たちは、教会に定期的に通っている人たちと同じように疑いなく善良で高潔である」や「人々は聖書や他の古い伝統の形を取った宗教的指導にあまり注意を払うべきではなく、代わりに道徳的なものとそうでないものに関する基準を自身で発達させるべきである」)に同意しない傾向にありました。このように右派ほど信心深く、左派ほど宗教を信じない世俗主義である傾向にあります。

 実際に、心理学者のロバート・アルテマイヤーは、RWAテストで宗教が関連した設問だけでなく、他のスコアも高い人(つまり右派)ほど、宗教的な行事に参加し、祈ったり、聖書を読んだり、宗教上の倫理規定について議論したりするだけでなく、宗教上の祭日を祝ったり、若者を対象とした宗教団体や教育機会に参加する傾向にあることを見出しました(注17)。これと合わせて、逆に宗教を重んじない家庭に生まれた人のRWAスコアの平均は、なにかしらの宗教を重んじる家庭に生まれた人に比べて低いことも報告されています。このような「RWAスコアの高さ」と「信心深さ」の密接な関係性は、欧米諸国に限った話ではなく、非キリスト教圏のイスラム諸国やユダヤ教を民族宗教とするイスラエルでも確認されています(注18)。
 そのため、宗教は政党支持と密接な関係があります。たとえば、米国で月に一回教会に通う人は、66%が共和党に投票することがわかっていますが、毎週教会に通うような人では、この割合が75%にまで跳ね上がります(注19)。また、「神が1万年前に現在の形のヒトを創造した」という宗教的な考えを信じる人は、共和党支持者では60%なのに対して、民主党支持者では38%しかいません(注20)。
 これは、無神論の多い世俗的な日本でも同様です。2007年に日本人を対象に「私は宗教から慰めと力を引き出します」という設問に同意する割合を調べたところ、共産党の支持者は27%しか同意しなかったのに対して、民主党では35%、自民党では47%、公明党では87%が同意したのです(注21)。この回答結果は日本でも、右派政党の支持者ほど宗教を心の支えとしている人が多いことを示しています。事実、公明党は仏教系の「創価学会」を支持母体としていますし、自民党は神道と深い関わりを持っています。
 特に、神道は国家としての神話と歴史を形成するもので、日本文化の基軸をなしてきたことから、日本の「民族宗教」とみなされている宗教です。また、皇室の祖先とされる天照大神を祭る伊勢神宮を有していることから、天皇中心で成り立つ日本の国家としての特性(国体)を形作る上でも重要な役割を果たしてきました。
 資本主義とも大変相性が良く、商売繁盛や事業繁栄、事業安全、開運招福などの祈祷が行われており、経済成長や産業振興も宗教的に正当化しています。例えば、神道の神話には大国主命や少彦名命のように国土建設、病気治療、産業の開発などを執り行った神々がいるだけでなく、鉄鋼業、西陣織り、機織り、墓石などにそれぞれの産業の神がいます。そのためトヨタ自動車、三菱グループ、三井グループ、日立製作所、東芝、キッコーマン、資生堂、東京ガスなどの代表的企業がそれぞれ独自の神社(企業神社)を造り神々を祀っています。

 日本各地の神社を包括する神社本庁は「表裏一体」の専門的な政治組織として1969年に「神道政治連盟」(神政連)を発足させ右寄りのロビー活動を行ってきました。具体的には主に、自主憲法の制定、靖国神社の公式参拝や国家儀礼の確立、道徳・宗教教育の促進、選択的夫婦別姓制度の導入反対、皇室の尊厳護持や日本文化の尊重、祝日の国旗掲揚などを主張しています。たとえば、秩父神社宮司で京都大学の名誉教授でもある薗田稔は、対談で憲法の改正を支持しています。

ドイツは、時代や情勢に合わせて(憲法を)何度も改定しています。日本の憲法も成立して70年という年月が流れました。これはGHQが作ったものであり、占領下のお仕着せであることは間違いありません。(『神社と政治』、401ページ)

 小野照崎神社宮司で東京都神社庁長でもある小野貴嗣も、対談で安保や抑止力の重要性を説いています。

安保もやはり大切でしょう。普通の国になろうというだけです。どこの国も自国の防衛をし、国民や地域を守っています。集団的自衛権も当たり前のことです。中国の覇権主義などの問題があるので、戦争をしようというのではなく、抑止力が必要なのです。(前掲書、406~7ページ)

 安倍政権時代には、とりわけ首相とともに改憲ないし自主憲法制定を目指してきました。2016年8月の内閣改造では、安倍首相を含む大臣20人中19人を「神道政治連盟国会議員懇談会」(神道議連)のメンバーで固めたことも記憶に新しいと思います。

 このような神道や天皇制に、左派は苦言を呈してきました。たとえば、左翼的な研究者たちは戦後に「国家神道が戦争を正当化するイデオロギーだった」と主張しました。つまり、明治維新によって「祭政一致」が宣言され、その考えに基づいて天皇主権の明治憲法や教育勅語ができて、その結果として「超国家主義」、すなわちファシズムになったと考えたのです。
 他にも、共産党は2015年まで、天皇陛下が「お言葉」を述べる通常国会開会式に欠席してきました。2016年1月4日の開会式には共産党委員長をはじめとする幹部が出席し、他党と同じように起立して頭を下げましたが、「高い玉座から「御言葉を賜る形式」は主権在民の原則に反する」として改革の必要性を主張しています。また、立憲民主党副代表を務めたこともある辻元清美は、政界進出する前の1987年3月に出版した書籍『清美するで!!新人類が船を出す!』(第三書館)の中で、皇室や天皇制への嫌悪を露わにし「悪の根源」とまで断じていました。最近でも、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」で昭和天皇が燃やされる、足で踏みつけられるといった内容が含まれた展示物に対して、立憲民主党の議員ら(福山哲郎、石川大我、田島まいこ)がツィーター上で「表現の自由」として擁護しています。

 極左である共産主義は当然、天皇のような特権的存在を原則として認めません。このようなマルクス主義から、天皇中心で成り立つ日本の国体を護持するために、日本政府は1925年(大正14年)に「治安維持法」を作りました。この少し前の1917年にロシア革命が起きて共産主義の盟主たる「ソヴィエト連邦」が成立し、共産主義の思想と運動が世界的に影響力を拡大したことに対抗するためです。
 共産主義は、当然のことながら宗教にも否定的です。マルクスは「この世は形ある物質がすべてだ」という唯物論を唱え、神様も霊魂も否定しました。また、民衆が社会を変革せずに、宗教に頼ったり神様に祈っても、麻薬のアヘンのように一時的に痛みを紛らわせるだけで根本的な治療にはならず依存症になるだけだと説き「宗教は民衆のアヘンだ」という言葉を残しています。このような事情もあって冷戦中、ローマ教会もユダヤ教国家のイスラエルも米国をはじめとした西側諸国と結びついていました。中国共産党がチベット仏教徒やウイグルのイスラム教徒を弾圧する理由のひとつもこの点にあります。


17. R. Altemeyer, “Enemies of Freedom: Understanding. Right-Wing Authoritarianism”, 1st ed. (San Francisco: Jossey-Bass Publisher, 1988).
18. Rubinstein G. Two Peoples in One Land: A Validation Study of Altemeyer’s Right-Wing Authoritarianism Scale in the Palestinian and Jewish Societies in Israel. Journal of Cross-Cultural Psychology. 1996;27(2):216.
19. Glaeser, Edward, L., and Bryce A. Ward. 2006. "Myths and Realities of American Political Geography." Journal of Economic Perspectives, 20 (2): 119-144.
20. Melissa J. Ferguson, Travis J. Carter, Ran R. Hassin, On the Automaticity of Nationalist Ideology: The Case of the USA, in Social and Psychological Bases of Ideology and System Justification (Oxford University Press, 2009), 53-82.
21. Yilmaz Esmer and Thorleif Pettersson, The Effects of Religion and Religiosity on Voting Behavior, in The Oxford Handbook of Political Behavior (Oxford University Press, 2007), 481-503.

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